東国で勢力を伸ばす源義朝と結び、その子・頼朝が平家打倒の兵を興すと、一族を挙げて味方した三浦氏。幕府の草創期を支えた彼らは、いかにして発展を遂げたのか...。個性あふれる一族の生涯を辿る。

※本稿は、『歴史街道』2022年8月号から一部抜粋・編集したものです。

【中丸満PROFILE】昭和47年(1972)、広島県生まれ。出版社、編集プロダクション勤務を経て著述業。日本の古代・中世史を中心に書籍や雑誌、ムックなど幅広く執筆活動を行なっている。著書に『平清盛のすべてがわかる本』『源平興亡三百年』『鎌倉幕府と執権北条氏の謎99』などがある。


三浦義継(よしつぐ/1067~1159)...大庭御厨乱入事件で義朝と共闘

三浦氏は高望王を祖とする桓武平氏の一流で、「坂東八平氏」の一つに数えられる。しかし、「将軍(源義家)のつはもの(兵)」として後三年の役に従った三浦為継以前は系図によって人名の異同が多く、実際の系譜は不明であり、三浦地方の異姓の一豪族であった可能性も指摘されている。

一般に、三浦氏は源頼義・義家父子以来、源氏と累代の主従関係があったといわれる。近年、この説には疑問が呈されているが、三浦氏が源氏と結んで勢力を拡大していったのは事実だ。

その関係を如実に示すのが、大庭御厨乱入事件である(御厨は伊勢神宮の荘園)。天養元年(1144)、鎌倉を拠点としていた源義朝が、大庭御厨内の鵠沼郷は自身の支配領域であると主張して千余騎の軍勢を送り込み、作物を奪い住民に暴行を加えた。

この事件で、相模の在庁官人であった三浦義継(為継の子)が、子の義明とともに義朝の配下として行動している。三浦氏は長年、大庭御厨の開発領主である大庭氏と競合関係にあり、義朝の武威を借りて大庭氏を抑圧しようという意図があったとみられる。

実際、この後、大庭氏は義朝の配下に加わり、三浦氏と大庭氏の紛争も解決されたのである。この事件を機に、三浦氏が紛争の調停者としての源氏の実力に深い信頼を寄せたことは想像に難くない。両者の関係は義継の子・義明の時代に一層強固になる。


三浦義明(よしあき/1092〜1180)...衣笠城で討ち死にした一門の長老

三浦義明は義継の嫡男で「三浦介」を称した。石橋山の戦いで戦死した佐奈田与一義忠は甥にあたる。

三浦介の肩書は千葉常胤の「千葉介」などと同様、国衙(諸国の政庁)行政の権限を掌握した在庁官人が自称、あるいは国守から任命されるもので「在国司」と呼ばれる。鎌倉を拠点とする源義朝の支援を得て、在庁官人筆頭の地位を確立したのだろう。

義明の時代、源氏とのつながりは縁戚関係にまで発展した。娘の一人は義朝に嫁いで長子の悪源太義平をもうけたといわれており、別の娘は武蔵の畠山重能に嫁いで重忠を生んでいる。

平治の乱では、次男の義澄を義朝方として参加させた。義朝は敗北し、表向き三浦氏と源氏の結びつきは途絶えたが、義明は義朝から受けた恩を忘れなかった。

頼朝が挙兵すると、義明は一族を従えて参加。居城の衣笠城は平家方の攻撃を受け、息子の三浦義澄・佐原義連兄弟や孫の和田義盛ら、一族が団結して防戦に努めたがあえなく落城する。

一緒に逃げてほしいと懇願する義澄らに対し、義明は「私は源家累代の家人として貴種再興の時にめぐり合うことができた。これ以上の喜びはない」と述べ、城を枕に討ち死にしたという。享年89(79とも)。


三浦義澄(よしずみ/1127〜1200)...挙兵から頼朝を支えた幕府草創の功臣

源氏追討の情報がもたらされる中、義明の死後、三浦氏の惣領として一族をけん引したのが義明の子・義澄である。以仁王の乱の後、伊豆の配所を訪れて頼朝と挙兵の相談をするなど、もっとも信頼された御家人の一人だった。

一方、石橋山の戦いで頼朝に敵対した伊東祐親は妻の父であり、伊東氏との絆も強かった。祐親が捕らえられた際、義澄が頼朝に助命を嘆願して許されたのも信頼の厚さゆえだろう(祐親は自害)。

一ノ谷の戦い後の西国遠征では、源範頼の命で周防に残り、山陽道の守備と京との連絡役という地味なミッションをこなした。そのかいあって、壇ノ浦の戦いでは「すでに門司関を見ている」との理由から義経に先登(先陣)を命じられる。

九州に進出した源氏軍の背後を守る一方、三浦水軍の機動力を生かして壇ノ浦周辺の調査を行なってきたことが評価されたのだろう。

その後も、幕府草創の功臣として重んじられ、頼朝が征夷大将軍に任じられた際は、比企能員を従えて鶴岡八幡宮に赴き、勅使から任命書を受け取り頼朝に進上した。頼朝がこの大役を義澄に授けたのは、自身に命を捧げた義明の恩に報いるためであったと『吾妻鏡』は記す。

頼朝の死後は、頼家を補佐する13人の宿老の一人に名を連ねたが翌年の正治2年(1200)に死去。華々しい人生ではなかったが、三浦氏の基礎を固めた功績はもっと評価されてしかるべきだろう。