1年前の7月15日、PL学園野球部は、大阪大会初戦で東大阪大柏原に敗れ(6対7)、活動休止となった。学園の1期生で、黄金期にはスカウトとして部を支えた井元(いのもと)俊秀氏は、敗北の報せを秋田で聞いた。電話の相手は東大阪大柏原の浅黄(あさお)豊次監督だった。

「井元さん、母校は立派でしたよ。良い試合ができました」

 その言葉に、井元氏はひとり涙した。浅黄監督は、1990年代にPLと大阪で覇を競った近大附属の元監督であり、知己の関係にあった。

 実は同校との対戦が決まった日に井元氏から浅黄監督に連絡を入れ、こう伝えていた。

「PLはもう終わってしまう。武士の情けじゃないが、無名校に負けるよりも、あなたに介錯をしてもらえるのなら、私も本望です」

 PLは今年3月に高野連脱退届を提出。全国制覇7度を誇る名門は、60年の長い歴史に幕を閉じた。井元氏は言う。

「今は明桜(秋田)の野球部に携わる立場。もう一度、甲子園に子どもたちを連れて行きたい」

 名門野球部の最後の主将(62期生)である梅田翔大(しょうた)は、福岡の日本経済大学に進学し、「甲子園の夢がかなわなかったぶん、(大学野球で)神宮球場を目指したい」と話した。

 東大阪大柏原との試合では、右肩のケガで送球もままならなかったレフトの藤原海成。大阪経済法科大学に入学し、野球部ではレギュラーを獲得した。また、彼の弟の恭大は、大阪桐蔭で2年生ながら1番を任され、今春のセンバツ決勝では2本塁打を放った。

「弟は凄すぎちゃって刺激にもなりません(笑)。自分は自分の道で、頑張るだけです」

 PL野球のDNAは全国で受け継がれている。

●文/柳川悠二(ノンフィクションライター/『永遠のPL学園』著者)

※週刊ポスト2017年8月4日号