放送開始から40年の節目を迎えた『オレたちひょうきん族』(フジテレビ、1981〜1989年)。その名物コーナー「ひょうきんベストテン」では、フジテレビの女子アナが進行役のひとりとして出演し、「ひょうきんアナ」と呼ばれ人気を集めた。「ひょうきんアナ」は番組に欠かせない盛り上げ役であり、その後のフジテレビのアイドルアナ路線の先鞭をつけた存在でもあった。初代ひょうきんアナ・山村美智が当時を振り返った。

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 ひょうきんアナに任命される前、私はレギュラー番組が少なく、アナウンス室にいることが多かったんです。他の同期が芸能レポートをしているのに、私は逸見(政孝)さんに玄米茶、露木(茂)さんには珈琲をお出しして、アナウンサーとしての仕事をしていない焦りがありました。

 そんな時、映画監督の中村登さんの葬儀中継を担当して。当時の部長が「みっちゃん、キミは品のある報道キャスターを目指すといい」と誉めてくれて嬉しかったのですが、その翌週に同じ部長から「『ひょうきん族』のベストテンコーナーやらない? 嫌なら断わっていいよ」って(笑い)。「報道は?」と思いましたが、断わる理由はありませんでした。

 初めて『ひょうきん族』のスタジオに入った時のことは今でも覚えています。照明の多さや明るさ、華やかさが報道のスタジオと全く違って驚きました。「これは普通の衣装では浮いてしまう」と試行錯誤しましたよ。当時は女子アナにスタイリストがつかず、自ら衣装を借りていましたから。途中から山本寛斎さんの衣装をお借りするようになり、汚さないよう気をつけていたのに、「懺悔コーナー」で容赦なく水を被らされて……。その衣装は自腹で買い取りました(苦笑)。

 私が結婚した時は、収録でトチってないのに「今日、懺悔だよ」と言われ「すみません、私は結婚してしまいました」と懺悔させられたことも良い思い出です。

 共演した芸人さんは収録中は破天荒でしたが、皆さん優しかったですよ。(島田)紳助さんはふざけて緊張をほぐしてくださいました。収録でスカートめくりがあった時、(西川)のりおさんはいつも「ごめんな。大丈夫やった?」と気遣ってくださったり。

 ある時、ディレクターの荻野繁さんに「(片岡)鶴太郎さんと若人あきら(現・我修院達也)さんにマッチ(近藤真彦)の格好させて歌わせるならどっちがいいか?」って聞かれたんですよ。私は新人時代、番組で鶴太郎さんとご一緒していたから「鶴太郎さんがいいと思います」って言ったら、その後、鶴太郎さんはマッチのモノマネでベストテンでブレイク! 嬉しかったですね。

 振り返ると、当時は私も20代で、共演者やスタッフもみんなが急成長してる最中の青春時代でした。みんながふつふつとしたマグマを抱え、爆発してた。だから今も愛される番組なのだと思います。

【プロフィール】
山村美智(やまむら・みち)/1956年、三重県生まれ。1980年にフジテレビ入社後、1981年から初代ひょうきんアナに。1985年に退社後は、女優として舞台やドラマで活動。

取材・文/河合桃子

※週刊ポスト2021年6月4日号