覚悟をもって次の場所に備えてほしい──。途中休場を含めて7場所連続休場となった横綱・稀勢の里に、横綱審議委員会の北村正任委員長はそうコメントした。唯一の日本人横綱が、かつてなく厳しい立場に置かれている。

「3月場所後の北村委員長のコメントとは、言葉遣いが微妙に違う。これまでは“次に出場する場所で不成績の場合はなんらかの決議を行なう”と言っていた。それが“次の場所”という表現に変わった。仮に7月場所も休場すれば、横審が『注意』『引退勧告』などの決議を行なうことになるでしょう。その背景にはやはり、“一代年寄の貴乃花を超える長期休場は許されない”という考え方があるのではないか」(担当記者)

 2001年から2002年にかけて、横綱・貴乃花は7場所連続休場し、年6場所制になって以降の横綱では最長の記録だった。稀勢の里は今回、それに並んだ。「いかに協会が巡業に客を呼べる日本人横綱として“特別扱い”しようにも、これ以上はかばいきれない」(同前)とみられているのだ。

 稀勢の里と同じ「7場所連続休場」を経験した横綱・貴乃花が、横審から「これ以上の休場は認められない」と「出場勧告」を受けて本場所の土俵に上がったのは2002年9月場所だった。

 序盤に金星を2つ献上したものの、14日目までを12勝2敗で凌ぎ、千秋楽にライバルである横綱・武蔵丸と相星決戦に持ち込んだ。

「この一番に敗れて貴乃花は準優勝に終わった。1年以上のブランクがあって12勝3敗だから立派な成績にも見えるが、本人はそうは捉えず、むしろ自身の“衰え”を悟ったといいます。武蔵丸との対戦が、自身の力を測るバロメーターになっていたのでしょう」(元力士)

 この場所でケガを悪化させた貴乃花は、翌11月場所は全休。年明けの2003年1月場所では、出島と安美錦(ともに平幕)に敗れ、“自分の相撲が取れなくなった”として8日目に引退を決意した。

「貴乃花の“引き際”を巡ってはファンの声も二分された。休場が続いていた時期には、“ケガが治ればまだやれる”という期待があった一方、“もう限界じゃないか”という声もありました。7場所連続休場の直前となる2001年5月場所の優勝決定戦は、貴乃花がケガの痛みを堪えながら、“鬼の形相”で武蔵丸を下して優勝を果たした“伝説の一番”だった。ケガが酷いのであれば、伝説の一番から時間を空けずに“惜しまれながら引退”したほうが美しい引き際ではなかったか、という声は今もある」(同前)

 2場所連続負け越しで関脇に落ちる大関と違い、横綱に「陥落」はない。あるのは「引退」だけであり、それだけに引き際の判断は難しくなる。

※週刊ポスト2018年6月1日号