「ブルーレット」や「サワデー」をはじめ、隠れたニーズにわかりやすく訴求する新商品をいくつも生み出し、親しまれている小林製薬。

数々のアイデアをヒット商品へと導いてきた会長の小林一雅氏に、その秘訣と次世代リーダーの条件を聞いた。

※本稿は、『THE21』2022年5月号特集「次世代のリーダーたちに伝えたいこと」より、内容を一部抜粋・編集したものです。


「どこで、どのように闘うか」常に問い続ける

私は37歳のとき、小林製薬の社長になりました(現在は会長)。

それまでの当社は、医薬品の卸業が主体でしたが、同族企業の4代目社長として、衛生日用品・医薬品の新製品開発の伸展に情熱を燃やしました。

会長になってからは、卸事業と訣別し、メーカー1本の経営に絞ることで、現在まで、持続的な成長を維持しています。本年2月には、24期連続増益と23期連続増配を発表することができました。

この変化への挑戦、すなわち卸からメーカーへの事業転換を進めていく中で、私は「ニッチマーケットで闘う」という戦略の選択も行ないました。

当社には「サワデー」「ブルーレット」「アンメルツ」といった長寿ブランドがありますが、いずれもその選択に基づくものです。

製品開発において特に標榜したことは、「サムシング・ニュー(something new)」であり「サムシング・ディファレント(something different)」な商品を創造するということ。

消費者が「あったらいいな」と思う、潜在的なニーズを探り当てた新製品をいち早く開発し、ニッチマーケットを開拓していくことにあらゆる企業努力を重ねたのです。

こうした当社の闘い方を、私はいつからか、「小さな池の大きな魚」戦略と名づけていました。小さな池を誰よりも早く見つけ、そこに潜む大きな魚を釣り上げる──。

前掲のブランドだけでなく、例えば「命の母A」「サラサーティ」「熱さまシート」などがその代表的な商品です。「のどぬ〜る」や「フェミニーナ」、そして現在大ヒット中の「ナイトミン 耳ほぐタイム」もそこに当てはまります。

当社は基本的に、同業種の大手企業がひしめくような市場、すなわち「大きな池」への新商品投入を考えません。

業界上位にいる大手の資本力等を考慮すれば、「大きな池で大きな魚」を釣り上げるのは明らかに困難だからです。

同じ10億円を売り上げるにしても、100億円の市場の中での10億円と、自らが新しく創造した市場での10億円は、その価値がまったく違うということを、私たちのような規模のメーカーはよく理解しておく必要があります。

自社がどこで闘うのか。そこでどう闘うのか。勝つためにどんなビジネスモデルを創り上げるのか──。このことは、個々の仕事や人生においても、常に意識しておくべきことなのではないでしょうか。


能力は高いのに「物足りない人」

新しいもの、従来とどこか違うものを生み出していかない限り、人間も企業も、成長や発展を遂げることなどできない。

そう考え、それまでになかった消費を新たに創造するために、社員と共に、あらゆる努力を重ねてきました。

そして同時に、社員一人ひとりの能力を最大限に高めていくための仕組みづくりや人材育成にも、常に心を砕いてきたと自負しています。

私はよく「世の中に続々と開発される新製品があって、色んなところで宣伝されているではないか。それらすべてが、あなたの成長の糧となるケーススタディだ」と社内で説いてきました。

「なぜこの新商品はお客さまに支持されるのか」を自分なりに様々な角度から分析・把握し、理解する。

売れると予測したものが売れなかったら、その原因は、ネーミングにあるのか、パッケージなのか、元々のコンセプトか、はたまた広告宣伝か、と考える。そのように地道な学習を続けるところに、個々のマーケティング能力やレベルの向上があり、個人の集まりである会社の成長もあるのです。

現在、私は会長職にありますから、基本的には、社長以下の経営陣に当社の経営の舵取りを任せているのですが、教育研修だけは、好きにやらせてもらっています(笑)。

当社には「K営塾」と称する幹部候補社員への教育研修の場があり、そこで30代、40代の社員とじかに接しているのです。ちなみにKは、一雅の「か=KA」を示すもので、社員が皆、私のことを「Kさん」と呼ぶことに由来しています。

この研修の場などで、当社の次世代のリーダーたちと接し、議論を交わしていると、時折、能力は高いのに、どこか物足りないな、という人を見つけることがあります。

誤解を恐れずに言えば、「考えの浅さ」を感じるのです。短絡的と言うか、緻密さが足りないとも言えるのかもしれません。それはもちろん、私との経験の差から来る面もあるのかもしれませんが、「どこかで妥協をしているからではないか」と思えてならないのです。

難題にぶつかったとき、「もうここまでだ」と思ってしまう人。そうでなく、「まだまだやれる」と思う人。後者の生き方のほうが、自分の限界や可能性を拡げることになり、深い考え、緻密さといったものを涵養していくことにもつながるのは、言うまでもないことのように思います。