作詞家として五木ひろしを育て、プロ野球選手という新たな客層を開拓。銀座のクラブの旧来のスタイルに風穴を開けた、異端のクラブ「姫」を率いたのが、後の直木賞作家・山口洋子だ。「姫」に1994年までホステスとして在籍したタレントのカルーセル麻紀。「洋子ママとは仕事を超えた付き合いだった」と振り返る。

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 ちょうどモロッコで性転換手術をして帰国し、それまで勤めてた銀座のクラブ「ブルボン」を辞めたばかりの頃、洋子ママから誘われて「姫」に入りました。姫の日給は3万円と言われたけど、10万円を提示された他店の誘いは断わりました。とにかくママの元で働きたかったんです。

 ママはほんと〜にお祭り好きの明るい人でした。節分の日はホステスみんなで仮装してバカ騒ぎ。銀座であんな騒ぎ方をする店はウチくらいでしたよ。

 そしてプロ野球選手とも親しかったママの元には若手からベテランまで様々な選手が飲みに来ました。どのチームも日本シリーズで優勝すると必ず「姫」を貸し切りにして祝賀会。まだ文化放送のアナウンサーだったみのもんたさんも店に取材しに来ていましたね。

 ママは年に1回は社員旅行と称してホステス皆をハワイまで連れてってくれました。それ以外にも、ママと私、作曲家の猪俣公章先生とビクターの鶴田哲也ディレクターの4人で「ほっちゃれ会」を結成して全国を旅しに行ったこともありましたね。

 私は石原裕次郎さんともブルボン時代から親しくさせていただいていましたが、裕次郎さんが1981年に解離性大動脈瘤で緊急入院した時もママとパリでバカンス中でした。危篤の知らせを受け、すぐさま帰国し病院に駆けつけたものです。

 ママも裕次郎さんも銀座でなければ出会えない人でした。銀座は「本物に出会える街」です。だから銀座に回転寿司チェーンが進出した時はたまげたけれど、それでも私は今もやっぱり銀座が好きですね。

※週刊ポスト2021年9月17・24日号