【書評】『平成の終焉 退位と天皇・皇后』/原武史・著/岩波新書/840円+税
【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)

 元号フィーバーといった騒ぎようだが、それ以上は何も知ろうとしない。天皇制とは空気のようになじんでいるのに、天皇家については関心の外なのだ。怠惰な国民になりかわって、政治思想史を講じる学者がわかりやすく、いかにして「平成」が終焉を迎えたかを説いてくれた。

 天皇の生前退位を望む「おことば」がそもそもの始まりだった。だから第1章は「『おことば』を読み解く」。おかげで全文にわたり、天皇の文章を読むことができる。古風で、きちんと筋道をたどり、平易で、品格のある良質の日本語である。

 政治情勢に触れない制約のなかで、主張すべきことは主張して、その上で「国民の理解の得られることを、切に願っています」と結ばれている。宮内庁のホームページに全文が公開されているが、はたして国民のどれだけがあたってみただろう。

「おことば」の背景と、分析を通して、さまざまな問題点が浮き出てくる。戦前戦中の昭和天皇は姿を見せない現人神だった。戦後、人間宣言をして全国を巡幸したが、多少とも現人神が世俗にそまったという程度だっただろう。国民自体が対処の仕方を知らなかった。おそれかしこみ、土下座して、やりすごした。

 やっと平成を待って天皇と世俗とのへだたりが定まった。皇室用語では、天皇が一人で外に出るのを「行幸」、皇后とつれ立って出るのを「行幸啓」というそうだが、今上天皇は行幸啓を自分たちのスタイルとしたようだ。それは「『平成』をより鮮明にするための、強い意思」と取れないか。「おことば」を知る人も、天皇がその中で自分の葬儀についても語っていることは、ほとんど気づかないだろう。死を自覚した人間は強いのだ。

 そういえば近年の行幸啓はきわだっていた。太平洋戦争の激戦地を巡り、深々と頭を下げる姿は、ひときわ鮮烈だった。時代の動向への危惧と批判をこめてのことは、火を見るよりあきらかである。その点でも怠惰な国民は、べつに何とも感じなかったようなのだ。

※週刊ポスト2019年5月3・10日号