2000年の大晦日、子どもを含む一家4人の命がうばわれた「世田谷事件」をご存じでしょうか? 入江杏さんは一家の隣に住んでいた被害者遺族です。妹一家を失った入江さんは、ある日突然、「被害者遺族」というスティグマ(負の烙印)を捺され、「普通」の生活をうばわれてしまいます。

被害者遺族はこうあるべき、という「べき」論に違和感をもっていた入江さん。娘を殺害された被害者遺族の立場でいながら、加害者の人生のやり直しなどを考える活動を行う中谷加代子さんに出会い、被害者遺族の多様な姿に出会います。

※本稿は、入江杏著『わたしからはじまる 悲しみを物語るということ』(小学館)から一部抜粋・編集したものです。


加害者少年が「壁を叩く人、苦しむ人」として気にかかるように

殺人事件の被害者遺族になってしまうという体験。当たり前の社会生活を送っていた人たちが一気に暗転した状況、脆弱な立場に置かれることになります。

その中で、加害・被害の受け止め方の変容にも至った人との出会いが、私を変えてくれました。被害者遺族の立場でありながら、加害者の人生のやり直しや再犯防止を考える、「人権の翼」の活動もともにする、中谷加代子さんです。

中谷さんは、20年間慈しんで育てた長女の歩さんを、2006年、突然喪いました。同級生の少年に殺害されてしまったのです。歩さんを殺害した少年は、10日後、首を吊って自殺しているのが見つかりました。

その悲しみの中、中谷さんは、人権擁護委員、公益社団法人山口被害者支援センター直接支援員として、被害者支援に尽力します。

そこからさらに変容を遂げた中谷さん。中谷さんは、被害者のみならず、加害者の支援にも従事するようになりました。刑務所や少年院を訪れ、罪を犯した人たちに接し、幸せをテーマに対話を続けています。

「罪を償うことと幸せを感じることとは別のことでしょうか? 罪を犯してしまって、犯した罪を償っている今でも、花は美しい、空は青い、と感じていいのよ」

中谷さんの言葉に、私は、当初とまどいました。未解決事件遺族の私。仮に、今、加害者が目の前に現れたら、どんな思いが湧くでしょう。絶対に許すことはできない。きっとそう思うでしょう。

中谷さんの傍らにあるスケッチブック。「歩と生きる」と題した絵物語が描かれています。私は、その絵の一枚一枚を見せてもらいました。愛娘の死を知って、心に湧き上がる真っ黒な憎しみが、汚濁した泥水として描かれた1枚。縊死(いし)した加害少年の人影らしきもの。

「よう、この絵は描けんかったの」
中谷さんの心が捉えた加害者の姿です。

いつの頃からか、加害少年のことが気にかかるようになったと、中谷さんは言います。事件から1年が経った頃には、中谷さんの心に、その加害少年の姿が「壁を叩く人、苦しむ人」として、浮かぶようになりました。

もし彼が、いのちについて真剣に考えていたら...。
もし彼に、悩みを打ち明けられる人がいたら...。
中谷さんの心は、加害者へと向かい始めました。

私は、中谷さんが受刑者と対話する場で、その言葉に直に触れたことがあります。山口県美祢市にある美祢社会復帰促進センターでの対話でした。そのセンターは2007年4月に設立された日本初、官民協働運営型の刑務所で、現在は男女計約720人が収容されています。

9人の女性受刑者が座るイスは円を描くように、放射状に並べられていました。対話を基本に、犯罪の原因を探り更生を促すTC(回復共同体)の教育プログラムを受ける受刑者たちの姿を追った、ドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』の一場面を思い起こします。

実際の受刑者との対話を間近にするのは、私にとって初めてのことでした。目の前にいたのは、どこにでもいそうな普通の人たち。うつむき加減に緊張した面持ちでイスに座っていました。

中谷さんはいつもと変わらず、穏やかにその人たちに話しかけます。
「自分の気持ちをぶつけてやろう、決してそんなつもりで来たわけではありません」

一方的に話すのではなく、対話のための90分。ひとりひとりと丁寧に言葉を交わしていきます。

「事件はなぜ起きたのか。環境や生い立ちがあなたを追い詰めたのかもしれません」
「苦しかったですね」
「皆、弱いんだから」
中には、涙ぐむ受刑者もいました。

「あなたを許すことができる最後のひとり、それはあなた自身です。目指すのは、まずは自分自身の幸せ。それでいいと思うんです」

生きることに罪悪感を抱いている受刑者たち。中谷さんの語りかけに、「幸せになってもいいんですか」と震える声で返す人もいました。