会社が成長すると、人材も育っていきます。仕事が増えれば、こなすキャパシティーは大きくなり、新しい部門や担当が設置されれば挑戦の機会が生まれ、組織が大きくなれば、より責任や権限のある立場や役割を与えられて、高い視座を獲得できるようになるからです。会社の成長は、中にいる人の経験の量も質も、よいものにしていきます。

 そう考えると、この“失われた30年”で、組織で働く人たちは大変な経験不足に陥っているのではないでしょうか。同じような仕事を、同じ立場で長い間やり続けた結果、昔の人たちに比べて、経験の量も質も「見劣り」するような人が、かなり増えたと考えられます。

経験不足が招いた、エピソードの“劣化”

 例えば、現在60歳の人たちは経営幹部や部門長クラスでしょうが、30歳の頃から30年間、バブルがはじけてからずっと、成長しない組織の中で働き続けてきています。その前の30年といえば、1960年ごろから1990年ごろですから、右肩上がりに成長し続けていた時代で、1990年ごろに60歳だった人と比べれば、その経験には大きな違いがあるでしょう。別の見方をすれば、「昔の中高年は、経験において当時の若手とは大差があったが、現代ではその差がかなり小さくなってしまった」といえるのです。

 今から30年前を振り返れば、中高年は若手に語って聞かせるに値するさまざまなエピソードを持っていたように思います。果たして今、若手の心をつかめるだけのエピソードを持っている中高年は、どれだけいるのでしょうか。「若い人たちが、おじさんたちの話を聞くのを嫌がるようになっている」といったことを耳にしますが、それは若い人たちが変わったからではなく、中高年側の話の内容が、経験不足によって大きく“劣化”したからなのかもしれません。

 企業が成長できなかったことに加え、コンプライアンスの浸透と過剰な解釈が、行動を規制・萎縮させ、経験不足に輪をかけた面もあるでしょう。チェックや報告、承認に関する社内規制が多く生まれ、書類が増え、それに費やす時間が価値を生む業務を減らしていきました。また、何か意欲的な取り組みをしようとしても、さまざまな立場からリスクや問題点を指摘され、実行に移すことが難しくなりました。30年前、民間企業では「お役所仕事」を笑うような場面が多くありましたが、今や大企業を中心に、民間でも「お役所仕事」がよく見られるようになったと感じます。

自己研さんしない日本のビジネスパーソン

 経験不足を多少でも補おうとすれば、「学習」が重要なのでしょうが、経済産業省が2017年に発表した「『雇用関係によらない働き方』に関する研究会・報告書」を見ると、世界各国に比べて、日本のビジネスパーソンの学ぶ意欲の低さがはっきりと分かります。

 例えば、「人材育成投資(OJT以外)/GDP 比率の国際比較」では、欧米各国が1.5%程度であるのに対して、日本は1995年からの5年間が約0.4%、2001〜2010年が約0.2%と大きな差があります。ちなみに、この期間で人材育成投資を減らしているのは、日本だけです。また、「高等教育機関への進学における25 歳以上の入学者の割合(国際比較)」では、経済協力開発機構(OECD)の各国平均が18.1%なのに対して、日本は1.9%で最下位となっています。

 パーソル総合研究所は、2019年8月に発表した 「APAC就業実態・成長意識調査(2019年)」の結果について、「勤務先以外での学習や自己啓発について、日本は『特に何も行っていない』が46.3%で、14の国・地域で最も高い。2位のニュージーランドと比べて24.2ポイントも差」があるとして、自己研さんしている人が極端に少ない実態を指摘しています。

 そうすると、2つの課題が見えてきます。一つは、中高年と若手の経験格差の縮小によって、年功的賃金制度はその根拠を失いつつあるということです。「年齢とともに仕事の能力は高まっていく(はずだ)」というのが、この制度の一応の根拠ですが、それが怪しくなってきているとすれば、右肩上がりの給与カーブを生んでいる、昇進・昇格における年次(年齢や社歴)条件や定期昇給は、見直しが必要になってきます。

 そしてもう一つは、低成長時代においても経験が豊富に積めるための仕組みの構築です。社内外で人材を流動化させる策の他、現在、議論が盛んになっている日本的なジョブ型の雇用システムや職務給の導入なども、学習を促し、専門性が身に付きやすいという点で、検討に値するのはないでしょうか。