映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・村上弘明が、柳生十兵衛を演じるにあたってこだわったこと、コロナ禍を過ごした感じたことについて語った言葉を紹介する。

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 村上は二〇〇五年から〇七年まで『柳生十兵衛七番勝負』(NHK)で三シリーズにわたり柳生十兵衛を演じている。九三年の十二時間時代劇『徳川武芸帳 柳生三代の剣』(テレビ東京)以来、二度目の十兵衛役だった。

「『柳生三代』は、撮影所とのお付き合いの面が大きかったですね。『腕におぼえあり』(一九九二年、NHK)を一年やった後で、僕の中でまだそのイメージが強く残っている中での十兵衛だったんです。

『腕におぼえあり』は地毛でやっていたので、十兵衛も地毛でと思ったのですが、それだと『腕におぼえあり』と同じになってしまう。それで総髪の鬘でやったのですが、どうも慣れなくて、自分の中では何か一つ消化し切れない部分が残ったんですね。

 また十兵衛をやることになったので、今度は自分からも意見を出し、十兵衛のキャラクターを創り上げていきました。

 特に意識したのは立ち回りです。東映や松竹だと現場に行って初めて殺陣師の人に手を教わり、その場で覚えます。それ、けっこう大変なんですよね。

 でもNHKの場合は殺陣の稽古を設けてくれます。この時の殺陣は自分でもアイデアを出しながら練り上げました。立ち回りが決まると、不思議なことにお芝居の雰囲気も決まっていくんです。

 立ち回りを『ただのチャンバラじゃないか』と言う人もいます。でも、ただのチャンバラにしてはいけないんです。このキャラクターだったらどうするのか、試行錯誤しながら一つ一つの動きに意味を持たせて作り上げていく。

 所作も含めて、今までの作品のいいところを取り入れた。そういう意味で、これまでの集大成と言える作品かもしれません」

 近年はなかなか満足いくものに出会えていない──今回のインタビューで、村上はそう振り返っている。

「それは、亡くなったマネージャーが『な、お前一人の力じゃなく、俺もけっこう貢献していただろ』と草葉の陰から僕に知らしめているのかなと思います。

 二人三脚でやってきたマネージャーが亡くなって十年、話せる相手もなく暗中模索していますから。

 でも、もちろんその間にいろいろなことを勉強しています。

 我が家の本棚に、ギッシリと読んでない本が積み上げられています。ドストエフスキーやトルストイをコロナ禍でほとんど読みました。西洋美術やクラシックを嗜んだりもしています。

 そうすると、やはりロシアという地に惹かれます。広大な自然の恵みで育まれるものには、何か大きなエネルギーを感じるんです。

 僕も東北の人間なので分かるのですが、人間の生活は気候に左右される。自然の力には抗えない。人間も自然の一部だ──。そんなことを当たり前のように北国の人間は思っているわけです。だから共感できるのかもしれません。

 そんなことを考えながら、次の代表作を構想すべく、資料を読みふける毎日です」

【プロフィール】
春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。

撮影/藤岡雅樹

※週刊ポスト2021年7月16・23日号