2001年の9.11を契機に、アメリカ軍はアフガニスタンに駐留、以後20年におよぶ内政干渉を続けてきたが、何の成果も出せずに失敗した。現場に通い続けたジャーナリストが見る、アメリカの理解不能な愚策とは?

※本稿は、佐藤和孝著『タリバンの眼――戦場で考えた』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。


アフガニスタンを行き交うギョロ目

私がアフガニスタンを初めて訪れたのは1980年。前年12月のソ連によるアフガニスタン侵攻がきっかけだった。まったく何のつてもなく、隣国のパキスタン経由でアフガニスタンに入ったのは24歳のころ。

パキスタン・カラチの飛行場に降りた瞬間、行き交う人々のギョロ目に圧倒された。怖いというより、完全な異世界に足を踏み入れてしまった、という印象だった。

パキスタン北西の辺境地帯にアフガニスタンのゲリラ各派の事務所がある、との新聞情報だけを頼りに、ホテルやリキシャ(三輪車、語源は「人力車」)の運転手に尋ねて回った。

ゲリラの事務所を見つけて毎日「連れていってください」と通い詰めて頼み、ようやく輸送部隊の弾薬トラックに乗せてもらったのがすべての始まりである。いま考えると無茶苦茶だが、それなりに手続きは踏んでいたことになる。


一つの文明としてのイスラム

1970年代のアフガニスタンの写真を見ると、共産主義政権時代のアフガニスタンでは女性がミニスカートで街中を歩いている。意外に規範が緩い社会だったのだ。その空気が変わったのは、ムハンマド・ダウド首相の時代である。

ダウド政権は軍事的・経済的援助と引き換えにソ連の指導を受けた。国内の宗教弾圧を強め、思想統制を施した。これに対し、ソ連の共産主義に反発してイスラム主義の炎を燃やしたムジャヒディンがソ連との対決姿勢を強めた。

義勇兵、そしてアメリカの支援により、ソ連も2021年のアメリカと同じように、1988年から89年にかけてアフガニスタンから撤退することになった。

つまりこの国を共産主義化しようとしたソ連の狙いも、民主主義化しようとしたアメリカの狙いも、共にアフガニスタンの壁の前にもろくも崩れ去ったことになる。専制主義に近いという意味では、共産主義のほうがまだしも芽があったかもしれない。

だが、やはりイスラムはイスラムである。国際政治学者のサミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で記したようにイスラムは7世紀以来、一つの独立した文明ということなのかもしれない。


ベトナム戦争以来の「完全敗北」

2021年8月15日のタリバンによるカブール制圧、26日のカブールの国際空港近辺での自爆テロによるアメリカ軍兵士らの死亡、そして9月のアフガニスタン撤退は、アメリカにとって1955年から75年まで20年を費やしたベトナム戦争以来の「完全敗北」である。

まぎれもなく歴史の大転換点といってよい。たしかに以前から、アフガニスタン国内では一般市民のあいだでもアメリカのアフガニスタン撤退が囁かれていた。

「アメリカ軍がカブールから撤退すれば、重しを失ったガニ政権はもたずに早晩、潰れるだろう」

それにしても、これほどあっけない幕切れとは思わなかった。2001年にアメリカがアフガニスタンに侵攻してから20年。外来の価値観の影響を受けて生まれ育った子供が成人した頃合いである。

ソ連共産主義に抑圧された体制下で生きてきた庶民は、タリバンやアメリカの到来によって社会に自由な雰囲気が生まれ、いままでと違う未来が開ける期待を抱いたはずだ。ところがアメリカ軍はアフガニスタンから撤退してしまい、もういない。タリバンの完全勝利といってよいだろう。

いま思えば、2021年8月にタリバンが電撃的に侵攻したのは、コロナ禍だったことの影響が大きい。アメリカやヨーロッパ諸国が軒並み国内の感染爆発を起こし、医療崩壊やロックダウンなど種々の緊急事態に見舞われるなか、中東の対応に経済的資源や人的資源を割く余裕はとうていなかった。

タリバンは欧米の内政状況をつぶさに見て、いわば間隙を突くかたちで攻めの手に出たように思われる。いずれにしても、コロナ・パンデミックがタリバン快進撃の追い風になったことは間違いないだろう。