車いすバスケットボール男子日本代表として4度パラリンピックに出場した香西宏昭。高校卒業以降、アメリカ、ドイツと海外に拠点を置き、世界のトップレベルでプレーしてきたが、2022年に帰国。現在は、東京を拠点に活動する車いすバスケットボールチーム「NO EXCUSE」でプレーすると同時に、後進の育成にも力を注いでいる。35歳となった香西を突き動かしているものは何か。未来を見つめる視線のその先にあるものに迫った。

香西宏昭(こうざい・ひろあき)|車いすバスケットボール
1988年生まれ、千葉県出身。幼いころから野球が好きで、「永遠のアイドル」は松井秀喜。車いすバスケットボールを始める前の夢は、短距離選手。死ぬまでに絶対行きたいところは、グランドキャニオン。国際パラリンピック委員会公認教材『I'mPOSSIBLE(アイムポッシブル)』日本版の初代アスリートアンバサダー。

インタビューは2023年12月に実施した

帰国決断の理由

――約2年前、ドイツのトップリーグのチームからオファーがあったにもかかわらず、帰国を決断した。理由は。

香西宏昭(以下、香西): 東京(2020パラリンピック)の前、日本での所属チーム(NO EXCUSE)のヘッドコーチで恩師でもある及川晋平さんが日本代表のヘッドコーチだったときに、個別でミーティングをしてくれたことがありました。そのときに「宏昭のなりたい選手って何なの」って聞かれて。どこかで途中から、使命とか責任とかっていうことが大きくなっていた時期もあったんです。代表選手だから、もっとこうならなきゃいけないみたいな。そのため、そのときも「東京で3ポイントシュートは何%で、2ポイントシュートは何%という数字を出せる選手になる」というように答えたんです。(でも、晋平さんが)「こういう選手にならなきゃいけない」よりも「こうなりたい」のエネルギーの方が絶対強いよね、と(指摘してくれた)。なるほどな、たしかにそうだな、と思いました。

そのときのことを思い出して、帰国という決断をする前に、今、自分がやりたいことって何だろう、と改めて考えてみたんです。多分、まだ体力的にも技術的にもドイツリーグでやれる。でも、このままドイツにいることが本当にしたいことなのか……。考え抜いた末に、それよりも、次の世代のみんなに機会や場をつくることをやりたい、と思い至りました。

正直、少し寂しさもありました。自分の成長のことだけを考えてバスケットをやってきた自分が、次の世代、そのまた次の世代のことを考えるようになった。こういう決断をする自分が出てきた。ということは、もうちょっとで終わるんだな、と(自覚せざるを得なかったからです)。でも、今はすごくそこに関心があります。

自身が“コーチをする側”になることはあまり想像していなかったという香西

――帰国後、自身が所属するチーム(NO EXCUSE)でジュニア世代を継続的に育成するアカデミーを立ち上げた。

香西: 東京大会で(車いすバスケットボールを)たくさんの人たちに見てもらうことができたおかげで、体験会が増えたと思うんです。でも僕自身、子どもの時は同年代とやる機会がほぼありませんでした。だからこそイリノイ大学に行った、ということがあります。でも、『アメリカに行かなきゃ同年代とできない』というのはなんかちょっと違う。そもそも選択肢がないというのはおかしいな、と思いました。

とはいえ、最初は、本当にざっくり「子どもたちのために何かをしたい」。「どうやってやるの?」と聞かれたときに「え、わからないよ」みたいな感じだったんです。でも、東京大会からの時間が空いて(熱が)冷めきってしまう前に、とにかく動かなくては。体験会があって、クラブチームがあって、その中間(アカデミー)がない。それならば、(アカデミーを)日本につくりたいと(動き始めました)。

コーチングは、Jキャンプの補助講師やイリノイ大学でサマーキャンプとかも経験があったのですが、当時から常々感じていたのは「向いてないな」ということです。教えることは自分にとってはとても荷が重い。だから、やるつもりはなかったんですよ。ただ、頭の片隅で、(元男子カナダ代表HCの名将)マイク・フログリーさんのバスケットを教わってきた僕が(教えないのは)違うんじゃないか。自分の意志とは別に「やらなくてはいけない」とは思っていたのです。それが、むしろ「やりたいこと」になっていきました。

――ここまでの手ごたえは。

香西: 選手たちって、WHYとHOWを知りたがる。なぜその練習をするのか、どのようにやるのか。その説明がすごく大事だなということは、自分自身がわかっていたはずなんです。けれども、いざコーチングとなったときに忘れてしまう。(でも、子どもたちが)理解しようとしてくれるし、チャレンジしてくれる。本当にみんなに助けられているところがあります。プレーヤーとしての自分にとっても、ちゃんとそのスキルを理解してるか(の確認)につながっていくし、いい勉強になっています。慣れみたいなのはありますが、コーチングは勉強していかないといけませんね。

みんなが楽しそうにやって成長してくれていることに、ほっとしています。達成感というよりは不安が軽減されたという感じ。アカデミーの中に、僕たちのチームに入りたいと言ってくれている子もいるんですよ。(すぐには)僕らのレベル(でプレーするの)は難しいと思うので、例えば、セカンドチームをつくったりなど、段階的にステップアップするような仕組みができるといいのでは、などと思案中です。

子どもたちに何かを伝えるとすぐに吸収してくれる。「達成感みたいなものを感じられますし、いい勉強になります」

若い世代に伝えることの意義

――子どもとのかかわりという意味では、学校で講演もしている。

香西: 例えば、小学校に講演に行ったときに、「ファミレスの入口のスロープに自転車がいっぱい停まっていて困ることがある」という話題を挙げると、しばしば「そんなの、あるの?」っていう反応をされるんです。そもそも(スロープの存在に)気づいてない。なぜそこにスロープがあるのか。車いすを使っている人がいるかもしれないし、ベビーカーを押している人がいるかもしれない、といったことまで想像できるようになるといいですよね。

――長年生活したアメリカとドイツではどうだったか。

香西: それぞれいいところがありました。アメリカは、障がいがあることが理由で差別をしてはいけない、という法律があります。ドイツは、僕にとってハード面は(日本と)あまり変わらないのですが、障がいがあろうがなかろうが、お互いを助け合うみたいなところはありました。

決して日本がバリアフリー化が進んでいないということではなく、今、進んできているところだとは思います。もちろんハード面が整うのが一番なのですが、やはり(国土が)小さい国なので難しいところはありますよね。だとしたら、やり方(も大事)かも、と思います。

日本では駐車場やトイレやレストランは下調べをしてから出かけなくてはならず不便を感じることがあるという

――アカデミーや講演活動を通じて、子どものころから教わる場があることの大切さを実感している。

香西: やはり教育が大事。東京大会でレガシーを残そうという中で、若い世代の小学生、中学生、高校生に教えていくということは、後々、社会を変えていくことにつながっていくのではないでしょうか。

社会が変わるという意味では、仕組みや制度が変わるのが一番いい絵だとは思うんですよ。でも、それだけではなく、子どもたちが学んだことを親御さんたちと話し合って、会話が生まれたり。あるいは、今の若い世代が大人になって子どもが生まれたら、またその子どもたちに教えたり。それがちょっとずつ普通になっていくのが、社会が変わっていくということなのかもしれません。

知ろうとすること、知ることから、何ごとも始まっていく。いいつながりが未来につながっていくといいですよね。

香西選手も登場するアニメーション教材が新たに公開! 『I’mPOSSIBLE』日本版公式サイト
https://iam-possible.online

text & photo by TEAM A