1990年、4代目リハウスガールとして「三井のリハウス」のCMに出演し、1992年にドラマ『90日間トテナム・パブ』(フジテレビ系)の主演で念願の女優デビューをはたした坂井真紀さん。

失恋した女の子が「絶対きれいになってやる!」とボクシングポーズでつぶやくエステのCMも話題に。『私の運命』(TBS系)、映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(若松孝二監督)、舞台『髑髏城の七人』(劇団☆新感線)など数多くのテレビ、映画、舞台に出演。

バラエティ番組『水10!ココリコミラクルタイプ』(フジテレビ系)ではコメディセンスを発揮してユニークなキャラにも挑戦。6月4日(金)には、俳優・佐藤二朗さんがメガホンを取った映画『はるヲうるひと』の公開が控えている坂井真紀さんにインタビュー。

◆オーディションでいきなりドラマの主演に

東京・台東区根岸の下町で育った坂井さんは、男の子のように元気いっぱいの活発な子どもだったという。最初になりたかったのは学校の先生だったが、いつしか芸能界に興味をもつようになっていたと話す。

「80年代でアイドルの全盛期でしたが、私がアイドルになれるなんて思ったこともありませんでした。ただ、『Olive』(オリーブ)という雑誌が大好きで、そのなかで紹介されるフランス映画に興味をもって。フランスのシャルロット・ゲンズブールという女優さんに憧れ、映画にも憧れ、恐れ多くも私も映画の世界に入ってみたいななんて思いはじめました。その後、ラッキーなことにご縁をいただき、知り合いの方がモデルクラブを紹介してくださいました」

−モデルのお仕事をはじめたときはいかがでした?−

「楽しかったです。私は背がモデルさんのように大きくなかったので、よくコマーシャルのオーディションを受けに行っていました。雑誌のお仕事もときどきさせていただきました。プロの方にヘアメイクをしていただいたり、用意された衣装を着て撮影する時間はとてもわくわくしました」

−そしてモデルからお芝居へ−

「女優になりたいという思いはずっとありましたね。その思いを心の中に秘めて、モデルという仕事がきっかけになればいいなと思いながらやっていました。

でも、そんなに簡単にチャンスはやってきません。やっぱりスカウトされたり選ばれた人にしかチャンスはないのかなと思っていましたし、モデルとして話題になったり結果を出さないとならないということもわかっていました。

でも、若いときの熱い想いってすごいですよね(笑)。『選ばれないのだったら選んでくださいと言える場所に行けばいい』と。事務所のマネジャーさんに勇気を振り絞って、『女優の仕事をしたいんです。オーディションに行かせてください』とお願いしました。そうしたら、『もうちょっとモデルとしても頑張らないとね。あと1年くらいこのまま頑張りなさい』と言われました」

坂井さんは、それから1年間モデルとしての仕事に一生懸命取り組み、1年後再度事務所に女優の仕事について相談したという。1992年に放送された深夜ドラマ『90日間トテナム・パブ』のオーディションを受けて、主役に抜てきされる。

このドラマは、3か月に渡るイギリスロケを敢行。ロンドン・トテナムを舞台に、パブの建て直しを図る3組のイギリス人男性と日本人女性のカップルの波乱の日々を描いたもの。

−いきなりドラマの主役でしたが、決まったときはいかがでした?−

「すごくうれしかったです。絶対に受かりたいとか、このチャンスをものにしたいという闘志はあったんですけど、おまけで連れて行ってもらえたオーディションだったので、気負いなくできた感じはします」

−撮影はどんな感じでした?−

「英語のセリフもありますし、本当にはじめてのことばかりだったんですけど、でも知らないことってすごいですよね(笑)。何も怖くないというか、若さなのか、何とかやっていました」

−イギリスではいろいろなパーティーなどにも行かれたとか−

「そうです。ロンドンでは毎週末にいろいろなパーティーが開かれていて、私も何度か連れて行ってもらったりしていたんです。“LGBTの寿司パーティー”に行ったり、いろんなカルチャーに触れることができて、すごくいい経験をさせてもらいました」

※坂井真紀プロフィル
1970年5月17日生まれ。東京都出身。1992年にドラマ『90日間トテナム・パブ』で主演デビュー。『ずっとあなたが好きだった』(TBS系)、『かなたの子』(WOWOW)、映画『ノン子36歳(家事手伝い)』(熊切和嘉監督)、映画『スープ・オペラ』(瀧本智行監督)、舞台『髑髏城の七人』などドラマ、映画、舞台、CMに多数出演。『水10!ココリコミラクルタイプ』(2001年〜2007年)などバラエティ番組にも出演し、歌手としても活動。著書『ぴかぴかのへそのゴマ』、『マンモス マモタン』を出版するなど、幅広いジャンルで活躍している。

◆エステのコマーシャルが話題に

初主演ドラマ『90日間トテナム・パブ』が放送された1992年、坂井さんが出演したエステのコマーシャルシリーズが人気を集めた。

竹内まりやさんの楽曲『元気を出して』が流れるなか、坂井さん演じる失恋した女の子が涙ぐみながら、「絶対きれいになってやる!」とボクシングポーズを取る姿はたまらなくキュートだった。

−「こんなに可愛い子を振る男なんていない」と話題になりました。今でも印象に残っていますけども、ご自身ではどんな感じでした?−

「今までのエステのコマーシャルのイメージからは想像できない、一人の女の子の気持ちが短編映画のように描かれていました。演出家の方もスタッフさんも素晴らしい方々で、あの女の子の気持ちの変化や心の表情を表現することはとても難しく感じましたが、そういったことを要求される緊張感もふくめて刺激的で楽しい撮影でした。

そう。あのCMの相手役の方は後ろ姿しか映っていないのに、なんと小林薫さんだったんです。『本当にもうやめてください』という感じでした(笑)。ただでさえ緊張するのに、小林さんが後ろ姿だけで来てくださるなんて恐れ多くて…。

でも、この間小林さんにお会いしたとき、『あのCMのときのこと覚えてる?』とお声がけくださって。『後ろ姿だけだけど、ちゃんとした仕事としてオファーをいただいたのですよ。いい仕事でした』と言ってくださいました」

−すごいですね。ドラマ、CMと劇的に変化していったと思いますが、どのように感じていました?−

「私は21歳で短大を卒業してからの女優デビューだったからでしょうか、さて就職か女優の道かの選択にも少し悩みましたし、『いつダメになるかわからない世界だし、調子に乗っちゃだめだ』ってずっと思っていました。

でも、昔のインタビュー記事などを見ていると、『何を言ってるんだか』みたいな発言もしているので、少し調子に乗っちゃっていたかもしれないです(笑)」

−歌手としても活動されていましたね−

「調子に乗っていたひとつですね(笑)。最初はCMソングを歌ってくださいということだったので歌わせていただきました。下手なんですけど、怖いですよね。言われてやってみようと思っちゃったんですね(笑)。でも、『下手だ』と言いながらも楽しんでやっていました。楽しんだもの勝ちかなと思って」

−ドラマの撮影にCM、そして歌手活動もということでかなり忙しかったのでは?−

「そうでもなかったです。それこそ忙しい芸能人の方は寝る時間もないくらい働いているイメージでしたし、そんなことにもすこし憧れていましたが(笑)。わりと大丈夫でした。

それこそ連ドラに入ると、昔は結構朝からてっぺん(午前0時)を越えても撮影するという時代でしたからハードになりますけど、毎日それが続くわけではなかったので」

−昔は28時(午前4時)終了で朝8時開始というようなこともありましたね−

「よくありました。『28時って何時?』という感じですよね(笑)。今は働き方も変わってきましたが、昔は普通にスケジュールにそう書かれていましたよね」

◆ゴールデンタイムのドラマに主演

1994年、坂井さんはドラマ『私の運命』(TBS系)に主演。このドラマは、結婚式を3か月後に控えて余命半年のガン告知を受けたカップル(坂井真紀&東幹久)がさまざまな問題に直面しながら歩む日々を、ヒロインの目線で描いたもの。

−ドラマティックな展開で難しい役どころでしたね−

「そうですね。ドラマティックな展開でした。スタッフのドラマ作りにかける熱い思いや、共演させていただいた野際陽子さんや佐野史郎さんや段田安則さんというすてきな先輩たちにも恵まれたので、とてもいい時間を過ごせました。当時はリハーサルもきちんとやらせていただいたので、先輩たちのお芝居をしっかりと勉強させていただきました」

−ベテランの俳優陣に囲まれた刺激的な現場だったようですね−

「そうですね。撮影以外の時間も佐野さんには音楽のことをたくさん教えていただいたり、野際さんはあらゆることへの知識があられて、お話が本当に楽しくて。ミュージシャンの名前やその歴史、昔の映画や役者さん、本…当時は知らないことだらけでしたので、メモ帳を作っておいてわからないことをメモし、家に帰ってから調べていました」

−そういう努力はやっぱり必要ですよね−

「そうなんですよね。教えてもらった本を読んだり、教えてもらった映画を見たり、教えてもらった音楽を聴いたり、すごく勉強になりました。新しいことを知ることで世界が広がり、そこからまた広がっていって、心を豊かにしていただきました。

約半年間の撮影でしたので、終わってしまったときは本当に寂しかったですね。でも佐野さんや段田さんは今でもお付き合いさせていただいています。有難いご縁です」

−ドラマのお仕事も順調で、エッセーも連載。1996年には『ぴかぴかのへそのゴマ』(角川書店)という本も出されました−

「連載していたエッセーをまとめさせていただきました。1冊の本になったのはうれしかったです。書くことが好きだったので自分の本が出たことはうれしかったです」

2005年には、「愛」と「地球」の大切さを伝えるおはなし絵本『マンモス マモタン』(主婦の友社)を出版。1万年前の大自然を舞台に、ちょっととぼけた風貌の男の子“マモタン”とその妹“マモリン”の心温まるストーリーが展開。

−幅広い分野で活動されていますね−

「たくさんの方々に助けられてできていたことです。幸せなことに本当にいろいろやらせていただいてましたが、なかなか映画出演のチャンスはなく、『映画に出れたらいいな』と映画への憧れは強くなっていました」

坂井さんは映画『OL忠臣蔵』(原隆仁監督)、映画『青春☆金属バット』(熊切和嘉監督)など多くの映画に出演。そして、かねてから出演を熱望していた若松孝二監督の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』のオーディションを受けて出演することに。

次回はその若松組の撮影裏話、コミカルな演技が話題を集めた『水10!ココリコミラクルタイプ』についても紹介。(津島令子)

スタイリスト:梅山弘子(kiki inc.)
ヘアメイク:ナライユミ