「嘘つきは泥棒のはじまり」「嘘ついたら針千本飲ます」という言葉もあるように、ほとんどの人が幼い頃に"ウソは悪いものである"と教え込まれてきたのではないでしょうか。

しかし、大人になると「社交辞令」などを通じて、皆等しくウソをつくようになるもの。当然、詐欺のようなウソは良くないですが、私たちは日常的にどんなウソをついているのでしょう。社会心理学を専門とする渋谷昌三氏に教えていただきました。

※本稿は、渋谷昌三著『この人の言っていることは本当か?』(PHP研究所)より、内容を一部を抜粋・編集したものです。


あなたはウソをついている?

質問です。あなたはウソをついたことがありますか?

「はい」と答えたあなたは、正直者です。
「いいえ」と答えたあなたは、大ウソつきです。

やや乱暴な言い方をしてしまいました。しかし、「人は誰しもウソをつく」という事実に、どれくらいの人が気づいているのか、確かめたかったのです。

「でも、人を傷つけるつもりでウソをついたことはない!」

ええ、もちろん、そういう方もいるでしょう。そうした類のウソについても、後々説明することにしますが、その前に考えなければならないことがあるはずです。

それは、「そもそもウソとは何か」ということです。これを明らかにしなくては、話を進めることができません。何といっても、本書のテーマそのものですから。

一般常識で考えてみると、ウソ=本当ではないこと、という感じでしょうか。また、ウソ=悪いものとも考えられています。人をだまして金銭を奪い取ったり、気持ちを傷つけたりといった、ウソの悪い面を知らない人はいないでしょう。

確かに、私たちはウソ=悪いものと繰り返し教え込まれて育ちます。幼い頃、「嘘つきは泥棒のはじまり」「嘘ついたら針千本飲ます」などという言葉で、正直であるよう親や教師にしつけられたことがあるはずです。

もっとも、そんなしつけもむなしく、大人になると皆等しくウソをつくようになるのですが。あらためて考えてみると、実に不思議なことです。

続いて、辞書におけるウソの定義も見てみることにしましょう。

『大辞林』(第2版、三省堂)によれば、ウソとは「事実を曲げてこしらえたこと」「本当でないこと」「偽り」などと定義づけられています。

この定義に従えば、昨今メディアを騒がせている企業による不正も、多くの場合、ウソのひとつに数えられるでしょう。

そのほかにも、電化製品の欠陥隠しや、建物の手抜き工事、粉飾決算、脱税等々。「オレオレ詐欺」も、年配の方を狙ってお金をだまし取ろうとするウソでした。

これらはいずれも、「本当ではない」情報が、被害を生んだケースです。つけくわえるなら、すべて法律により罰せられるべきひどいウソです。


誰もがついている「ウソ」とは

その一方で、私たちの生活によい効果をもたらすウソがあることも、よく知られています。

たとえば、「社交辞令」や「ゴマスリ」だって、立派なウソでしょう。社会人の方々なら、毎日のようにこうしたウソをついているはずです。

気に喰わない上司が相手でも、「おっしゃる通りです」(ウソ。本当は、おっしゃらない通りですよ!)
「私も同じ意見です」(ウソ。まったく同意していません!)

と機嫌をとることはありませんか?こうした小さなウソを、私たちは当たり前のように使っているのです。

なぜなら、こうしたウソが、人間関係の潤滑油になり、生活を豊かにしてくれることも、また事実だからです。

こうしたウソが許されない社会を想像してみてください。とても心穏やかには暮らせないでしょう。社交辞令どころか、冗談や洒落も言えない、ギスギスとした息苦しい社会になるに違いありません。

「嘘も方便」「正直者は馬鹿を見る」といった慣用句は、そうしたウソのよい面を伝えるものと言えます。昔の人も、「物事をうまく進めるためにはウソが欠かせない」ことに、気がついていたのです。

このように、辞書的なウソの定義にのっとれば、多くのことが「ウソ」の範疇に入ります。私たちは、日常的に大量のウソにさらされていることがわかるのです。