SNSの普及、IT化により変わりゆく「つながり」。その変化は若者の仏教観にも少なからず影響を与えているようだ。

現在正覚寺で副住職を務める鵜飼秀徳氏は、かつて新聞や雑誌の記者として働いた経歴を持つ。仏教は現代社会に生きる我々に何をもたらしてくれるのか。詳しい話を伺った。

※本稿は月刊誌『Voice』2020年3月号、鵜飼秀徳氏の「仏教から学ぶ幸せな定年生活」より一部抜粋・編集したものです。

聞き手:Voice編集部(中西史也)


若者のほうが先祖を重んじる?

―― SNSやITなどのデジタル化が急速に進行するなかで、仏教の教えが薄まっていく懸念はないでしょうか。 

【鵜飼】 むしろデジタル社会こそ、人とのつながりを重視した「仏教的なるもの」だと考えています。

――どういうことでしょうか。

【鵜飼】 昔は家族や村といった共同体のなかで、人びとが強く結び付いていました。しかし地方から都市へ若者が流入し、次第に核家族化が進んでいった。

では人びとのつながりが弱まったかというと、そうではないと思います。それは、デジタル化が進み、とくにいまご指摘のSNSが登場したからです。

ツイッターやフェイスブックがあれば、離れた場所にいる同級生の様子を知ることができる。かつてのように近くでウェットに接するのではなく、遠隔地でも接続されている。

「つながりの質」が変わったのです。若い世代は人とのつながりを疎かにしているわけではなく、むしろ求めている。これは、「縁起」を重んじる仏教の価値観にも通じます。

―― 一方、近年は弔辞やお墓の簡素化が進み、先祖を敬う風潮が弱まっているとの指摘もありますが。

【鵜飼】 たしかに、参列者を集めない「家族葬(密葬)」や葬式を行なわない「直葬」が広まっています。都心部では全体の5割以上が家族葬、3割以上が直葬になっているとも言われます。

葬送が簡素になっている傾向を私は「薄葬化」と呼んでいますが、社会の結び付きが弱まっている、との指摘は一理あるでしょう。

とはいえ、日本人のとくに若い層において、死者を弔う気持ちは根強いと思います。

私が現在教えている東京農業大学で学生に行なったアンケートによると、「墓は必要だと思うか」という問いに肯定的な回答をした人は全体の83%、「一族の墓をいつまで守っていくか」については「ずっと守っていく」と答えた人が全体の64%でした。

一方、設問はやや違いますが、冠婚葬祭総合研究所の「葬祭等に関する意識調査」(2016年)によると、「お墓を守るのは子孫の義務だと思うか」という問いに対し、親世代(46〜55歳)の肯定率は58%、団塊世代(70〜72歳)の肯定率は53%でした。

――若い世代がお墓について肯定的に考えているのは意外です。なぜこのような結果になったと思われますか。

【鵜飼】 すでに述べたように、現代の若者のほうがつながりを重視する傾向にあるというのが一つ。あと、若いときのほうがピュアに「故人を大切にしたい」と思うのかもしれません。

ところが就職して社会人になると、仕事に忙殺されて先祖供養はつい後回しになってしまう。団塊世代については、自分がお墓に入る現実味を帯びてくるがゆえに、意見が分かれる側面もあるでしょう。


仏教は人生のエッセンスの宝庫

――次代を担う若い世代は、決して先祖への思いを軽視していない。その意味で、仏教の未来は悲観すべきではないと言えますね。

【鵜飼】 私もそう思います。経済成長への傾倒に違和感をもち、新たな拠り所を模索している現代の日本において、仏教のニーズはむしろ高まっていると感じます。

働き方にしても、かつては会社のために尽くすのが当たり前でした。でもいまは副業や兼業を解禁する企業が見られるように、組織の流動性が増している。

世の中は諸行無常であり、諸法無我(すべての事象に永遠不変の主体がないこと)」です。こうした本来の仏教的在り方が見直されていることについてはポジティブに捉えています。

――日本人が長年親しんできた仏教に、いま一度立ち返るべきときがきているのかもしれません。

【鵜飼】 仏教は2500年前にお釈迦様(ゴータマ・シッダルタ)が悟りを開いてから現在に至るまで継承され、日本に伝来してからは1500年が経ちます。

「仏教衰退」と言われながらも続いているのは、そこに世の中の真理が詰まっているからでしょう。企業の組織論や経営戦略はさまざまですが、表面的な手法は時代の変化と共に寂れていきます。

一方で仏教は、ビジネスに活用できる考えのみならず、人生を豊かに過ごすためのヒントがあふれた、エッセンスの宝庫です。

仕事に行き詰まったり、人間関係で悩んだり、人生の活路をなかなか見出せなかったりするとき、仏教がその道標になってくれることでしょう。