高級店が高級店で居続けるためには理由が必要だ。そこで試されるのが革新的なメニュー。評価されれば、業界に与える影響は小さくないようだ。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が指摘する。

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 いつの時代もブームは革新者とそこに集まる人々によって演出される。最近では海外からの出店者と新規参入者が続々と出店し、そこに若者が群がるあの飲み物──そう。ふるふると震えるタピオカのブレイクの構図だ。そして、鮨店という日本人にとってなじみ深い食べ物を出す店でも似たような現象が起きている。

 といっても、昔ながらの町場の鮨店の話ではない。新規参入や独立でバブルのような景気に湧いているのは、既存の名店よりも、さらに高価格な新店だ。食事だけで3万円以上、酒を飲んだら5万円近い超高額店。ホンマグロのトロの鮨にキャビアを盛り、北陸の白エビにトリュフを散らす。そうした新店の会計は、当代きっての名人が握る超名店以上ということも珍しくない。それでもカウンターは満席御礼だ。

 いいことだ……と言うと「高いじゃないか!」とお叱りをいただくかもしれない。一食数万円となると、おいそれとのれんをくぐれる単価ではないし、そんな店に通い続けられるのはよほどの富裕層か好事家、それにインバウンドの観光客くらいだろう。だがこうした超高額店でも金額に見合うクオリティがあれば、業界レベルの引き上げや、多様な鮨へとつながる道しるべでもある。

 確かに高い。だが牛丼100杯分にも相当するその一食は、1000万円以上もする超高級車の存在にも似ている。超高級車には大衆車では使うことのできないパーツや機能が採用されている。そこでデータは積み上げられ、大衆車の安全や性能の向上につながる。大衆にとって手が出ない超高級車だったとしても、大衆にとって役に立つフィードバックが得られる。

 食べ物も同じである。超高級店でしかできないような試みが、こなれて模倣を繰り返され、大衆店の鮨に落とし込まれる。現代に至る大衆食の歴史がそうだった。いまから100年ほど前、1923(大正12)年9月1日に関東大震災が起きる前、外食における洋食は政財界のお偉方のためのものだった。そうした一部の人達のためのメニューが、関東大震災以降大衆向けに調整し、後に爆発的な人気を呼ぶに至った。ステーキもシチューもそうだった。

 現代洋食における魚介のフライの起源は江戸前の天ぷらだという説がある。いまも続く上野御徒町の老舗「ぽん多本家」の店主はWebコンテンツのインタビューに答えて、創業期を次のように振り返っている。

「当時はまだ品書きに値段も書かれていない鮨屋のような商売だったそうです」、「「江戸前」の魚を揚げた天ぷらの影響は大きいと思います。柱のフライは小柱の洋風かき揚げのようなものですし、創業当時はそれこそメゴチのような江戸前天ぷらを代表するような魚もフライで出していたようです」、(CLUB MITSUBISHI ELECTRIC「日本人の食卓」より)。

 情報の流通は飽和し、社会はフラット化する。そこで進化した「食」はいずれ庶民のもとへと降りてくる。江戸の屋台で庶民を楽しませた天ぷらは、明治のひととき富裕層向けのフライへと進化し、それは後に大衆洋食へと噛みくだかれた。ハレのごちそうだった鮨も回転寿司という新たな形態を手に入れ、誰もが日常で楽しめるものになった。

「江戸前鮨」という言葉には「江戸前の仕事を施した」という意味も込められている。キャビアや削ったトリュフが崩れそうなほどに高く盛られたにぎりは、鮨が次のステージに行くための扉か、進化の過程における時代の徒花か。

 と思ったら、去年スシローが新業態の「杉玉」で「キャビア寿司」なるメニューを299円でメニュー化させていた。高きもよし、安きもよし。そして高きも安きも、考えることはだいたい同じだった。