弱冠29歳で名門ドイツ・ボン大学の哲学科教授に就任したマルクス・ガブリエル氏。彼は、日本で重要な役割を担った仏教とドイツ観念論を比較し、両国における価値観の決定的違いを指摘する。世界最高の知性が語る、哲学の深淵とは。

※本稿は『Voice』2019年4月号、マルクス・ガブリエル氏の「民主主義を哲学する」を一部抜粋、編集したものです。


日本の規律の裏にはカオスが隠れている

――(大野)私が、コーネル大学やニューヨーク医科大学で学んだのは化学や基礎医学ですが、せっかくの機会ですので、“哲学界のスター”といわれるあなたと哲学の話をしたいと思います。

日常会話で日本語は主語を使わないことからもわかるように、日本人は環境と人間が一体となった「一元論」の世界で生きているといえる。これはドイツ人の世界認識の方法とは異なるでしょうね。

【ガブリエル】 私の日本社会に対する最近の印象を単刀直入にいうと、お互いに自己主張をしないで、ぶつからないようにする洗練された社会です。そのやりとりは「メンタル空手」といってもいいでしょう。

アウトサイダーとしてこれを理解するのは無理ですが、それが存在していることはわかります。日本語には「メンタル空手」を表す複雑な語彙がありますが、上下関係によって変化しますね。

それは明らかにドイツのモデルではありません。ドイツの場合は「私対残りの現実(me against the rest of reality)」です。「私はエゴイズムの中心であり、彼女もエゴイズムの中心である」というように、完全に自律しています。

ドイツの哲学者、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテはイマヌエル・カントの哲学に大きく影響を受けた人です。フィヒテの人間の営みに関する哲学は、現代のドイツの政治哲学と制度上の現実に一致していると思います。

一方、日本の歴史にとって重要なのは仏教です。仏教の社会的現実が日本人にエゴを減らせ、と命じています。実際、横浜を含めると3700万人が住んでいる大都市の秩序をどうやって維持し、運営するのでしょうか。

エゴを減らさないとできません。ドイツの最大の都市はベルリンですが、3700万人もいれば、市民戦争が起きるでしょう。

ドイツの国内は混乱しています。ドイツを統一された1つの国と考えてはいけません。1989年に東西ドイツが統一されましたが、あまりに人工的です。ドイツのある州から別の州に行くと、まったく違う国のようです。

――これは半ば「ジョーク」ですが、日本人は欧州人をこうみています。フランス人は少し遅れてくる。ドイツ人は時間どおりに来る。スペイン人は、今日も来ないかもしれません。しかし、そこで30分は待ってみるのが日本人です。

【ガブリエル】 それは非常に当たっていると思います。日本は規律正しい国です。でも、その裏にはカオスが隠れている。

日本は戦後いろいろな点で静かになった国ですが、私が編集者とお金について交渉しているとき、戦争のような気質が見られます。

日本社会にはバイオレンスも散見されます。それは抑圧されたバイオレンスです。日本に行くと、私の友人はそういう隠された裏の面を見せてくれます。

――カントは毎朝、時間どおりに散歩したといいますが、ドイツ人が規則に対して厳格なのは、ドイツ観念論の影響なのでしょうね。

【ガブリエル】 ドイツの観念論は、思考の絶対的パワーを信じることです。カントは有名な観念論者でした。彼はドイツ観念論の源です。

カントは思考のために完璧な1日を過ごしました。儀式をもったのです。毎日がほとんど同じです。ランチやディナーのために人を招待したときは例外ですが、会話のテーマによって飲み物も選択していました。

彼が行なうすべてのことは哲学について解明することでした。他のことはどうでもよかったのです。

肉体は、Critique of Pure Reason(『純粋理性批判』)のための手段であった。それが真のドイツの観念論です。イデア(世界の個物の原型。純粋な理性的思考によって認識できるとされる)の永遠性を信じることです。


ニュースはほとんどがフェイクニュース

――日独両国民の世界認識の仕方は、異なっているわけですが、一方で私はあなたとの「連帯」が可能であると信じて、あなたが待つパリまでやって来ました。こうした「確信」はどこから来るのでしょうか。言い換えれば、道徳には普遍性があるということでしょうか。

【ガブリエル】 もちろんです。人間という動物は普遍性の源です。その点で私はドイツの観念論主義者です。

加えて普遍主義には、生物学的な基盤があります。よほどの変質者でないかぎり、誰も子供が拷問をかけられているのを見たくありません。そのような映像を見せられたら、日本人であれ、アフリカ人であれ、アメリカ人であれ、その残酷さにショックを受けます。

残酷さに対する即時の反応は完全に普遍的です。このように、人間の道徳観には普遍性があることを理解するのはとても簡単です。しかし、われわれはそれを異なる文化で覆います。

――あなたと私の「対話」は活字になり、日本の読者に読まれるでしょう。しかし、いまやインターネットに溢れる情報は膨大です。ロシアは意図的にSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じて「フェイクニュース」を流し、ブレグジット(イギリスのEU離脱)にも影響を与えたといわれます。

【ガブリエル】 われわれがフェイクニュースと呼んでいるものは昔からあります。それはプロパガンダであり、操作にすぎない。

インターネットはたんに外国勢力が他の国の公的領域に介入するのを簡単にしただけです。だから、情報戦が起きるのです。

――EUもロシアにやり返しているという意味ですか。

【ガブリエル】 当然ながら、EUもプーチンの悪意あるイメージを創り出し、ロシアと戦っています。プーチンにはいろいろな面がありますが、ヨーロッパの主流メディアが描くプーチンは悪者のイメージです。

では、真のプーチンはどうやったら解明できるか。私は、それは不可能に近いと思います。メルケルや習近平、ドナルド・トランプのような人たちも、側近以外の者はその人物を本当に知ることは不可能でしょう。

たとえ事実があるとしても、『ニューヨーク・タイムズ』がドナルド・トランプについて日々報じているニュースはフェイクニュースです。

われわれが目撃しているグローバルな情報戦では、ほとんどのニュースがフェイクニュースです。

社会学者がそれを調査してから記事にしているわけではありません。何の理論にも調査にも裏付けされてない。そもそも、社会秩序の理論はいまありません。

――絶対的なスタンダードがありませんね。

【ガブリエル】 そうです。経済学者がいっているのも、根拠がない数学です。大企業は正確な数字を公表しません。だから、経済学者が本当のことを知りようがないのです。どうやってわかるというのでしょうか。

――フェイクニュースに抗する方法はありますか。

【ガブリエル】 調査報道があります。ですが、いまそれは危険です。真のジャーナリズムを追求しようとすると命を落とします。いわゆる自由世界では、物事を深く掘り下げていくと、職を失います。

本当に批判的な知識人や真のジャーナリストは命懸けでやらないといけませんが、命を失っても誰も気付きません。

――ドイツの連邦カルテル庁は、2月7日、フェイスブックのデータ収集について、大幅な制限命令を出しました。これをどう思いますか。

【ガブリエル】 ドイツは過去10年間、自分たちがやってきたことをうまく隠していました。

ドイツは現在、世界の重要なプレーヤーである印象をもたれていますが、人口8000万でしかない小さな国がどうやって世界のトップ5に入ったのでしょうか。それは自分たちがやってきたことを隠してきたからです。

ドイツの新聞のトップページにメルケルの顔を載せておけば、何が実際にドイツで起きているか誰にもわかりません。

そこにソーシャルメディアが入ってきたのです。ドイツ人のマインドや情報を研究するために入ってきたのです。だから、ドイツ当局は制限したのです。