米ローリング・ストーン誌の1987年10月22日号のカバー・ストーリーは「ザ・リターン・オブ・ジョージ・ハリスン」と題されたもので、彼の音楽界の第一線への復活を取り上げた記事であった。表紙はもちろん彼の渋い写真が使われた。

 ジョージにとっては5年ぶりとなるニューアルバム『クラウド・ナイン』の発売を翌月に控え、先行シングルとして「セット・オン・ユー(Got My Mind Set on You)」がリリースされたタイミングで組まれた特集だった。

 シングル、アルバムともに「復活」の名に恥じない好評ぶりだった。「セット・オン・ユー」はチャートを順調に上昇し、'88年初めには全米1位を獲得する。彼のアメリカでのナンバーワンは'73年の「ギヴ・ミー・ラヴ」以来である。

 ただ、この曲は彼のオリジナルではない。アルバム『クラウド・ナイン』を製作中にドラマーのジム・ケルトナーがスウィングとロックを混ぜたようなリズムを叩いていたら、キーボードのゲイリー・ライトが叫んだ。「このリズム、『セット・オン・ユー』を思い出さないか!」。

 ジョージはその曲を知っていた。'63年にアメリカに住む姉ルイーズを訪ねた時に買ったジェイムズ・レイのアルバムに収録されていたからだ。ジョージは驚いたという。「だって今まであの曲を聞いたことのあるヤツに会ったことがなかったのだ」。

 セッションでの偶然からカバーされ収録されることになった「セット・オン・ユー」。当時、アメリカでは大学のダンス・パーティなど人が集まるような場所ではジョージのカバーバージョンがよく流されていたという。それほどヒットしていたということだ。

 アルバムも米ビルボード誌で最高8位。'82年の前作『ゴーン・トロッポ』がプロモーション活動をほとんど行わなかったことなどから商業的に大失敗したこともあり、ジョージの復活ぶりはローリング・ストーン誌のみならず各紙誌で絶賛を浴びることとなった。

 ジョージにとってはELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)のジェフ・リンという好パートナーを得たことが大きかった。熱心なビートルズ・ファンの一人としても知られるジェフは、ジョージの経験を尊重し、彼の持ち味を十分に発揮させる腕を見せた。

 '85年にジョージが新作の構想を練り始めた時にすでにジェフはプロデューサー候補の一人に上がっていたという。デイヴ・エドモンズを通じてジョージとジェフは知り合い、「上海サプライズ」のサントラ用の曲の制作などを通じて信頼を深めていった。

 そんなジェフをはじめ、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、エルトン・ジョンら『クラウド・ナイン』の参加メンバーたちとともにジョージは'87年の6月初旬にロンドンのウェンブリー・アリーナで行われたチャールズ英皇太子主催のチャリティ・コンサート「プリンス・トラスト」に登場、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」と「ヒア・カムズ・ザ・サン」を披露。本格的な復活の前触れとなった。

文・桑原亘之介