ピンクの衣装でバラエティ番組などでもおなじみの林家ペー。彼は、林家三平の付き人を経て独り立ちをした。師匠との思い出についてペーが述懐した。

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 実は私、コテコテの大阪人なんですが江戸っ子文化が大好きで、東京に遊びに来た時に後の立川談志師匠になる柳家小ゑんを生で見たんです。

 あまりの話芸のすごさに「俺には無理だ。落語家は諦めよう」と思いつつ、次に見たのが林家三平。まったく違う芸風だけど、お客さんがゲラゲラ笑ってて、「これなら自分にもできるんじゃないか」と思って(笑い)。

 その後、東京五輪のあった1964年10月に上京し、高田馬場に安アパートを借りて、毎日、根岸にある師匠の家のポストに自分が考えたダジャレやギャグを書いた手紙を入れておいた。

 すると師匠から「遊びにいらっしゃい」と書いた手紙が来て、自宅に行ったら奥さんの海老名香葉子さんが出てきて、「ニッポン放送にいるからそっちへ行ってらっしゃい」と言うから、有楽町に行って楽屋で待っていた。すると仕事を終えた師匠が現われて、開口一番「カバン持って、ついてらっしゃい」。そのまま付き人になっちゃった。

 師匠は「芸は人なり」とよく言ってたけど、師匠を悪く言う人は誰もいなくて、みんなに好かれてました。三船敏郎さんと仕事した時は三船さんのほうから「ヨシコさん、元気ですか?」と師匠のネタを真似しながら挨拶してくるし。

 ある時何かのパーティーで師匠がお酒を飲んでいい気になって「ボーイさん、ワインちょうだい」って言ったら、三島由紀夫さんだった(笑い)。美空ひばりさんも「師匠」と呼んでいたし、凄い人だなぁと実感することは多かったですね。

〈三平に芸人として認識されないまま6年間を過ごしたペー。だが、芸人デビューは突然訪れる。それは三平の言葉がきっかけだった〉

「お前は面白くないから、ギターでも弾いたらどうだ。歌が下手でもギター弾いてたら10分くらいは持つだろう」

 そう言われて、師匠の後ろでギターを弾き出した。その頃、師匠はミュージカル落語といって、ほとんど立ったまま芸をするスタイルだったから、それに合わせてギターを弾いて。それがギター漫談をするようになったきっかけです。1970年2月に付き人を辞めて独り立ちする時は、師匠が玄関で歌って見送ってくれました。

 師匠はその10年後、54歳で亡くなってしまいました。前の年から入院したりして体調は悪かったけど、まさか亡くなるとは思わなかった。虫の知らせじゃないけど、亡くなる数日前に家に呼び出されたんです。師匠の部屋に行ったら小さなライトだけつけて、師匠がスパイ映画とかに出てきそうな高い背もたれのある椅子に座っている。

 挨拶したら「ペー、気持ち悪くなっちゃったよ」って言うから顔を覗き込んだら、サングラスをしてるんですよ。具合が悪いのを見せたくなかったんでしょうね。それでも「スターは夜でもサングラスかけるんだよ」って言うあたりが洒落っ気のある師匠らしい。

 それが最後の言葉で、今でもあの時の師匠の姿を思い出します。

※週刊ポスト2021年6月18・25日号