子どもの頃、将来は何になりたいかと尋ねられて、スポーツ選手と答えた人はどれだけいるだろうか。スポーツを生業にする。つまり自分の好きなスポーツを人生の軸に据えて生きるという夢を叶えられるのは、残念ながらごく少数。なぜなら、よほどのエリートじゃないと、それだけでは“食えない”からだ。しかし、若い働き手がいない地域に移住して、その夢を実現しようとしている人たちがいる。なぜ? どうやって? 「サッカークラブ×移住×農業」をスローガンに掲げ活動しているサッカークラブ“南紀オレンジサンライズFC”の代表・森永純平氏に伺った。

そこに存在するだけで価値を創造できるようなチームを作りたい

サッカーのクラブチーム、南紀オレンジサンライズFC

和歌山県田辺市は、県中南部にある県第2の都市。有名な熊野古道の中辺路ルートと大辺路ルートの分岐点に位置すると言われても、どういうところなのか、行ったことのない人にはなかなか想像しにくい。森永氏いわく「こう言っては申し訳ないんですが、特産の梅がなくなったら何もないというような地域」なのだそう。そんなところに今年2月、サッカーのクラブチーム“南紀オレンジサンライズFC”が誕生した。しかも、選手、監督などをはじめとするスタッフ、全員が県外からの移住者だ。元旅館を選手寮にし、週○回サッカーの練習の傍ら、周囲の梅やみかん農家、梅加工会社、障がいのある子どもたちを対象とした放課後デイサービスなどで働く。

このようなサッカーチームを作ろうと考えたのは、なぜなのだろうか。代表の森永氏は大学卒業後、野球やサッカーなどいくつかのクラブでマネジメントの仕事をしてきた。その中で思うところがあったのだという。

「誰もが知っているような人気チームなら良いんです。でも、それほど有名じゃないチームの場合、野球好き、サッカー好きな人たちには応援されますが、興味のない人たちには全く関心を持たれない。そもそも応援してくれる人のパイが小さい中で、活動を続けることにどれだけの価値があるんだろうかと思いました」

大学時代にスポーツのマネジメントについて学んでいた森永氏は、いつか自分でチームを作りたいと思い続けていた。その中で、どうせ作るのだったらチームがあるだけで存在価値を生み出せるような、そんなチームを作りたいという思いを強くしていったのだという。

「社会人のチームは特に入れ替わりが激しくて、毎年半分以上が辞めていき、新しい選手が入ってきます。つまり、毎年当たり前のように若い人が来るっていうのはサッカークラブの強みじゃないかと考えたんです。ただ、彼らはサッカーのために来ているので、辞めたらその場所を離れていきます。じゃあ、サッカーを辞めた後もその地域に残ることができるような選択肢をクラブとして作り、メンバーもコロコロ変わるんじゃなくて、できるだけ長くその地域にいられるような仕組みを持ったクラブを地方に作ったら、そのチームがあるだけで、若い人がそこに集まるという形で価値を生み出せるんじゃないか。そう考えたのが南紀オレンジサンライズFCを作ることになったきっかけです」

たとえサッカーを辞めたとしても、そこで生活し続けるという選択肢も

練習や試合のない土日の空き時間に地元の農家で作業を手伝う選手。地域とのつながりによってファンを増やすことができる

地方に移住してサッカーチームを作ろうと決意した森永氏は、移住に力を入れている県を探していった。そのひとつが和歌山県。移住関係のホームページを県が作るなど移住者の受け入れに積極的な姿勢が見られたのだという。

「和歌山市には、Jリーグを目指しているチームが既にあったんですが、紀南にはまだなくて、田辺市や上富田町にはオフの期間にJリーグのチームがキャンプに来るぐらいの良い芝のグラウンドがある。練習する環境が整っていていいなと思いました。そこで一度アポなしで、田辺市の隣のみなべ町の役場をぷらっと訪れて“すみません、ちょっとサッカークラブを作りたいんですけど……”と言ったことがあったんです。そんなことをいきなり言われたら誰だって引くはずなんですが(笑)、“そういうことだったら、教育委員会に話してみて……”という具合にトントン拍子に話が進んでいきました」

みなべ町は梅作りが盛んで、役場には専門の「うめ課」があるぐらいなのだそう。しかし、高齢者が多く後継者不足が悩みであることは、他の地方と同じだった。

「ここにチームを作れば、選手がゆくゆくはサッカーを引退したあとに農家を続けるとか、サッカー以外のところでも役に立てる選択肢を持つことができるので、良い場所だなと思いました。まあでも、何と言っても単純に対応がよくて、みなさんがどんどん僕たちを快く受け入れてくれたというのが大きいですね」

田辺市で南紀オレンジサンライズFCを始動することを決めてから、森永氏はHPなどを通じて、“こちらにサッカークラブを作るので、選手の働き先を探しています”と片っ端から問い合わせを入れた。それに返事をくれたところで選手達は働いている。

「農業は初めてという選手ばかりなので多少不安はありましたが、意外に自分に合っていると思う選手がいたり、逆に単純作業の繰り返しに戸惑っている人もいます。やってみなければわからないですから、そんなものではないでしょうか。また、ほとんどの選手が、ここに来て初めてプロとしてのプレーを見たという状態だったので、どうしても実力差は顕著にあって、すでに辞めてしまった選手はいます。しかし、辞めた後も和歌山に残って働いてくれているのはうれしいですね。まだ始動して5ヵ月ほどですが、みんなチームの活動に愛着を持って、ここでの生活に順応しようとしてくれているので、来年も残ってくれそうです」

サッカーを知らない人でスタジアムを一杯にする

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試合が開催されると、選手の職場の同僚たちがグラウンドに見学にやってくる。それまでサッカーなんて見たことがないという高齢者もいる。あるとき、応援しに来た農家のおばあさんが、ゴールキーパーのウェアを見て“なぜあの人だけ色が違うのを着ているの?”と尋ねていたこともあったそうだ。

「このチームに集まった選手は、もちろんサッカーが上手いんですが正直エリートではないので、関係者以外の人から応援されるという経験は、今までしたことがなかったと思います。でも、ここではそういう風にルールを知らないおばあちゃんからも応援を受けることができる。それは自分たちがここでみんなと一緒に働いているからこその結果なので、仕事も真面目にやろうという気持ち、そしてサッカー選手としての自覚が芽生えてきていることは感じますね。選手たちが、ただサッカーをするだけじゃなくて、農業などの仕事はもちろん、地域に向けた活動をすることによって、人としての価値が生まれる。そうなれば勝ち負け関係なく応援されるクラブになっていきますし、選手が仮にサッカーを辞めたとしても、その後の人生も諦めずに生きていくことができるようになるのではないでしょうか」

まさに、森永氏が南紀オレンジサンライズFCを作るに当たってもくろんでいたことが達成されつつあるということだろう。

牟婁(むろ)とは、現在の和歌山県の一部と三重県の一部にわたって存在した郡。地元に根ざしたメッセージが選手を応援する

「まだまだ僕たちのことを知らない人は多いですから、これからはもっと認知度を高められるように活動していかなければいけないと思っています。最近は地域のイベントとか、小学校などで教えてほしいと言われることも増えてきました。そういった地道な活動を広げていく中で、農家さん以外の方にもチームのことを知ってもらい、農業以外でも人手不足で困っていることがあれば手伝いますよと言っていきたいですね。そんな風に地域の人との繋がりを深めていって、いつかサッカーに興味がない、ルールも知らないなんていう人でスタジアムを埋めたい。それが夢です」

最後にちょっと意地悪な質問をしてみた。こんな森永氏の果敢なチャレンジに対して同じサッカー界の反応はどうだったのだろうか。ネガティブな意見はなかったのかと。「陰で何を言われているかは分からないけれど、一応、ポジティブな言葉はもらっています。ただ、チームが大きくなっていく過程では、賛否両論がないといけないと思っているので、“大丈夫なの?”なんて言われると、そういう意見があるんだと逆に勉強になります」と、森永氏は答えた。賛成の人ばかりだと、怖くなるのだという。ネガティブなことを言われても心が折れない強さがあるのだろう。“メンタルの強さ”と、“なにがあっても引き摺らない切り替えの早さ”が自分の持ち味だという森永氏の夢が叶うのは、そう遠いことではないような気がした。

text by Sadaie Reiko(Parasapo Lab)
photo by 南紀オレンジサンライズFC,Shutterstock