パートナーに独占欲を抱く人がいる。独占欲は、本人だけでなく、周囲の人々をも疲弊させてしまうマイナスの感情だ。この激しい感情が生まれる背景には「幼少期の母との関係」があると、早稲田大学名誉教授である加藤諦三氏は明かす。無意識的に独占欲をあらわにしてしまう人が振り返るべき「過去の体験」について紹介する。

※本稿は、加藤諦三 著『[新版]自立と孤独の心理学 不安の正体がわかれば心はラクになる』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集してお届けする。


過去の自分への理解が、今の自分の気持ちを救う

ラジオのテレフォン人生相談に次のような悩みを訴えてきた奥さんがいる。夫の独占欲の強さに悩んでいるのである。夫は奥さんが夫以外の他人のことをほんの少しでも世話しようとすると不機嫌になったり、怒ったりする。また実際に力ずくでさせない。

赤ん坊が夜中、隣の部屋で泣く。奥さんが隣の部屋に行こうとすると袖をひっぱって行かせない。これほどひどい人も少ないであろうが、自分の独占欲、所有欲を意識していない夫は多い。

この激しい所有欲も、幼い日の重大な愛情喪失体験の裏返しなのであろう。なんとかそれをとり返そうとしているのである。なんとかその喪失をとり返そうと焦っているのである。しかし、その心の空白は基本的には所有によって埋まるものではない。

富と名誉と数多くの女を所有しつつ、不安にさいなまれている男もいる。自分の所有欲のさらに深いところに重大な愛情喪失体験があることに気がつかないでいる人は、生涯焦りつづけるであろうし、本当に親密な人ができないであろう。やたらに人にいい顔をすることはあっても、近い人と幸せな生活ができない。

自分が自分の感情をもてあましている時、その最も奥深いところに幼い日の重大な愛情喪失体験があるのではないかと反省してみることである。愛情喪失体験者は、その心の空白を埋めようと焦るし、またその心の空白を埋められないでいるからこそ、自分で自分をどうしようもなくなっているのである。

うっ屈してしまっている自分の感情にはおそらくそれなりの理由がきちんとあるはずである。何の理由もなくうっ屈したり、焦ったり不安だったり恐れたりということはない。

憂うつになるにはそれなりの理由があるし、不機嫌になるにはやはりそれなりの理由がある。

ただそれが本人には理解できないだけの話である。理解できれば気持ちもいくらかは落ち着く。それを正しく理解しないで、正義とか富とかで逃げようとするから生涯救われないのである。


強い執着心を生み出すのは「幼少期の喪失体験」

自分が母なるものと一体となってこの世に誕生してきた人と、はじめから全体と引き裂かれてこの世に誕生してきた人とでは、生涯にわたって心理的安定に大きな違いが生じる。そして多くの人は自分の愛情喪失体験に気がつかないでいる。

ことに自分の現実の母と一緒に暮らしている人は気づかない。現実の母が常に母なるものを持った母親ではない。現実の母が、本来母なるものが与えるものを与えてくれるわけではない。

むしろ現実の母を小さい頃失ってしまった人のほうが、自分は本来母なるものが与えてくれるものを欠いているのではないかという反省をする。それだけにもしその欠如があるならそれに気づくものである。

この世の中には死ぬまで母と同じ屋根の下で暮らしながら、母なるものが与えるものを欠いて生きている人がいる。母なるものが与えるものは、やはり一体感であろう。

一言で幼児的一体感というが、その幼児的一体感を安定して持っていられる人というのは案外少ないのではなかろうか。だからこれだけ多くの人が自らの執着心に苦しみ、焦る自分をもてあまし、不機嫌な自分に苦しみながら一生を送るのではないだろうか。

たとえ現実の母を小学校に入る前に失っても、その前に十分幼児的一体感を味わっている人もいる。現実の母が母なる存在である時、たとえ早く失ってもその人は幸せな人である。

現実の母が冷たい利己主義者であるなら、60歳まで共に暮らしても、心には重大な空白があるに違いない。

現実の母が、子供より自分の金銭的利益が大切な時、子供は喪失体験を避けることはできないであろう。母自身が心理的に不安で、とても子供のことなど思いやるゆとりがない時、子供は心の底で自分は拒絶された存在であると感じるに違いない。

そのような喪失体験が深刻であればあるほど、大人になって何かにしがみつく人間になっていくのである。しかし、いくらしがみついても安心できない。また所有によって安心しようとし、とにかくものを所有しようとする。