【書評】『非凡なる凡人将軍下村定 最後の陸軍大臣の葛藤』/篠原昌人・著/芙蓉書房出版/2000円+税
【評者】平山周吉(雑文家)

 敗戦後に就任した最後の陸軍大臣下村定の伝記である。中国大陸の戦線から呼び戻され、東久邇宮内閣と幣原内閣で、幕引きの大役を務めた。本書の著者・篠原昌人は下村を「清算会社の社長」と表現している。下村「社長」と同期(陸士20期)の大将には、牛島満(沖縄戦で自決)、吉本貞一(敗戦後自決)、木村兵太郎(東京裁判で絞首刑)がいた。下村の前任者・阿南惟幾は「一死、大罪に謝す」と割腹自殺していた。

「生涯に三度自決を覚悟した」(下村の娘である演出家の河内節子の証言)という下村は、生きて「謝す」役割を担った。敗戦直後の帝国議会での答弁に、下村の立場は端的に表現されている。

 戦中の反軍演説で著名な斎藤隆夫議員の質問に下村大臣は答えた。「所謂軍国主義の発生に付きましては、陸軍と致しましては、陸軍内の者が軍人としての正しき物の考え方を過ったこと、特に指導の地位にあります者がやり方が悪かったこと、是が根本であると信じます。(略)殊に許すべからざることは、軍の不当なる政治干渉であります」。大きな拍手が起きた答弁は、予定の原稿にはない下村「社長」の「心底からの叫び」であった。

 下村の軍人としての履歴の一番の華は、この八年前、参謀本部第一部長という要職に就いた時であろう。支那事変勃発直後、前任者の石原莞爾は「事変不拡大」を訴えて、左遷された。陸軍作戦の実質的決定者となった下村部長は、家族に「今大きなことをやっているんだよ、お前たちも成功を祈っておくれ」と洩らしている。その「大きなこと」とは大陸の戦線の膠着状態を打開するための杭州湾上陸作戦の決行であり、南京追撃の容認であった。著者は昭和十六年七月時点での下村の「反省自粛」訓示に注目している。

 最新刊『ある「BC級戦犯」の手記』(冬至堅太郎著、中央公論新社)には、その後BC級としてスガモに収監された下村の姿が出てくる。昭和二十二年正月の入浴時の一首。「獄の湯に老将の背を流しゐて我泣きにけり父を憶ひて」

※週刊ポスト2019年9月13日号