相撲ブームが沸騰している。「謎のスー女」こと尾崎しのぶ氏が、現在相撲コラムを週刊ポストで執筆中。今回は前回に引き続き、アキレス腱断裂から復活した安美錦について尾崎氏が綴る。

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 土俵のアーティストである安美錦だが、話のおもしろさにも夢中にさせられる。横綱戦の仕切り中は「客席にカワイイ女性がいないか見回している」そうだ。緊張など全くない。注目の対戦であるから、女性の胸を燃えさせる良い機会だ、いいトコ見せちゃおう、と。

 大笑いさせられたのが「今夜は六本木から美女が消える。なぜなら一人残らず俺の誕生会に来る」や「高層マンションの最上階に住んでみたい」という、旧時代のアーバン臭の漂うもの。理由を考えているうち、私は一つの歴史に気付いた。

 安美錦は青森県深浦町出身、一九七八年生まれである。青森朝日放送が一九九一年に開局され、「トゥナイト」の放送が始まった。十三歳の少年の目に「トゥナイト」「トゥナイト2」から発せられる港区のムード(ジュリアナクイーン荒木久美子も含む)は刺激的で、これぞ東京、とながめていたのではないか。

 幼少期から相撲に励んでいた安美錦は深夜まで起きていなかったかもしれないし、お下劣と言えなくもないあの番組に興味を持たなかったかもしれない。しかし、青森朝日放送の開局は、当時の青森の少年少女にとって文明開化であったことに間違いはない。断言できるのは、私自身が青森の子供だったから。

「ザ・ベストテン」が一九八九年に終了。系列局がないため深夜に放送されていた「夜のヒットスタジオ」も一九九〇年に終わり、音楽シーンにおいて鎖国状態となっていた飢えた子供たちに、青森朝日放送は生放送の「ミュージックステーション」を届けてくれた。

 その金曜八時と、『ツインズ教師』や『南くんの恋人』の月曜八時を軸にして、一週間を生きていた。金曜六時からのピアノのお稽古では帰宅が八時を過ぎてしまうため、木曜にずらしてもらったほどだった。

 現役中、安美錦との対戦を恐れた鳴戸親方(琴欧洲)が今年、佐渡ヶ嶽部屋より独立した。琴欧洲は二百四センチの長身だからこその相撲で大関になったのであり、体格に恵まれない弟子に何を指導できるのだろうかと首をひねっていた。だが私は、今年の五月場所を観戦しながらのなぐり書きに「本間、ちっこい、白い、負けたけどよかった」と書いている。

 全取組にメモするほど関心を持つわけではないのだが、本間はいきいきとして目立っていた。改めて新弟子名鑑を見て本間は鳴戸部屋の力士であると知った。そして文藝春秋六月号での鳴戸親方の随筆を読んで、これはこれでありかもと考えが変わった。

 東京オリンピックの影響もあり、地価が高騰している東京。二年間探し続け、女将さんがなんとか見つけてくれたのが、もとは貸倉庫として利用されていた物件だった。「いわゆる相撲部屋とはちょっとイメージが違うかもしれませんが、両国の隣の錦糸町駅からも歩ける距離にありますし、贅沢は言えません」と語っている。

 私はあたたかい気持ちになった。女将さんのおかげなのだ、という感謝にあふれている。掃除や洗濯、ちゃんこ作りにしても、弟子たちは親元を出たばかりでまだできないから、鳴戸親方が中心になってやっている(ブルガリア料理を意識して、ブロッコリーの冷製ポタージュちゃんこが作られた。鳴戸親方は「最高」と自画自賛するが、弟子たち、あろうことかブルガリア人のカツァロフにも不評であった)。

 二年前に日体大に編入し学んだ科学的なトレーニング方法を弟子に教えたい、新たな親方像を作りたい、とも語る。本間と欧翔山に加え、カツァロフと佐藤も入門。四人の弟子は、ニュータイプの鳴戸親方の元でどんな力士になっていくのかたのしみだ。

 安美錦が引退したら相撲を見るのをやめようと思っていた。しかし鳴戸部屋の産声を聞いて、腕まくりをしてしまう。やがて引退しても安美錦はいなくならない。安美錦流の師範となって弟子たちを指導するのだ。そのことに気付き、スー女卒業の予定は数十年後に延期、いや白紙になってしまった。安美錦の魔術から解放されたいと願っても、一度惚れたらもう離れられない。

※週刊ポスト2017年8月4日号