CDが売れない今の時代では想像もできないほどに、CDバブルだった1990年代。ミリオンヒットが次々と生まれ、カラオケブームも到来した。そんな1990年初頭、1990年にリリースされたのが沢田知可子の『会いたい』だ。多くの人が涙したこの名曲について、沢田が語る。

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『会いたい』は、当初は私の4枚目のアルバム『I miss you』の収録曲。そこから小さな奇跡が次々重なって、シングルでヒットした曲です。

 アルバムタイトルに合わせて沢ちひろさんに歌詞を依頼。沢さんは何十回も書き直ししてくださり、詞が上がってきたのはレコーディング当日深夜。

 そのとき初めて歌詞を拝見したのですが、内容が私自身の経験と重なることに驚きました。

 この歌は急死してしまった恋人を思い、在りし日を回想し、会いたい気持ちを募らせる歌です。なかでも、詞に出てくる「バスケット」と「死んでしまったの」という言葉が刺さり、ドキッとしました。

 私も学生時代にバスケットボールをやっていて、しかも歌手になる夢を応援してくれた憧れの先輩が交通事故で急死していたんです。だから、その先輩から時空を超え叱咤激励されているような“運命”を感じました。

 その頃、『ゴースト/ニューヨークの幻』という映画が大人気だったんですが、そのストーリーとリンクするとおっしゃるかたもいましたね。『会いたい』を聴くと、『ゴースト〜』の映像が浮かんで、まるで5分間の映画を見ているようだって。

 レコーディングでは、ディレクターから「感情は入れずに、まずは無心で歌ってほしい」と言われ、淡々と3回歌いました。そうしたら、それで終了。

 実は、練習のつもりで歌った歌が収録されていたんです。感情を込めずに歌ったことが、逆に、聴く人それぞれの思いを浮き立たせてくれたんでしょうね。

 たぶん、私は語り部。いまでも『会いたい』を歌うときは、物語を淡々と置いていくように、気をつけて歌っています。

 当時は、1987年にデビューを果たしたものの鳴かず飛ばずで、1990年のアルバムがラストチャンス。これが売れなかったらもう終わりというところまで追い込まれていた時期でした。

 当初、同じアルバムでCM曲に決まっていた『Live On The Turf』という曲がプロモーションの中心。『会いたい』はシングル化の予定もなかったんですが、ディレクターが「この歌には何かある」と土下座するくらいの勢いで猛プッシュし、シングルカットが決まりました。

 ノンプロモーションでほったらかしでしたが、有線放送で地道にかけてもらったおかげで、発売から3か月くらいで有線放送チャート40位ぐらいまで上昇。その頃から周りも、「何か奇跡が起きている」とザワつき出して、プロモーションを開始。1991年には有線放送で1位となって大ヒットし、『NHK紅白歌合戦』にも出場させてもらいました。

 さらに、2000年には「21世紀に残したい泣ける名曲」の1位に選ばれました。実は、2004年の中越地震(新潟県)の後、チャリティーで歌わせていただいたんですが、そのときに皆さんが泣いてくださって。それは悲しい涙ではなく、泣くことによって、怖くつらい体験をした心を癒しているのだと感じたんですね。これが歌の力なんだと思い、その後セラピーを勉強。それ以降は、“涙活”こと、歌セラピーコンサートを各地で行っています。

『会いたい』のヒット後いろいろなことがありましたが、ここまで夢を叶えてもらい、感謝しかありません。この曲はもはや、私の中の最高の相棒ですね。

取材・文/北武司

※女性セブン2021年7月29日・8月5日号