父が急死したことによって、いきなり認知症を患う母(85才)を支える立場となった女性セブンのN記者(55才)が、リアルな介護の様子を綴る。今回は介護とアートの関係について。

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 外出して疲れたり私がガミガミ怒ったりすると、母はすかさず手近な紙を折り始める。たまに鶴などが完成するが、たいていはひたすら折るだけ。でも緻密な折り目は、かつて紳士服の仕立て職人だった、母の若き日の手さばきを彷彿とさせるのだ。

◆見るのが好きでも書くのは全然ダメ

 診断以前を加えると、もう“認知症十年選手”の母。いろいろできなくなってきてはいるが、昔から好きな美術への好奇心は、まったく失せないのが不思議なところ。

「知らない人が親切にしてくれる」「ももちゃん(里子に出した愛犬)はどこへ行った?」「地球温暖化が大変だ!」と、最近母から発せられる話はこの3話だけだが、新聞の片隅に、東山魁夷や片岡球子など好きな絵画展の記事を見つけると、自分で切り抜いて壁に貼ったりもする。実際に足を運べば目をキラキラさせて「すばらしい! 心に響く」と、普段使わない表現も飛び出すのだ。

 認知症の予防や抑制にはアート療法がいいとよく聞く。流行のぬり絵、貼り絵などはデイサービスでも盛んに行われていて、母が要介護になりたての頃は“子供扱いか”と怪訝に思ったものだが、ちゃんと意味があるらしい。

 しかし、“見る”と“やる”とでは大違いだ。母がデイサービスで作ってくる作品は、悲しいほどヒドいのだ。

 手の力が入らないのか自信がないのかぬり絵は筆が弱々しく貼り絵は貧相。習字に至っては、まさにミミズのような文字が、なぜか半紙の右上に偏ってニョロリと這っているという具合だ。

「やっぱり認知症だからかな」と一瞬哀れんだが、往年の母の悪筆を思い出した。「ママが子供の頃は戦争中で、お習字ができなかったからね」という苦しい言い訳も。

 認知症になっても、変わらないことは結構あるのだ。

◆気まずくなると始める折り紙の意味は…

 とはいえ母は、決して手先が不器用というわけではない。注文紳士服の仕立てを生業にしていた祖父(母の実父)に、9人もいた兄弟姉妹の中から見込まれて家業を手伝っていたのは、母なのだ。

 やわらかい布地を巧みに手繰って整え、重いアイロンを滑らすと、まるで母にひれ伏すように真っすぐで堅硬な折り目がピシッとつく。小さい頃の私は、そんな母のアイロン技に見とれたものだ。

 ふとその懐かしい場面がよみがえったのは、処方薬をセットするため、仕事の合間に母の家を訪れた時だった。

 冬なのにヨレヨレの半袖Tシャツ姿の母に、毎度のことながら仕事モードの私は、軽くイラッときた。

「あのさー、冬なんだから、冬の服着ないと!」とブツブツ言いながら母を見ると、背中を丸め、何やら忙しそうに手を動かしている。ガムの包み紙を折っているのだ。辺と辺を正確に合わせ、指で折り目をなぞると、ピシッと気持ちのよい直線になった。

 そういえば要介護になってから、母が手近な紙を折るのをよく見かけるようになった。鶴やカブトなど完成品を目指すふうではなく、ひたすら折る作業に没頭しているのだ。母が何か失敗して気まずい雰囲気の時、一緒に外出した先で、私がスマホに夢中になっている時も、黙々と折っている。

「もしかして、これが母のストレス解消…?」

 意気揚々とアイロンを繰る若い母の姿が重なり、初めて思い至った。たまに完成する折り鶴は折り目も角も美しい。さすがの職人技である。

※女性セブン2020年2月6日号