コロナ禍をきっかけに、多くの人が自分の人生や生き方について次のような根源的な問い掛け・振り返りを始めたように思います。

 自分はどう生きたいのだろうか?

 自分は何をしたいのか?

 本当に大切なことは何だろう?

将来のために現在を犠牲に

 この問い掛けについて、先日読んだ徒然草の一節が心にとても響きましたので、現代語訳で紹介します。

【徒然草・第188段「或者(あるもの)、子を法師になして」】

 ある者が、子どもを僧侶にして、「学問して因果の道理を知り、説教して生活の手段とせよ」と言った。

 子どもは、その教えのままに、説教師になるためにまず乗馬を習った。

 輿(こし)や牛車を持たない身で、仏事の僧として招かれたとき、馬などを迎えに寄こした場合、乗り方が下手で落馬するのが心配だったからだ。

 次に、仏事の後、酒などをすすめることがあるような場合、僧侶にまったく芸がないのも主催者が興ざめに思うに違いないということで、歌謡を習った。

 2つの技がだんだん、熟練の域に達したので、もっと上手になりたいと思って頑張って練習しているうちに、説教を習う時間がないまま年を取ってしまった。

 以上が「徒然草」の一節です。簡単にまとめると、この人は説教師になるために、説教ではなく、乗馬や歌謡を習い始め、その2つに熱中している間に年を取ってしまった。つまり、本当に大事なことを忘れて、脇道に時間を費やしたわけです。言い換えると、「将来」のために「現在」の貴重な時間を犠牲にしたのです。

 これを、昔の愚かな人だと笑ってばかりもいられません。なぜなら、私たち現代人も同じようなことをしているからです。

 50代後半の男性・竹内さんは将来、お金持ちになって仕事を引退し、悠々自適の日々を送りたいと学生時代から考えていました。「引退後は読書をしたり絵を描いたりして過ごしたい、小説も書いてみたい」と思い、無駄遣いせずにお金をコツコツため続けていました。

 しかし、悠々自適になるほどのお金はたまらず、投資に手を出して失敗するなど、引退できないまま50代後半に。竹内さんにとって、お金をためるのは「将来のため」だったはずですが、それがいつの間にか目的となり、「現在の時間」を浪費しています。

 もし、絵を描いたり、小説を書いたりしたいなら、引退するまで待たなくても、時間をつくってすぐ始めればいいわけです。このままでは、いつまでたっても絵は描けないし、小説も書けないでしょう。

 小野さん(仮名)は小学生の娘を持つ40代の公務員です。彼女は幼少期に家庭環境に恵まれず、あまり幸せではなかったそうです。成人して結婚したのですが、夫とは性格が合わず、仮面夫婦の状態です。

 仕事でもノンキャリアである小野さんは、自分の能力が正当に評価されていないことが不満で、幸せを感じていません。そんなことから、小野さんは「娘にだけは将来幸せになってほしい」という気持ちを強く持っており、娘を塾や数多くの習い事に通わせています。

 ところが、娘はどれに対してもあまり熱心に取り組まず、小野さんはカリカリして叱ることが増えました。娘はおおらかな性格で人に好かれるのですが、物事をてきぱきこなせるタイプではなく、ぼうっとしていることが多いそうです。

 この小野さんも、本当に大事なことを忘れています。本当に大事なのは、娘さんを幸せにすることだったはずです。塾や習い事はそのための手段だったのですが、それ自体が目的になっています。つまり、「娘を幸せにしたい」と習い事や塾に行かせているのですが、結果的にカリカリして叱っているため、お互いに不幸な状態になっているわけです。

 筆者が小野さんと話して感じたのは「今は大変でも、娘の将来の幸せのために」と思っているということです。つまり、将来の幸せのために今・現在を犠牲にしているわけです。ただ、筆者はこれこそ、人々を不幸にする最大の勘違いだと思います。なぜなら、将来というものは実在しないからです。それは水平線のようなものです。

 水平線を目指して船をこぐ人は、行けども行けども水平線にたどり着くことができません。常に遠ざかるだけです。水平線は存在するように見えますが、実は存在しないからです。水平線は海と空の境界にすぎません。将来も水平線と同じで、常に遠ざかります。これも実在しないからです。

 将来がやってくるときは、今・現在としてやってきます。ですから、実在する時間は今・現在だけなのです。この今・現在において幸せであることこそが、幸せになるための唯一の生き方であり、それ以外に方法はありません。将来のために今・現在を犠牲にしていると、そのまま一生、ずっと不幸せであり続けることになります。

子育てで大事なことは?

 筆者は教師として多くの親子を見て気付いたのですが、将来のために今・現在を不幸せにしていると、『不幸せ体質』が身に付いてずっと不幸せが続くことになります。

 子どもの場合で具体的に言うと、親に「なんで○○できないの! ちゃんとやらなきゃダメでしょ」と叱られ続けることで自己肯定感が持てなくなります。すると、「自分はダメな子だ」という自己否定感にとらわれてしまい、それをずっと引きずるようになるのです。

 また、親に叱られ続けることで、親に対する不信感を持つようになります。最初の人間関係である親子関係で不信感を土台につくってしまうと、その後の人間関係も不信感を土台にしてつくる可能性があります。つまり、人間不信・他者不信という状態になってしまうのです。

 こういう自己否定感と人間不信の状態こそ『不幸せ体質』というべきものであり、これが身に付いてしまうと、ずっと引きずることになります。親子にとって、目指すべき目的は親子共に幸せになることのはずです。そうであれば、将来ではなく、今日の今・現在において親子共に幸せであってほしいと思います。

 そのためには、子どもの短所を見つけ出して、否定的な言葉で責めるのはやめましょう。そして、ちょっとでも褒められる所を見つけて褒めるなど、肯定的な言葉を送りましょう。

 子どもが苦手なことやできないことには、目をつむる勇気も必要です。その分、子どもが好きなことや得意なことを応援して、さらに深められるようにしてあげてください。要するに、否定主義・減点主義でなく肯定主義・加点主義です。

 このようにしていれば、現在だけでなく将来においても自己肯定感が持てるようになり、親子関係もよくなります。これは「幸せ体質」というべきものであり、子どもたちに、ぜひ身に付けさせてあげてほしいものです。