相撲ブームが沸騰している。「謎のスー女」こと尾崎しのぶ氏が、現在相撲コラムを週刊ポストで執筆中。今回は元横綱の柏戸について尾崎氏が綴る。

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 二〇一三年一月場所。鏡桜が十両に昇進。鏡山部屋から十九年ぶりの関取誕生。喜ばしいはずなのだが、鏡山親方(元関脇・多賀竜)は頭を抱えていた。なぜなら鏡山部屋は、力士が親方の息子の竜勢とモンゴル出身の鏡桜の二人しかおらず付け人も他の部屋から借りなければならない。

 輪になって低い姿勢でのすり足を体にたたきこむムカデという体操があるが、鏡山部屋には四本の足しかないことから「ムカデをうらやむ犬」とからかわれている。「猫の手」を借りたい「犬」なのだ。

 二人はムカデ体操を求めて伊勢ノ海部屋や時津風部屋などにせっせと出稽古に行っている。他の部屋の力士から「兄弟子のお使いをしなくていいなんて」とうらやましがられている。鏡桜は関取用の個室を使用する権利を得ても「窮屈」と三十畳の大部屋の中央で寝ていたそうだ。「無理ヘンにゲンコツと書いて兄弟子と読む」とは角界の慣用句だが、ハングリー精神とは無縁の鏡山部屋でよく関取が育ったものだと感心した。

 一九八四年九月場所で多賀竜が平幕優勝をしたとき、わずかに瞳をきらめかせているだけの多賀竜本人とは対照的に、横にいる鏡山親方(元横綱・柏戸)が「ビエーン」と聞こえてきそうな表情で泣いていた。

 この年の五月に母を交通事故で亡くし、七月場所は負け越し。前頭十二枚目まで番付を落とした多賀竜が、蔵前国技館最後の歴史に残る場所で幕内最高優勝(敢闘賞・技能賞も受賞)するとは誰も想像できなかっただろうけれど、それにしても親方が泣きすぎだ。あれ、このギョロ目の親方どこかで見たな、と相撲雑誌を漁る。

 一九六三年九月、右肩の故障による四場所連続休場のあとの土俵生命をかけた場所で全勝優勝を果たした横綱・柏戸が、伊勢ノ海親方(先代柏戸)にあふれる涙をハンカチでぬぐってもらっている。

 私はそれまであまり知らなかった柏戸のこと、さらに「柏鵬時代」のもう一人、大鵬のことも気になっていった。大鵬はのちに「自分の弟子からは、幕内最高優勝者が出ていない。柏戸さんには完敗だ」と、現役時代から続く男のバトルと友情をなつかしんでいる。

 鏡桜の十両昇進に困っている、との記事をきっかけに名鑑を見て「鏡山親方と勝ノ浦親方と若者頭の伯龍さんと……えっ、生徒二人に先生三人?」と驚いた時に、以前読んでいたそれらが繋がった

 多賀竜の優勝を伝える記事に「来年二月の出産もうれしい」と奥様の帯に手を添えている写真があった。あの時お腹にいた子供が竜勢なのか、とニンマリした(竜勢は一九八六年生まれなのでそれは間違いで、脚本家の勉強をしているご長女の方のようだ)。

 竜勢が高校を中退して入門した時、部屋の後援者は「入るところ間違えたんじゃ? ジャニーズ事務所に入ればいいのに」と言った。相撲部屋の息子なのに、部屋の盛り上がりを望んでいるはずの後援者から首をかしげられるほど細くてかわいらしくて、相撲向きではなかったのだ。

 新国劇の女優であった女将さんは、貴乃花親方から「相撲部屋の息子としての苦労はいろいろあります。息子さんの気持ちもよくわかりますから」と気遣ってもらってありがたい、と話していた。相撲部屋に生まれた男子の宿命を貴乃花親方は感じているのだろうけれども、女将さんとご長女の演劇への関わりから思えば、竜勢が芸能界入りしていても不思議ではなかった。

 すっかりたくましくなった竜勢は二〇一六年七月場所、幕下四十四枚目で全勝優勝をした。翌場所の幕下四枚目はさすがに家賃が高く負け越しを続けていたが、幕下五十三枚目での去る七月場所は昨年のアマチュア横綱の矢後と優勝を争った。六勝して大きく番付が上がるが、一回り大人になっている竜勢であろうから、前進していくのではないかと期待している。

 いつか竜勢には十両に昇進してほしい。もちろんその先のステップも、優勝も。その時、鏡山親方は泣くだろうか。実験のようで悪いのだが、号泣おじさん柏戸のせいで、多賀竜は泣かない人のような気がしている。

※週刊ポスト2017年8月18・25日号