90年代の音楽シーンを牽引したダンスミュージックユニット「TRF」のリーダーでDJのDJ KOOさん。近年はその個性あふれるキャラクターからバラエティでも笑いを取るが、クールなアーティストからの転身に迷いはなかったのだろうか。活動についての詳しい話をうかがうと、「TRF」以前からのKOO氏の実像が見えてきた。(取材・構成:辻 由美子)

※本稿は、『THE21』2022年9月号インタビュー連載「私の原動力」より、内容を一部抜粋・編集したものです。


超・体育会系のラガーマンがDJを目指したわけ

実はこう見えて、高校ではラグビーをやっていたんです。先輩は絶対という体育会系の縦社会。いわゆる「理不尽」な命令もありました。

先輩のパシリで昼御飯や飲み物を買いに行くのも日常茶飯事。遠征の帰り道、電車の網棚に寝そべって帰れと言われて1年生全員でよじ登ったこともありました。

もともと目の前の課題に真摯な性格ではありましたが、やれと言われたらまず文句を言わずにやってみる、という性格はこの時期に固まったものですね。

そしてもう1つ、ラグビーと並行してやっていたのがバンド活動。中学のときに沢田研二さんにハマったのがきっかけです。

高校時代には、日本武道館に「ディープ・パープル」を聴きに行き、会場を盛り上げる圧倒的なパワーにメチャクチャ感動して。リッチー・ブラックモアみたいなギターヒーローになると心に決めました。

でも、どうすれば音楽のプロになれるかなんてわからない。高校を卒業して「無職」というわけにもいかず、ひとまず専門学校に進学しました。

当時はまさにディスコブームの真っ最中で、新宿や渋谷のディスコに遊びに行くと、音楽で客をノセて、踊らせるDJがたくさんいました。これもカッコいいなと憧れてね。学校の学生パーティでマネしてみたら、それもけっこうウケたりして。

そこで、じゃあDJになれるよう頑張ろう、と腹を決め、新宿のディスコで見習いDJをさせてもらうことにしたんです。


やがてブームも下火に...音楽と無関係の仕事も

実は、当時DJの世界もラグビー部同様の縦社会。先輩の言うことは何でも聞かなければいけなくて。

幸い僕はそういう環境に慣れていましたから、順応は早かったですね。先輩が「ラーメンが食べたい」と言ったら、歌舞伎町中を走り回って、おいしいと評判のラーメンを買ってきたりとか。

でも、そのおかげで先輩から可愛がられて、いい店でDJをやらせてもらえることになりました。そのときの給料は当時の大卒の初任給並み。親も、それだけもらえるなら、と応援してくれて、19歳で学校も辞め、DJとして独立しました。

それからしばらくはフツーのDJして働いて、28歳で結婚。彼女はもともとお客さんで、なんとか気を引こうと一生懸命リクエスト曲をかけまくっていた気がします(笑)。

ですが、そんな楽しい時代はそれほど長くは続かなかった。30歳になる少し前にバブルが崩壊。ディスコがどんどん下火になっていったんです。ついには月収もほぼゼロになって、仕方なく清掃のアルバイトなんかをしていたこともありました。僕、東京競馬場の電光掲示板とか磨いてたんですよ。

ありがたかったのは、そんな時期でも、妻が「今月はこれしかお金がない」とか「機材の借金、どうするの?」といったことを言わなかったことです。相当無理をさせてしまったのではと思いますが、ものすごく励みになりました。

「あなたは好きな音楽をやればいい。私もついていくから」と言ってくれたことは、今も心に焼きついています。


グループ内の「違い」こそが仲をさらに深めてくれる

そんな中でも細々DJを続けていたら、31歳のときに知人に声をかけられ、小室哲哉さんがかかわるイベントに出演することになりました。

六本木のスタジオにご挨拶に行った際、小室さんの音楽づくりを目の当たりにし、「そこまで突き詰めるのか」と仰天。人生で他に経験したことのないオーラを感じましたね。

そこで思わず「明日も来ていいですか?」と聞いてしまい、なんと快諾されて、それから1年近く毎日そのスタジオに通うことに。

小室さんは、ただ仲間とカラオケに行っただけでも「こういう間奏がサビを盛り上げる」「こういう音運びなら皆がノれるのか」といった「収穫」を手に入れる。どこまでストイックなんだ、と思っていました。

その後に小室さんプロデュースで「TRF」が結成され、僕もメンバーに。TRFはボーカルとダンサー、そしてDJの5人組です。その中だと「DJ」のキャラが1番弱い、ということで、キャラの補強も兼ねてリーダーを務めていました。

ですが、それらしいことを積極的にしていたわけではありません。僕がリーダーとして心がけたのは、ひたすら聞き役に回ること。「こうだ」と僕から提示するのではなく、それぞれの意見を出しやすい環境づくりを意識しました。

というのも、僕らは全員が「専門家」なんです。DJのプロとダンサーのプロでは、考え方や意見なんて違って当然。営業と経理と企画、それぞれモノの見方が違うのと同じです。

意見の違いがあることを認めれば、変に「空気を読む」必要もなく、「なるほど、ダンス演出を考えればこういう選曲、曲順もアリなのか」など、相手の考えを受け入れやすくなります。

意見のぶつかり合いなんて当然起こる、と認めることが、本当の意味で相手を理解することにつながるんです。これは、メンバーの個性豊かなTRFでリーダーをしていたからこそ学べたことですね。