猫がそこにいてくれる。ただそれだけの何でもないしあわせが、コロナ禍で人と会う機会が減ったことなどを機に再認識されている。だが、猫と暮らすには、最後まで寄り添う覚悟も必要だ。

猫との出会いには猫の数だけストーリーがあり、猫と交わす約束もそれぞれである。出会った日、こころ寄りそわせた日、別れの日……、交わした約束を猫はきっと忘れない。交わされた「約束」の選りすぐりの実話エピソードをご紹介する。第1回は、小さな珈琲豆店主の和子さんが、愛猫ミーと交わした約束。「そこにいてくれるだけでいい、長生きしてね」

※本稿は、佐竹茉莉子・著『猫との約束』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。


駅前の小さなお店

とある駅を降りてすぐの、小さな商店街の入り口の、小さな珈琲豆店。  
閉店後のウインドウに、猫の影がある。濃い三毛のその猫は、飽かず、駅前を行き交う人々を眺めている。

猫の影に気づいて、そーっとガラスをトントンする人がいたら、猫は窓辺のカウンターの上で、ゴロンと甘えたポーズになる。

猫の名は、ミー。住まいは店の奥で、店内と扉でつながっている。開店中は店に出てくることはめったにない。たまに奥から顔をのぞかせて猫好き客に見つかり、「あ、猫さん」と近づかれるや、たちまち店の奥に引っ込んでしまう。

「ごめんなさいね、愛想が悪くって。閉店後のガラス越しだと、なぜかなつっこいんですけどね」と、ひとりで店を切り盛りしている和子さんは客に謝る。

自家焙煎珈琲が250円。アイス珈琲が300円。ホットドッグが200円。この値段は、開店したときと大して変わっていない。なじみ客がふらりと入ってきて、軽い世間話を店主の和子さんと交わし、コーヒーを味わって帰っていく。


193グラムの子猫

駅前が駐輪場と原っぱだけだった32年前に、家業のたばこ店をやめて珈琲豆店を開いたのは、和子さんの夫だった。うんと年の離れた彼と結婚して、和子さんも店を手伝うようになった。

夫は、大の猫好きだった。夫婦で飼った最初の猫を見送った後、猫のいない暮らしがさびしくて、かかりつけだった獣医さんに「どんな子でもいい、子猫がいたらもらいます」と頼んだ。

ある雨の日、連絡が入る。通勤途中の会社員が、道ばたで雨に打たれて鳴いている子猫を見つけ、「このままでは死んでしまう」と、動物病院に持ち込んだばかりだった。

もらいに行った子猫は、たったの193グラム。「これ、ネズミじゃないの?」と、夫と顔を見合わせたものだ。

スポイトでミルクをやって育てた。「おしっこ出て、いい子ねえ」とほめていたら、娘は呆れて言った。「おしっこしただけで、猫ってこんなにほめられるんだ」
ミーと名づけた子猫を真ん中に、いつも笑っていた日々だった。


ミーがいてくれたから

そんな平和な一家の生活が暗転したのは、ミーがやってきて1年たとうとする頃。

夫に、ステージ4のすい臓がんが見つかった。

つらい抗がん剤治療をしながら、入退院を繰り返した10か月。夫は、どうしようもない苛立ちを、ときに、娘やミーにぶつけることもあった。それでも、大好きなお父さんの最後の日々に、ミーはそっと寄りそった。

夫が旅立ったとき、娘はまだ高校生だった。ふたりで、いったいどうやって生きていこう……。心細くて、不安で、まるで先が見えなかった。

あの絶望の日々を乗り越え、今こうしてお店を続けていられるのは、ミーがいてくれたからと、和子さんは振り返る。

「猫が1匹、家の中にいるだけで、ただそれだけなんだけど、家の中を明るくしてくれたんです」

あるとき、客の一人が和子さんに聞いた。  

「ミーちゃんって、和子さんにとって娘みたいなもの?」

和子さんは明快に答えた。

「ミーは、同志かな。一緒に人生を乗り越え、歩んでいく同志!」


ミーに元気をもらう人たち

お店は10時にオープンだ。ミーは、開店前の忙しいときに限って甘えてくる。片手間に撫でようものなら、「気持ちが入ってない!」とばかり、猫パンチが飛んでくる。

「ミーちゃん、お母さんはミーちゃんのご飯代やトイレの砂代を稼ぐために働いてるんだよ」

そう言い聞かせても、素知らぬ顔だ。

社会人になった娘はこう言う。「お母さんはミーちゃんにとってもやさしく話しかけるけど、お客さんにもその話し方をするといいと思うよ」  

サバサバな和子さんの接待と、コーヒーの味に惹かれて、きょうも、客がふらりと入ってくる。「ミーちゃんは元気にしてる?」と聞く人も多い。

閉店してドアが閉まっても、この店はシャッターを下ろさない。夕暮れ、深夜、明け方、朝の通勤時。ミーは、気が向いた時間に、ガラス越しの町の景色を楽しむ

「ミーちゃん、ただいま。きょうは暑かったね」
「ミーちゃん、まだ起きてたの。もうおやすみ」
「おはよう、ミーちゃん。行ってきまーす」

ガラス越しにミーに元気をもらっている人がたくさんいるのを、和子さんは知っている。こわもてのおじさんがミーに目尻を下げて話しかけているのを目撃したこともある。

小さな店だけど、まだまだこの駅前でがんばりたいと、和子さんは思う。同志ミーとともに。ミーは、ただそこにいてくれるだけでいい。