『アメトーーク!!』(テレビ朝日系)の人気企画・高校野球大好き芸人にも出演経験があるいけ団地(本名・池田和希)。ピン芸人である彼は、長崎・清峰高校のメンバーとして、2006年の春と夏の甲子園でベンチ入りし、選抜では準優勝に輝いた球歴を持つ。当時の清峰は、吉田洸二監督(現・山梨学院監督)と清水央彦コーチ(現・大崎高校監督)が両輪となる長崎屈指の強豪校だった。

「吉田監督はチーム内の調和をとることに長けていて交友関係が広く、一方で清水コーチは、『甲子園に出場するのが目標ではなく、甲子園で勝つことが目標なんだ』と常々おっしゃっていて、とにかく野球に対して厳しく、職人肌の方でした。横浜高校の渡辺元智元監督と、小倉清一郎元部長のような関係性だったとおもいます」

 いけ団地は部内のムードメーカーであると同時に、ひとつ“重要な役割”を担っていたという。本人曰く、清峰と対戦する学校の選手に“呪いをかける”というなんとも物騒なもの。その術式(?)の発動条件は“相手との接触”だ。

 事の発端は2005年、2年の夏のことだった。いけ団地は、夏の甲子園に初出場を決めた先輩たちを声でサポートするため、応援団長を務めることになっていた。初戦の相手は、愛知・愛工大名電。その年の選抜を制していた優勝候補だった。

「もともと僕は野球部内のいじられキャラで、『池田にかかわると不幸になる』みたいな感じでからかわれていたんです。そんな僕に対し、誰かが冗談で『愛工大名電の選手が乗るバスを触ってこい』と指示して、それを実行に移した。すると試合では、5回の攻撃中、二死満塁でショートに飛んだ打球が、愛工大名電のショートの胸元のユニフォームの中に入って取り出せなくなり、その間にチームは先制。そのままの勢いで清峰が勝利したんです。甲子園で起こった珍事として、覚えている高校野球ファンも多いのではないでしょうか。この時、新調したばかりのユニフォームだった愛工大名電は、この件がきっかけかどうかは分かりませんが、ユニフォームを元のデザインに戻すことになった」

 最初は冗談のつもりだった。仲間内だけで盛り上がればそれだけで良かった。しかし、いけ団地がかかわった甲子園球児や学校が思わぬ不幸に次々と見舞われることで、「池田の呪い」は信憑性を増していく。

 いけ団地が最上級生になり、「17」を背負った2006年春、初戦の相手は岡山東商業。今度は仲間から「岡山東商業のエースとメアドを交換してこい」との指令。いけ団地はメールアドレスを交換するだけでなく、相手校のコーチにもわざわざ挨拶をして回った。するとその甲斐もあってか(?)、試合中の相手エースの調子は上がらず、11対2と圧勝。

 一方で、いけ団地の運の悪さは自身にも降り注ぐ。2回戦の東海大相模戦で、代打で登場した彼は、雨でぬかるんだ内野にヒットを放つ。しかし──。

「その瞬間、NHKの中継は、ちょうどニュースに入って、僕のヒットの映像は放送されませんでした。すぐに足の遅い僕に代走が出されたので、中継を見ている人もベンチにいる僕のユニフォームがなぜ泥だらけなのかわからなかったと思います。その日、観戦に来られなかった母は、息子が甲子園初ヒットを打ったことを知りませんでした(笑)。どこまでついてないんでしょうね」

 チームは準決勝で前田健太(現ミネソタ・ツインズ)のいたPL学園を破り、決勝に進出。紫紺の大旗を賭けた決勝は横浜を相手に、0対21と大敗したが、閉会式で首にかけてもらった準優勝のメダルはいけ団地にとって生涯の勲章だ。

 そして、いけ団地の呪いの極めつきは最後の夏である。開会式の直前、球児たちは室内練習場に集められて入場を待っていた。いけ団地はレンズ付きフィルムの「写ルンです」を手にし、2006年の甲子園ヒーローたちと写真を撮っていく。

 愛工大名電の堂上直倫(現・中日)に横浜高校のエース左腕・川角謙、大阪桐蔭の中田翔(現・北海道日本ハム)……そして夏3連覇を目指した駒大苫小牧の主将・本間篤史と、田中将大(現・楽天)らである。

 堂上のいた愛工大名電は初戦で敗退し、横浜も大阪桐蔭に敗れ初戦敗退。その大阪桐蔭も2回戦で中田翔が早稲田実業の斎藤佑樹から4打席3三振を喫して敗れ去った。

「唯一、写真を撮ろうとして撮れなかったのが斎藤佑樹選手です。ちょうどトイレに行っていたみたいで、戻った時には開会式が始まるところだった。延長15回引き分け再試合となった早稲田実業と駒大苫小牧の決勝で、本間選手は再試合を含め8打数無安打、田中マー君は大会期間中、体調を崩してしまい、決勝の再試合では最後の打者になってしまった……。あの年の甲子園で、結局、実力を存分に発揮できたのは、自分が写真を撮ろうとして撮れなかったハンカチ王子だけではなかったでしょうか。自分でも恐ろしい呪いです。誤解してほしくないのは、誰かを苦しめようとか、不幸にしようとか、そういう気持ちだったわけじゃない。最初はほんの、遊び心だったんです……」

 いけ団地の恩師である清水氏は、長崎・大崎高校の監督として、今回の第93回選抜高校野球大会に出場した。1回戦の福岡大大濠戦の前日、いけ団地は清水を激励した。(呪いが降りかからないよう)気を遣って、選手たちと顔を合わせないようにしたのだという。

 しかし、会ってしまった。駅の近くを歩いているときに、大崎の球児たちと遭遇し、近寄って来た後輩たちと一緒に記念写真を撮った。撮ってしまったのだ。

 清峰時代、いけ団地の呪いの“効力”を身をもって体験していた清水監督は、福大大濠に敗れた試合後、筆者にこんなメッセージを送ってきた。

「本当にもう、池田が最悪のタイミングで来てしまいました(笑)」

 いけ団地の呪いはまだ続いている──のか。

取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)