元プロレスラー・アントニオ猪木は13歳の時に、移民として一家でブラジルへと渡った経験を持つ。平成に入り、政界に転出した猪木は、ブラジルのコロール新大統領の就任式に招待され、第二の故郷を来訪することになる。

50年間、猪木の姿を追い続けた番カメラマン・原悦生氏が、ファインダー越しに目撃した、参議院議員として国内外を奔走する猪木を語った。

※本稿は、原悦生写真&著「猪木」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。


政治家・猪木が中南米でみせる"闘魂外交"

1990年3月、政治家・猪木のブラジル、パラグアイ、ニカラグア、メキシコ、キューバといった中南米の旅に同行することになった。

この時、猪木はブラジルのフェルナンド・コロール・デ・メロ新大統領の就任式に招待されていた。それに合わせて、行く先々の国で首脳と会うというのである。

ブラジル以外はどの程度、アポイントメントを取っているのか不明のままというか、おそらくアポなしの旅だったが、私は1〜2人でも会えればいいと思っていた。

首都ブラジリアで行われたコロール大統領の就任式は私の取材パスが用意されていたが、夜に行われる大統領府での就任パーティーは会場に入れるかどうか不安だった。

私は何のパスもなかったが、猪木の同行者ということで無事に中に入ることができ、近くでの撮影も許可されたのでホッとした。

リオ・デ・ジャネイロに滞在中、「昼は大統領と食べるから」と猪木が言ってきた。

この「大統領」とは現職のコロール氏ではなく、政治家を引退していたジョアン・フィゲレイド元大統領のことで、猪木とは昔からの友人だ。

私は失礼のないようにスーツに着替えたが、ロビーに降りると猪木はラフな格好をしている。

「あれっ、確か大統領と食事をすると言っていたよな…」

車は約2時間、郊外から山へと走った。山奥の別荘に到着すると、フィゲレイド氏は半ズボン姿で我々を出迎えてくれた。


フィゲレイド元大統領と猪木「知られざる絆」

私がフィゲレイド元大統領に会うのは、これが2回目だった。

現役の大統領として国賓扱いで来日した1984年6月、フィゲレイド氏は猪木が経営していた六本木のブラジル料理店『アントン』を訪れた。

スポーツニッポンの写真記者だった私は仕事を休んで、猪木と大統領の写真を撮るために店へと向かった。

この時、猪木は日本政府ではなく独自のルートで大統領とコンタクトを取っており、来日した折には自分の店に招きたいとオファーを出していた。

猪木が1976年に2度目のブラジル遠征を敢行した時は、フィゲレイド政権下だった。現地での大会にはリングサイドに大統領の姿もあり、2人はこの頃からの顔見知りなのだ。

個人的な目的で『アントン』を訪問した大統領だが、実際は国賓なので警備が厳重で、我々マスコミは入り口で撮影した後は外で待機していた。

本来、国賓は政府側が用意したスケジュールに乗っ取り、決められた場所にしか行ってはいけないという暗黙のルールがあるそうだ。それも当然だろう。

何かアクシデントが起きたら、国際問題に発展する可能性もある。だが、この『アントン』訪問は大統領側の強い要請があったようだ。

しばらくすると、店からスタッフが出てきて、「大統領が中に入ってくださいと言っています」と私も含めて残っていたカメラマン数人が店内に招き入れられた。

そこにあったのはテーブルを囲んで談笑している猪木、倍賞美津子さん、寛子ちゃん、大統領の姿。大統領側が何を思ったのかはわからないが、猪木と久々に対面して嬉しかったのだろう。

驚くことに、そのまま15分くらい自由に撮影させてくれただけでなく、コーヒーまで振る舞ってくれた。もちろん、猪木も上機嫌で、やはりブラジルは第二の故郷であり、格段の思い入れがあるのだと実感した瞬間でもあった。


招待者へも欠かさない「猪木の気づかい」

フィゲレイド氏の別荘でのランチは、シュラスコだった。ブラジルを代表する肉料理である。

串に刺さった肉は次々に焼かれて、我々はタロイモの白い粉を付けて食べた。絶品のシュラスコだった。甘いカイピリャーナが酔いを誘い、さらに肉の味を引き立てる。

満腹感と心地良い酔いの中、大統領は馬小屋やワインセラーを案内してくれた。その後、猪木は2時間ほど木陰のハンモックで揺られていた。

大統領は遠くの山の上を指差すと、「いまだにあそこから、ここを見ている奴らがいるんだよ」と笑った。奴らとは新聞の記者やカメラマンたちのことだ。

日本で自由に写真を撮らせてくれたのは、やはり特別なことだったのか。本来はマスコミが嫌いなようだ。どこの国でもそうだが、大きく書かれるのは悪いことばかりだからだろう。

猪木が目を覚ましたので、夕刻、フィゲレイド氏に別れを告げて車に乗った。帰り際、フィゲレイド氏は自分の肖像写真に「戦え!」というメッセージを添えて私に渡してくれた。

また2時間、車に揺られてリオのホテルに戻ったが、猪木に伝言が入っていた。日本領事館からのもので、「夕食を用意しています」とのこと。再び食事の誘いである。

私はこのまま何もしないで寝てしまいたい気分だったので、猪木の顔を見た。だが、もう迎えの車がホテルに来ているという。結局、領事館に行くことになった。

ここには、お抱えの日本食のコックがいる。到着すると、天ぷらや日本食がふんだんに用意されていた。私はシュラスコとカイピリャーナで満腹だったから、すでにギブアップ寸前である。

領事に「あまり食べないんですね」と言われると、猪木は答えた。

「若い時は食べましたが、今はそんなに食べないんですよ」

こういう時、猪木は招待者への気遣いを忘れない。しかも、そう言いながら料理を次々と食べ続けている。猪木の胃袋は一体どうなっているのか。

以前、川崎の焼肉店の主人に聞いた話だが、若い頃の猪木は丼に入ったユッケをスプーンで食べていたという。