現代社会で問題になっている「非正規労働者の増加」。なぜ多くの若者が非正規で働かざるを得ない状況に陥っているのか。サイボウズ人事部の髙木一史氏は、「純血」を求める日本企業に原因があると指摘する。

※本稿は、髙木一史著『拝啓人事部長殿』(ライツ社)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「フルコミット」「ヒエラルキー」「クローズ」
会社から排除され続けてきた人たち

日本企業が非正規雇用の割合を増やしたことは、社会問題として大きくマスコミにも取り上げられました。しかし実は、1990年代以前にも非正規雇用の人たちは一定数存在していました。では、なぜそうした人たちの存在が社会問題として取り上げられてこなかったのでしょうか。

非正規で働く人たちの内訳を見てみると、その理由が見えてきました。

厚生労働省「労働力調査2015年」を基にした海老原さんの分析によれば、非正規雇用でいちばん多いのは「主婦」の44.5%、次に多いのが「シニア層(60歳以上・男性/未婚女性)」で19.2%、続いて「学生」が8.6%。主婦・シニア・学生、この三者だけで全体の72.3%にまで及びます(。 

それまでの日本社会では、こうした人たちは「縁辺労働者」として扱われてきました。一家の大黒柱である壮年男性の周辺にいて、家計補助的に働く人たちのことです。

つまり「一家の大黒柱であるお父さんが稼いでいるのなら、それ以外の人たちが低待遇にあったとしても問題ない」という社会的なコンセンサスが成立していた、という見方もできます()。

しかし、1990年代以降に正社員の採用が絞られたことで、本来であれば将来家計を担っていくはずの若年成人男性が正社員になれず、非正規になるケースが出てくるようになりました。

そこで初めて非正規問題にスポットライトが当たり、日本企業の企業封鎖性が大きな問題として取り上げられるようになりました。

具体的には、日本の会社のしくみは「フルコミット」「ヒエラルキー」「クローズ」という風土を生み出し、「性別」「年齢」という2つの点において、これまで多くの人を排除し続けてきたのです。

 

日本の会社で、仕事と家庭を両立できないのはなぜか?

日本企業には、長らくの間、女性を長期的なメンバーシップから排除し続けてきた歴史があります。その背景には「男性は仕事、女性は家事育児」といった性的役割分担の意識もありますが()、より根本的な原因がありました。

それは、無限の忠誠を前提とした会社のしくみと、それが生み出す職場での「コミュニケーション」つまり「風土」です。具体的には、つねにすべてを会社に捧げることを求められる「フルコミット」、そして、会社からの一方的な命令に逆らえない「ヒエラルキー」な風土です。

たとえば「報酬/評価」において、だれでも出世の可能性があり、給与が上がり続けることは、それと引き換えに、つねに成長や過剰ながんばりを要求されます(フルコミット())。

また、だれもが昇格・昇進の可能性を持っているがゆえに過当競争が生まれ、上司の命令に逆らいづらい雰囲気ができてしまいます(ヒエラルキー())。

「配置/異動」においても、そもそも職務が限定されていないため、つねにいっぱいいっぱいまで仕事をやることが当たり前となり(フルコミット())、定期人事異動で、いつ、どんな部署、あるいは土地に飛ばされるかもわかりません(ヒエラルキー)。

さらに「育成」においても、新人や新しい職場に異動になった人は、職務経験のない素人として職場OJTによって先輩・上司に鍛えてもらわなければ仕事ができません()。

結果、いまの仕事に慣れたらまた次のむずかしい仕事といったように、つねに働きながら学んでいかなければならず(フルコミット())、業務命令と一体の指導は、ときにハラスメントとの区別が曖昧になるほど強力な上下関係を生み出します(ヒエラルキー))。

こうした会社のしくみとそこから生まれる職場風土のなかで、家事育児も含めた家庭生活を両立させていくことはほとんど困難です。

会社へのコミットメントが質・量ともに無制限に求められれば、精神的な負担も大きくなりますし、そもそも家庭生活に割くだけの時間を確保することができなくなります。突発的な業務を断ることもむずかしく、また突然、強制転勤によって生活の環境がいきなり変わる可能性だってあります。

最終的には、家庭生活を維持していくために夫婦のどちらかが会社を辞める、もしくは非正規になるほかなく、そこに「男性は仕事、女性は家事育児」という性的役割分担の意識もくわわって、女性が会社のメンバーとして入りづらい状況が生み出されてきました。

 

 

日本の会社は、なぜ純血主義になってしまうのか?

企業封鎖性を生み出す、もう1つの要素は「年齢」でした。

日本企業は、新卒で会社に入れなかった人、あるいは一度会社のメンバーシップから外れてしまった人が、もう一度ほかの会社に入るのが(特に年齢を重ねれば重ねるほどに)むずかしくなってしまう、という性質を持っています。

その理由は、無限の忠誠を前提としたしくみが、まっさらな新卒で入社した生え抜きの人間だけを優遇し、それ以外の人を排除してしまう「クローズ」な風土をつくり出してしまうことにあります。

たとえば「報酬/評価」において、日本企業の賃金テーブルは年齢に比例してぐんぐん高くなっていく傾向にあるため、年齢が上がれば上がるほど実際の職務価値よりも高い給与水準になり、社外への転職がむずかしくなります。

会社も労働者も、どちらも暗黙のうちに年功に従った右肩上がりの給与カーブを想定しているため、30代後半なら、会社側は「年相応のマネジメント力がある人、あるいは今後課長に登用できる人しか採用しない」となり、労働者側も「20代と同じ仕事・給料は嫌だ」と考えてしまう、というわけです()。  

また「配置/異動」においても、定期人事異動によってさまざまな仕事を転々とするため、特定の専門性が身につかないまま年齢を重ね、いつしか転職のハードルが上がっていきます()。

そもそも特定のスキルではなく、どこに配置されても忠誠心を発揮してうまくやっていけるかどうかが重視されるため、会社側からすれば、これから何色にも染まれるまっさらな若い人材がいい、という考え方が主になっていきます()。

そして「育成」においても、企業内教育訓練が基本であるため、そこで教わるスキルや経験はどうしても企業特殊性の高いものになってしまい、転職先で生かすことがむずかしい場合もあります。

ここまでを理解してぼくは、日本の会社に見られる風土の正体がわかった気がしました。

人生のすべてを会社に捧げ(フルコミット)、どんな命令にも絶対に従い(ヒエラルキー)、新卒で若くして入社した純血の人だけが優遇され、よそ者は入りづらい(クローズ)。

こうした風土は、だれが悪いわけでもなく、無限の忠誠を前提とした会社のしくみによってもたらされていたものだったのですね。

そして、これらの会社のしくみとそこから生まれた風土こそが、性別と年齢によってさまざまな人を排除してしまう「企業封鎖性」を生み出していました。