検索すればすぐに正解に辿り着ける時代だ。だが、本当にそうか。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が異色の作品について考察した。

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 恋愛ドラマであれば、恋愛が成就するか、破局するのか。医療ドラマなら助けることができるか、できないか。刑事ドラマなら犯人が誰か逮捕できたか、迷宮入りか。おおざっぱにといえば物語はいずれかの「答」に着地し、それを脚本家も役者も演出家もあらかじめ知っています。

 しかし、このドラマは違う。登場する役者も演出家も脚本家も、すべての人が「正解」を知らない。視聴者も一緒になって感じ考え自問する。そんなドラマって他になかなか無い。

『ここは今から倫理です。』( NHK総合土曜午後11時30分)は、「誰も見たことの無い本気の学園ドラマ」とうたうだけあってたしかに異色です。

 原作は雨瀬シオリ氏の同名漫画でアニメ界でも活躍する劇作家・高羽彩氏が脚本を担当しています。舞台は「倫理」の選択授業をする高校の教室。ごく普通の風景に見える教室に現れた倫理教師・高柳(山田裕貴)のたたずまいだけが、どこか違和感を醸し出している。伏し目がちで、ごく静かに抑えた口調。コケた頬、顔が隠れるような前髪。まったくと言っていいほど崩さない表情、黒い衣服。

 この高柳という人、いったい何者? もっと知りたい、本性を見てみたい、という視聴者の好奇心が刺激されます。淡々とクールで謎めいた高柳という教師を、魅力的に浮かび上がらせたのが山田裕貴さん。その役造りは実に見事で、静かなセリフの一言一言が高柳の内側から出てくる。説得力があり、しかし本人は全く熱くならず押し付けもなく。一歩引いた独特な距離感がドラマに一段と深みを出しています。

 高柳は倫理の授業について、はっきりとこう宣言します。

「数学や英語のような実用性もありません。倫理の授業で得た知識が、役に立つ仕事はほぼない。倫理の知識が役に立つ場面があるとすれば、死が近づいてきた時。自分が独りぼっちの時に使うもの」

 そして、こうも言う。「人の心に触れ、自分の心に触れてもらう授業」。

 一見、「倫理や哲学の言葉が出てくるドラマ」と聞くと小難しい内容かと想像するかもしれませんが、そんなことはありません。手持ちカメラでスピード感のある、めくるめく映像と弾丸セリフで始まった第1話。

 衝撃的なのが教室内での高校生同士のセックスシーン。入ってきた高柳はピクリとも表情を変えず、男女に問いかける。

「合意ですか?」

 叱り飛ばすとか校則に反しているとか説教はなし。高校生としてあるまじき行為だとかいう常識も全く問わない。ただ高柳が問題にするのは、「その性交渉は合意ですか?」。

「もし合意なら、本当に深く愛し合ってのせっぱ詰まっての逢瀬なら、時間と場所についての注意だけにとどめます。合意ですか?」

 そこに強制的な関係はないか。複数の男子の相手をしていたいち子(茅島みずき)は、最後にとうとう「本当は嫌だ」と口にする。

 あるいは、「いい先生になりたい」と熱く願う生徒・谷口恭一(池田優斗)に対して、高柳が突きつけたのは老子の言葉。

「善なる者は吾れこれを善しとし、不善なる者も吾れまたこれを善とす。徳は善なればなり」

 その意味について高柳は、「相手が善人であるから救い、悪人ならば救わない。もしあなたがそうだとすれば、いつかいじめっ子をいじめてしまう先生になるかもしれません」と言う。

 善いものと悪いもの。それは暫定的に決めた線引きに過ぎず、善も悪もその境界線は見えない。物事の本質とは何なのか、自分の頭で考え目の前にある「常識」を疑え、と迫ってくる。他人が差し出してくれる答、つまり救いなんてそもそも最初から存在していない。自分の中に出口を探ることが倫理と言わんばかりの、突き放したクールさが光っています。

 第2話では孤独を抱えた少年が、誰かと寄り添う感覚を感じとるという不思議なシーンを、たった30分間で描き出していました。答を用意しないドラマが一つくらいあっていい、そう思わせてくれる作品。それは同時に、「すぐにわかることは、すぐに忘れてしまう」と、無言で語っているかのようです。