◆日本をも巻き込む世界史的な激動がはじまる!

山内昌之(東京大学名誉教授)
PHP新書『中東複合危機から第3次世界大戦へ』はじめに より

2016年に入ってすぐ中東で起きた一連の事件は、世界史の記憶に残るかもしれない。
まず事変の連鎖は1月2日に始まった。サウディアラビア王国は、シーア派の指導者アーヤトッラー・ニムル・バクル・アル・ニムルを他の3人のシーア派教徒と一緒に処刑した。王室と体制の転覆を図ったからである。
するとイランの一部国民が激昂して、テヘランのサウディアラビア大使館とマシュハドの同国領事館を焼打ちにした。その結果、事態はサウディアラビアによるイランとの国交断絶表明までに至ったのである。
続いて、バハレーンとスーダンも断交に追随し、アラブ首長国連邦とカタルはイランから大使を召還する正月早々の慌ただしさとなった。
通常、国交断絶は大使召還の手続きなどを経て実施される。今回は異例といってよく、次の手順は最後通牒、ひいては戦争しか残らない。
しかし、サウディアラビアはイランと正面から戦争する意志を固めたわけでもない。メッカとメディナの両聖地へのシーア派教徒の巡礼を拒否しないと表明したからである。
私は、折から2016年1月6日から18日まで、アラブ首長国連邦、トルクメニスタン、イランに出張し、ぺルシア湾岸地域の政治状況と市民の雰囲気をつぶさに観察する機会を得て帰国した。しかも、中東滞在中に世界各地でテロ事件が発生し、死者はイスタンブル旧市街で10人、ジャカルタ中心部で4人、ブルキナファッソの首都ワガドゥクで29人も出たとの報道を日々聞くことになる。この悲報は切なく、犠牲者と家族の悲しみを思うと、「イスラームの悲劇」という言葉がすぐに脳裏に浮かんだ。
イスタンブルとジャカルタの事件には、シリアとイラクに蟠踞する「イスラーム国」(以下ISと略記)が関係しており、ワガドゥクのテロの下手人はアルカーイダに属すると取沙汰されている。
こうした動きが続く反面、私がドバイを出発する17日の前日に対イラン制裁が解除され、日本はじめEUや北米の各国はイランとの商機を勝機にすべく一斉に動き出した。
平和なビジネスの活気と、テロや戦争の不安を内包する中東の危機とは、いかに関連するのであろうか。この答えはすぐに出せるほど簡単ではない。しかし本書は、ささやかながら、この疑問を解きほぐす手がかりとして、中東の危機とイスラームの悲劇の現代的特質を私なりに分析しようとした試みである。
パクス・トクガワナ(徳川の平和)以来、昭和10年代を例外として、一国平和主義に慣れてきた日本人のなかには、テロと戦火に見舞われた現代の中東を見るときに、かなり困惑し幻滅する人も多いだろう。しかし、4次にわたる中東戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争とイラク戦争、それぞれ2度に及ぶレバノン戦争とガザ戦争、そして現在のシリア戦争など、戦禍と戦役を日常的に経験している中東、ことにアラブの市民の目から世の中を見ると、そこに浮かぶ像は日本人には信じられないものばかりだ。
中東では、「戦争こそ日常であり、平和は非日常」という権謀術策の渦巻く遺憾な現実が存在する。モダン(近代)やモダニズムが成立条件を失ったか、失ったと思われる時代を仮に「ポストモダン」と呼ぶとすれば、プレモダン(前近代)とモダンとポストモダン(近代以後)の異なる原理や成果が複雑にもつれ合っているのが、中東の現代政治なのだ。
しかも、1989年のマルタ会談(アメリカ・ブッシュ大統領とソビエト連邦のゴルバチョフ書記長の首脳会談)から1991年のソ連崩壊後に続いてきた「ポスト冷戦」は、2014年にウクライナの領土だったクリミアをロシアが力で併合して以来、もはや過去のものとなった。ロシアはシリア戦争の本格的な当事者として戦場に関与するだけでなく、中東を中心にグローバルに姿を現した「第2次冷戦」の立役者としてソ連時代の権益と勢力圏の回復に躍起となっている。かくして中東では、米欧対ロシア・イランといった国家間の冷戦が先鋭化することとなった。