中学3年生でオリンピック全日本代表候補に選ばれた元バレーボール選手の狩野舞子の競技人生は、常に痛みとともに歩むものだった。右、左と両足のアキレス腱を断裂してもなお戦い続けたバレー人生を、狩野自身が振り返った。

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 言うまでもなくアキレス腱断裂は選手生命を左右します。私はそれを両足経験しました。辛い記憶ではありますが、振り返ってみれば、ケガを通じて自分自身が成長できたと思える部分もあります。元々、周りの評価を気にして勝手に落ち込んでいくようなネガティブだった性格を、ポジティブに変えてくれたきっかけだと思っていますから。

 2007年に八王子実践高校を卒業し、久光製薬スプリングスに入団した私は、2008年の北京五輪に照準を合わせルーキーイヤーから試合に出してもらっていました。順調に試合を重ね、年が変わった2月の日立佐和戦。バックをやっている時に、突如身体の後ろから「ズキャン」という経験したことのない衝撃が走ったんです。

 最初は右足首の後ろを誰かに蹴られたと思いました。でも後ろを振り向いても誰もいません。医務室でのドクターの診断は、「こりゃアキレス腱が切れてるな」。肉眼でもわかるほど筋の返りに変なくぼみができていました。

 縫合手術をし、1か月ほど入院しました。術後すぐに動けなかったので、仰向けで寝たままずっと白い天井を見ていたのを覚えています。実はこの時、姉の美雪も日本代表に選ばれていて、姉の年齢を考えると姉妹で五輪に出るのは最初で最後のチャンスだったんです。姉は「焦っちゃダメだよ」と励ましてくれましたが、悔しさが脳裏を駆け巡り、ネガティブな考えがなかなか拭えませんでした。

「何でもいいからポジティブに変換」

 それから地道なリハビリを経て半年後に復帰。しかし2年後、2010年1月の練習中に今度は左アキレス腱を断裂しました。ただこの時は右の時とはすでに受け取り方が変わっていました。前回があるのですぐ認識できましたし、リハビリの過程を思い出して、「まあ、まだ(2012年のロンドン五輪には)間に合うか」と、ポジティブに考えられるようになっていましたね。

 考え方が変わったのは右を切った時に、久光製薬の眞鍋政義監督(当時)に「何でもいいからポジティブに変換してみろ」と言われたことが大きいです。眞鍋監督はご自身が面白いほどポジティブで、見ているだけで感化される存在。どこかで影響を受けたと思います。

 それにケガからの復帰を通して、人間切羽詰まれば何でもできると思えるようになりました。その結果、完治してないのに、左を切った10か月後に海外移籍(イタリア・セリエA)。中学3年でアテネ五輪代表候補に入ってからずっと、周りから見られ続ける環境にいたので、そこから脱却したい思いがありました。与えられるのではなく、自らの力で道を切り開いていきたかったのかもしれません。

 このケガがあったからこそ、弱かった自分に覚悟と勇気が生まれた。それは間違いないと思います。

【プロフィール】
狩野舞子(かのう・まいこ)/1988年生まれ、東京都出身。ロンドン五輪で銅メダル。現在はYouTube『マイコチャンネル』を開設するなど、マルチに活躍中。

■取材・文/松永多佳倫

※週刊ポスト2020年12月11日号