東京2020パラリンピックのアーチェリーで、個人リカーブオープン(女子)と、チームリカーブオープン(混合)の2種目に出場する重定知佳。「てっぺん」(金メダル)を獲る力はついていると手ごたえを感じている一方、目標の実現には課題もあると語る。

車いすテニスからアーチェリーに転向

重定がアーチェリーを始めたのは、2015年のこと。それ以前は車いすテニスで活躍し、国内ランキングで上位になったこともあるほどの腕前だった。

重定知佳(以下、重定)車いすテニスは、20歳の時、当時勤めていた会社の同僚に誘われて始めました。中学2年で、両下肢がまひする進行性の難病「HTLV-1関連脊髄症」と診断されて以降、徐々に歩きづらくなってはいたのですが、その頃はまだ自力で歩いて移動していたんです。そのため、車いすはほとんど乗ったことがなく、ましてや競技用車いすなんて初めてという状態。片手にラケットを持ちながら、ブレーキもなく、くるくる回る競技用車いすを操作してボールを打ち返すなんて、どうやってやるのという感じで。ボールを出されても、打ち返せないのはもちろん、私一人だけ、キャーって言いながらボールと違う方向に行っちゃったり。でも負けず嫌いなので、がんばっていたら次第に腕が上がっていったんです。試合で勝てるようになると楽しくて、「パラリンピックに出たい!」なんて言うようにもなって。もちろん、練習はめっちゃがんばっていましたよ。仲間たちと全国を遠征して回るのも楽しかったです。

それでも、「テニスは向いてなかった」と振り返る。


力強いドローイングで日本のトップ選手になった photo by X-1

重定 試合で勝てていたのは、当時の女子としては珍しいハードヒッターだったから。ただ、チェアワークがいまいち苦手で、コートいっぱいにボールを振られると打ち返せなかった。そのため、コート内を激しく動き回りながら強く打ち返す選手が出てくるようになると、勝てなくなっていきました。それでも楽しくて続けていたのですが、1回戦負けが重なっていくうちに、ふと「私は何をやっているんだろう」と思ってしまって。当時勤めていた会社の理解が得られず、海外遠征に行ける見込みはなかったし、新人の選手にもすぐに負けてしまうようになると、あんなに好きだったテニスが楽しくなくなってしまいました。こんな状態で試合に出るのは対戦相手にも失礼だと思い、11年間続けた車いすテニスをきっぱりやめました。

アーチェリーは、1年でやめるつもりだった

それから2年間は、なんと船釣りを楽しんでいたというが、次第に車いすテニスをしていたころに感じた刺激がほしいと思うようになり、再び、スポーツを始めようと思い立つ。

重定 私はもともと、一人で何かに打ち込むことが好きなタイプ。だから、今度は自分一人でできるスポーツをと思い、見つけたのがアーチェリーでした。いろいろ調べたところ、自宅から車で通えるところでパラアーチェリー団体が活動していることがわかったので、連絡を取り、体験させていただきました。

初心者用の弓を借りて、矢をつがえ、弓を構えて弦を引き、パッと手を離しました。すると、スパンと矢が真ん中に刺さったんです。もちろん、ごく近距離の的なのですが、その爽快感と言ったら! めっちゃ楽しい!って思って、すぐに始めました。

あっという間にのめり込み、みるみる上達していったという。とはいえ、今度は「パラリンピックを目指そう」とは思わなかった。


アーチェリーは「1年間だけ」のはずだったが……

重定 車いすテニスの経験から、パラリンピックを目指すのは難しいってわかっていましたから。だから、アーチェリーはあくまでも趣味。1年間だけ真剣に取り組んで、いろいろな大会で優勝して、ぱっとやめようと思っていました。

最後の大会と決めて臨んだ2016年10月の全国障がい者スポーツ大会(希望郷いわて大会)で運命の出会いを果たす。開会式後に並んでいたトイレから、同年のリオパラリンピックで7位に入賞した上山友裕選手が出てきたのだ。

重定 私にとって、上山君はスター選手です。初めてテレビで見たとき、こんなにきれいなフォームで射つ車いすの選手がいるのかと心底驚きましたし、以来、憧れ続けていましたから。その選手が、まさか目の前のトイレから出てくるなんて! なんとか接点を持ちたくて、トイレの列から外れて追いかけ、「すみません」って声をかけました。 そして、「今回の試合で引退します。最後に優勝したいので、試合前の練習でフォームを見ていただけませんか」とお願いしたところ、「いいですよ」と快諾してくれて。翌日、本当に見に来てくれたんですよ。

重定がフォームの美しさを絶賛した上山もまた、重定のフォームの美しさに感心したという。実は重定は競技を始めたばかりのころ、母校を通じて世界トップクラスの指導者に基本的なフォームを教わる機会があった。重定はそのフォームを繰り返し練習し、習得していたのだ。東京パラリンピックで、ペアを組めるリカーブ女子選手の発掘にも力を入れていた上山は、重定に「日本代表を目指しましょう」と声をかけたという。

重定 憧れの選手が「原石だ」ってほめてくれて、うれしかったです。やめるつもりでいたのに、すっかり心を動かされて、「もう少しやってみようかな」なんて思っちゃって。結局、その大会は、大会新記録で優勝。そのため、日本身体障害者アーチェリー連盟の方たちからも注目していただき、「パラリンピックを目指さない?」とお声がけいただいたときには、「わかりました」と答えていました。


北九州を拠点に練習を重ねる重定。目指すは東京パラリンピックのメダルだ

突然の東京パラリンピック1年延期

その後、競技に専念するべく、重定は会社を退職。JOCの就職支援制度・アスナビを通じて新たな所属先を見つけ、競技環境を整えたこともあり、成績が飛躍的に伸び、活躍の場を広げていく。とくに2019年は絶好調で、6月の世界選手権では東京パラリンピック代表に内定し、10月のアジアパラ競技大会では、日本記録を更新して優勝。調子を維持したまま、2020年を迎えた。ところが、コロナ禍による東京大会1年延期が決定。これが重定選手に重くのしかかった。

重定 東京大会の延期よりも、緊急事態宣言が発出されたことの方がすごくショックでした。東京パラリンピックを目指すと決めて以来、練習を休んだのは、週に1〜2日と、練習場が閉鎖されるお正月ぐらいで、ひたすら突っ走ってきたんです。練習量が私の自信を支えていたのですが、練習がまったくできなくなってしまったら、これまで積み重ねてきたものがすべてリセットされてしまうのではないか。そう考えると、恐怖でしかありませんでした。

それでもできることをやろうと、自宅の部屋の中で、2mほど離れたところに置いた的を狙って射つ「近射」をしたり、筋トレをしたり、それなりに練習しました。だから、そんなに調子は落とさないで済むだろうと思っていました。実際、緊急事態宣言が明けて、久しぶりにパラリンピックラウンドである70mの練習をしたら、以前と同じような点数が出て。2mの近射より、やっぱり70m先の的を狙って射つ方が気持ちいいし、楽しい。「70、サイコー!」なんて思いながら、最初の1週間はただただ楽しく過ごしていました。でも、これは、いわば魔法の時間でした。1週間過ぎると、魔法が溶けたようにまったく当たらなくなったのです。

それで2019年から師事しているコーチに動画を送ったら、「フォームが乱れています」と言うじゃないですか。その後、コーチが実際に練習を見に来てくれた際には、「体が細くなっています」とも指摘されました。そこでやっと気づきました。実は矢取りのために70mの往復を繰り返すことが筋トレになっていて、それができなくなったことで筋肉が落ちてフォームが崩れ、当たらなくなっていたのです。


コロナ禍で緊急事態宣言の発出により練習場が閉鎖され、苦しい時間も過ごした

延期で生まれた1年という期間を利用し、フォームを現在の筋力に合うよう切り替え、練習を積み重ねた。北九州の練習場に取材に訪れた際の第一印象は「こんなに体の大きな選手だったっけ?」だったのだが、それは間違っていなかったようだ。体重を増やすと同時に、弓を引くのに必要な筋肉を鍛えることで体を絞り、風に負けない体づくりにも取り組んでいたのだ。その成果は確実に現れ、一度落とした弓の強さを再び引き上げることにも成功。以前より技術的には上がったという手ごたえを得、練習では自己新記録を更新するまでに成長した。

重定 練習に限ってのことではありますが、今は絶好調だった2019年より点数が出るようになっています。ただ、試合では、ほかの選手たちが横一線に並んで射ちますし、結構緊張するタイプということもあり、まだ点数が安定しません。試合慣れすることがすごく大切なのですが、いまは試合自体が少なく、経験を積む機会がない。それだけが気がかりです。

でも、東京パラリンピック本番でいつも通りの射ができれば、リオパラリンピック金メダリストでオリンピアンでもあるザーラ・ネマティ選手(イラン)にも勝てる自信があります。そのためにも、まずは予選ラウンドを4位以内で通過し、ネマティ選手と決勝で当たるようにしなければ。これから本番まで大きな試合を経験できませんが、練習環境を工夫しながら備えます。

憧れの選手だった上山選手とペアを組んでのチーム戦出場も目指しており、「ふたりの調子がそろえば、恐ろしいぐらいのペアになる」と、自信をのぞかせる。カギは、試合の入り方。ぜひ本番は、一射目から注目してほしい。

text by TEAM A
photo by Hiroaki Yoda