『やまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)で女性芸人として唯一となるゴールデンの冠番組を持った山田邦子。女性芸人である上にピン芸人でもある彼女は、なぜ成功したのか? 昨年で40周年を迎えた自身の芸能生活を振り返った。

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 私は今、「お笑いで天下を獲った唯一の女芸人」って呼ばれているらしいです。でも、当人からしたら変な感じ。「お笑いで天下を獲る」って、もともと関西の人の言い方なのよ。なので(ビート)たけしさんもそうだけど、私も一度も使ったことがないんです。

 あと、芸人っていう言い方も、私たちの時代の人は違和感がある。芸人って、昔は、お師匠さんがいて、寄席や舞台に立っている人たちのことを指す言葉でしたから。私のようなテレビタレントが芸人と名乗るのは失礼な気がして。今、「ピン芸人」っていうジャンルも定着していますけど、昔はそんな呼び方もなかった。コンビに対して、単に「ピン」とは言われていましたけど。じゃあ私は何なのと聞かれたら、ネタをやることを商売にしているお笑いタレントかな。

 天下を獲ったかどうかはわからないけど、一時期、テレビタレントとして、私がいちばん売れていた時期はあったと思いますよ。もっとも多いときで、レギュラー番組は14本もありましたから。1か月の収入が1億円なんてときもありました。ただ、それだけ稼いでいても私たちの頃はカードをつくるのも、ローンを組むのも大変でした。そこへいくと、今は芸能人や芸人の地位が上がりましたよね。ローンだって簡単に組めるらしいですもんね。

 私は19歳のときに芸能活動を始めてるんです。でも、芸能界に入った、みたいな感覚はなかったですね。当たり前だと思っていたので。小さい頃、テレビや寄席でおもしろい人たちを観て、憧れというより、すでに同業者だと思っていたんです。芸能生活をスタートさせたときから気分はスター。周囲を見渡しても、私がいちばんおもしろいと思っていました。計算されたお笑いはできないので、気を付けていたことは、聞き取りやすいことと、勢いくらい。

 こういう勘違い系は、やっぱり強い。売れるまでも、売れてからも、苦労らしい苦労の記憶はないんです。怒られて落ち込んだりしたこともあったんだろうけど、『オレたちひょうきん族』で大好きなたけしさんとも仕事ができていたし、楽しいという気持ちが先行して、嫌なことがあっても忘れちゃったんだと思う。

 最近、フワちゃんと共演したんですけど、フワちゃんを見て「ああ、私みたいな子」って思いましたね。私、デビューした頃、こういう子だったかもって。健康的で、明るくて、でも、美人ではないので嫌味がない。あの子、これからどんなタレントになっていくのかしら。とっても楽しみ。

 近年は、女芸人は不利だという声も聞きますけど、私はそんなこと、一度も考えたことがなかったな。自分で不利を勝手につくっちゃってるんじゃないかしら。あ、でも一度だけありましたね。男の子たちが下ネタに走って、パンツを脱ぎ始めたことがあったんです。そこで勢い、私もパンツを脱いだ。そうしたら、どっちらけで。あのとき、もう二度とパンツは脱ぐまいと誓いました。

 今も昔もネタを考えてるときがいちばん楽しい。最近は、新宿末広亭だとか浅草演芸ホールの寄席に出させてもらってるんです。普通は、出られないんですよ。やっともらえたチャンスなので、ここにはしがみついていきたい。もう60歳になったので、ずうずうしいの。何でも平気になっちゃった。

 芸のジャンルで言うと、漫談モノマネかな。定番のバスガイドのモノマネをやったり、あとはコウメ太夫の真似をしたり。私が出て行ったら盛り上がりますよ。テレビじゃないんで、何をやってもいいんですから。

 衣装は全部、自前なんです。昔からいっぱいモノマネをやっていたので、衣装部屋はもう大変なことになっていて。樹海みたい。捨てようと思っても、なかなか捨てられなくて。眼鏡だけでも何百個もあるんじゃないかな。たぶん、いつか出られなくなりますよ。

 最近は「クニチャンネル」というYouTubeチャンネルもやってるんです。なので高校生ぐらいの子に話しかけられることも増えてきて。「パ〇ズリって言葉をつくったの、山田邦子なんですよね。すげぇ〜!」って。そこかよ、って。でも、私もまだ捨てたもんじゃないでしょう?

【プロフィール】
山田邦子(やまだ・くにこ)/1960年、東京都生まれ。『笑ってる場合ですよ!』『オレたちひょうきん族』など数々の人気番組に出演。1988年から8年連続でNHK「好きなタレント」調査で1位に輝くなど人気を博した。3月1日に新刊『生き抜く力』(祥伝社新書)を上梓。

取材・文/中村計 撮影/黒石あみ

※週刊ポスト2021年4月2日号