放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、1970年頃に日本中を熱狂させた“キックの鬼”こと沢村忠と高田氏の不思議な縁などについてお届けする。

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 おそろしくパンチの効いた連続KOな本が出たものだ。560ページもあるだけで凄いのに、1ページがすべて2段組み。書き込んでも書き込んでも収まり切らない、他人は知らない濃厚な男の人生がそこにはあった。

 あの時代、男の子達の心をキャッチした最強の男と、その男を作り出した男のドキュメント。『沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝』(細田昌志著・新潮社)である。野口修という途方もない男をとことん調べ、取材し、この1冊の為に10年という時間を費やしたという。“キックボクシング”という言葉を生み出し「キックボクシングを創設。沢村忠と一大ブームを起こし、五木ひろしを世に送り出した伝説の男。その数奇な人生」と帯は謳う。

 いきなりテレビの中で7時から毎週炸裂した“真空飛び膝蹴り”。日本中がびっくりぎょうてん。「つえ〜〜ッ」日本中の男子はプロレスより相撲より空手より、此の世で一番強いのはキックの鬼、沢村忠だと信じて疑わなかった。しかし実はその裏には……。興行の後ろでうごめく怪しい男達、ヤクザ、そして右翼の大物、政治家。利権がからめば色々なものが動き出す。テレビが動き、新聞マスコミが照らし出す沢村忠の表と裏。

 沢村は俳優になりたくて日大芸術学部へ入った。私が大学1年で江古田キャンパスの中庭を行くと、私より数年先輩の沢村がいつも吊り下げたサンドバッグを蹴りあげていた。バシーンバシーン。私は授業へ出る足を止めていつも沢村先輩のキックを見ていた。「こんなのくらったら一発でオレ死んじゃうな」。昭和42年18歳の私は思っていた。その横をマイク眞木がギターを持って通っていった。呑気な奴だなと思った。バラなんか咲くもんかとも思った。

 それから1年もしない内に沢村忠は真空飛び膝蹴りでスーパースターになった。

 スポーツの世界で大成功を収めた野口修は次に芸能界へと足を踏み入れ、山口洋子と出会いそしてついにあの五木ひろしを『よこはま・たそがれ』で世に出す。スポーツと芸能のトップに君臨した野口だが……。1週間あれば読めると思うので是非。大人の冒険小説みたいです。

 同じ時代、せっせと通いつめていたのが新宿末広亭。丁度その頃“末広亭専属写真術師”として高座を記録していたものが『赤塚盛貴写真集 昭和の寄席の芸人たち』(彩流社)として出た。あの時代だけの音と匂いが。楽屋でノートを見る三平、くつろぐ志ん朝・馬生から、あの時ならではの馬の助、さん助ら。18歳の自分がいた。

■イラスト/佐野文二郎

※週刊ポスト2020年11月27日・12月4日号