新感覚アート番組『アルスくんとテクネちゃん』、第36回に登場したのは、アニメのキャラクターのようなあどけない少女をモチーフに、立体作品を生み出すアーティスト、谷口真人さん。手前には絵の具の質感が残るぼやけた輪郭が描かれるが、ハッキリとした少女の姿は奥の鏡に映し出され、触れることも正面からその姿を捉えることもできない。フレームの脇から覗き見る少女の姿に、観る人はどんな想いを馳せるのか? 谷口さんが問い続ける、実在するということの意味とは?

◆作品の中に共存するイメージと物質の不可分な関係

『Untitled』(2020) Courtesy of NANZUKA

―この絵の具で描かれた少女の作品は、どのように作っていらっしゃるんでしょうか。

透明のアクリル板の上に絵を描いていて、それが額縁の中に入っている鏡に反射されて、イメージを映し出してるという状態です。

―なるほど。ということは、鏡を見ながら描くのでしょうか。

場合によりますが、何も見ないで描くこともありますね。

―えっ、そうなんですか?

普通に絵を描いてるのとあまり変わらないんですよ。絵の具を乗せている場所と、鏡に映るイメージ、そこに距離感があるだけです。ペンタブを使ってパソコンで絵を描いてる感覚に似ているかもしれないですね。

―なるほど。その説明だと理解できますね。アニメのセル画の制作工程にも近いのかなと思いました。ちなみにアニメやアイドルをモチーフにしているものが、谷口さんの作品には多いと思うのですが、それはどんな理由からなんでしょう。

どちらも小さいときから身近にあったものです。たとえばキャラクターだったり想像上の存在に対して、自分がどういうふうに感じてきたか、どういう視点をもってきたか、ということを考えています。

『Untitled』(2019) Courtesy of NANZUKA

―もともとアニメやアイドルはお好きだったんですか?

はい。好きでした。小さい頃、3歳くらいからでしょうか。当時は青い髪の毛の女の子のキャラとかがいて。生まれながらにしてあそこまで鮮やかな青の人間はあまりいないと思いますが、たとえばそういう人工というか想像でしかありえない部分とかいいなと思ったり。

あとはアイドルとかアニメに限らず、いろんな想像上の存在に対して興味がありました。

―なるほど。

想像上のもの、つまり人によって作られたものに感情移入できることは不思議に思います。それらはいわば感情移入させるためのものとしてつくられているもの、ということでもあります。

たとえば絵画も、ある人にとっては特別なものになるし、ある人にとっては何でもなかったりする。そういう気持ちの動き、それ自体がおもしろいと思うんです。

―アイドルは一応実在していますけれど、想像上の存在になるんでしょうか?

アイドルに想いを寄せる時のアイドルとの接触点って、本人から表示されている何かだと思っていて。なので、やっぱり想像力ということがキーポイントになっていると思うんです。

たとえアイドルの生身の姿を見る機会があったとしても、必ずしもそれが本当の姿を見ているということにはならない気がして。

この作品に無理やり照らし合わせて考えると、実際に存在する絵の具としての物質と鏡に映されたイメージ。そのふたつが同時に見えているんですが、通常は、アイドルやもちろんその他のものもですが、鏡と絵の具のその距離が限りなくゼロになっているというような状態に近いんだと思います。

―なるほど。谷口さんの作品は一見すると色づかいもポップでモチーフもアニメのキャラクターのようで親しみやすいので、一目で「カワイイ!」「好き!」と感じる人も多いと思いますが、作品の構造を伺うととても深いテーマが隠されていますね。

そういう部分はあるかもしれません。アクリル板の上に描かれた絵の具の部分には触ることができる。でもハッキリと鏡に映し出された少女の姿には直接触ることができない。そしてそのふたつは不可分な関係にあるということが作品から感じ取っていただけるかなと思います。

◆どこまで感情移入できるかは、実在するかどうかに左右されるのか

―こちらもアニメのキャラクターのような少女が登場するインスタレーション作品ですが、どんな作品なのでしょうか?

『あのこのいる場所を探して(2012 ver.)』(2005〜)
Installation view:Tokyo Pop Underground, Jeffrey Deitch, New York, NY, 2019
Photo by Genevieve Hanson Courtesy of NANZUKA and Jeffrey Deitch

展示会場の中でCGのキャラクターを等身大でプロジェクションし、手前にマウス、天井にプリンターを設置しています。

鑑賞者がマウスを押すと、キャラクターは倒れるアニメーションをして、その倒れた姿と同じ絵が、天井のプリンターからプリントアウトされて落ちてくる。そしてプロジェクションされたキャラクターはまた最初の状態に戻る。キャラクターのプリントアウトされた紙はどんどん床に、部屋の中の床に降り積もっていく。

―なかなか思いつくようなものじゃないと思うんですけど、どういうきっかけで作られたのでしょうか。

かねてからアニメーションするキャラクターに感情移入することについて不思議に思っていたんです。絵やその他の要素の複合にすぎないものに、どうして気持ちが入るということが起きるのか。

キャラクターの存在が、データやCG、映像、インクや紙、そして鑑賞者の間を移動しているとも取れるような回路を作り出し、その循環自体に着目したいと思いました。

―なるほど。鑑賞者は自分でトリガーを引くことになるので、より感情移入しやすくなるということですね。

『あのこのいる場所を探して(2012 ver.)』(2005〜)
Installation view:Tokyo Pop Underground, Jeffrey Deitch, New York, NY, 2019
Photo by Genevieve Hanson Courtesy of NANZUKA and Jeffrey Deitch

そうですね。倒れる姿をみて「死んじゃった、かわいそう」と思う人もいれば「寝ているだけ」とか、あるいは何も思わない人もいるでしょうし、人によって作品から受ける感覚がまったく違うと思います。

マウスを押すとキャラは倒れて、プロジェクション映像としては消えてしまいます。そうすると、その倒れた姿と同じ姿がプリントアウトされて落ちてきます。そこにあるのは紙とインクでありキャラクターです。

―「形態」の違いということですか。

そうですね。それらは物質的に別物です。光にすぎない目の前のキャラクターと、印刷された紙とインクにすぎないキャラクターは、本来まったく関係のないものですよね。ですので、そこに存在の連続性を見出すことも、見出さないことも可能なのだと思っていて。

それから、自分がマウスを押すことで倒れたキャラクターとそのプリントアウトは、床に落ちている他の人の手によって印刷されたキャラクターや、再度出現するプロジェクションのキャラクターとは、違ったものとして感じられるかもしれません。たとえば“自分のもの/自分のキャラクター”というように。

このような感覚と似たようなものは小さい時から感じていて。たとえば、昔『ナイトライダー』というTVドラマがありました。それを見ている時にも似たようなことを感じましたね。

―私立探偵が人工知能搭載のドリームカー、ナイト2000と一緒に事件を解決するドラマですね。

そうです。シリーズのなかで、AIの部分が盗まれてしまう回があったんですよ。そのときに、本体がただの車になってしまったことに衝撃を受けたんです。車部分とAI部分とに、それまで同一のものとして感じていたものが分離されてしまった。AIがなければただの車だという。

―なるほど。“側(がわ)”と中身というか。

たとえば、街ですれ違う人たちのことって“側(がわ)”だけに感じられることがあるけど、実在度というか、“そこにいる度”は高いですよね。その人のことは何も知らなくても、生身の体が存在している。

でもナイトライダーの人工知能の車やアニメのキャラクターとかのほうが、小さい時の自分にとっては親しみの度合いが高かった気がするんです。なんていうか、人の気持ちって場合によっては“実在しているかどうか”という点にあまり左右されにくいというか。それは人間の存在を考えるときにも関係があるんじゃないかなって。

―なるほど、たしかにそうですね。

◆2000代前半の空気感とともに

―そもそも、谷口さんは、どういう経緯で作品制作をはじめたんですか?

アートに限らずいろいろなものを考えたり作ったりするのはずっとやっていましたね。(番組で)紹介されているような作品を作りはじめたのは、そうするようになってしばらくしてからでした。

昔から、いわゆるロボットが好きで、その“物であるのにどこか生き物のように感じてしまう存在の仕方”自体が好きで。私はそれと同じ存在感を、たとえばアニメのキャラクターのような想像上の存在にも感じていたんです。小さいころ、あるとき、ふと「あのキャラクターはテレビに出ていないときどこにいるんだろう?」と疑問に思ったんですよね。アニメをやっていない間、そのキャラクターはどこにいるんだろうって。

同じように、実在する人間のことも、会っていないときどこで何をして存在しているんだろうと考えていました。そこで思ったのは、存在というのは、想像でしか保証されていないんだなと。もちろんちゃんと実際にいるいないの区別はついていましたよ。

―作品を作りはじめたのはいつからなんですか?

はっきりとは覚えていないですが、パソコンで絵を描きはじめたのは1990年くらいでしょうか。その後、中学生くらいのときから、パソコンとMIDIシンセとかで作曲をしはじめました。

その流れで初音ミクの前身みたいな歌を歌わせられるアプリケーションに出会ったり、曲作りをはじめるもっと前の小さい頃には、初期のマッキントッシュで文字をMacに喋らせることができるアプリケーションが入っていて、それで遊んだりして。

そういう音声合成ソフトの発声主が不明な合成された音声を聞いて、いつも不思議な感覚になっていました。この喋っているのは人間ではないし、なんなんだろう、とか。

―おもしろい発想ですね。

主体がいない声って何なんだろう、なんでそれが声に聴こえるんだろうって。だって、主体がいなければ喋っている声として聴こえる必要がないですよね、人間には。メッセージがないので。

―たしかに。

そのうち初音ミクが出てきたんですが、声にビジュアルを付けて、アイドル的な存在を与えるというような。その前は、たしかイラストでキャラ付けみたいな感じじゃなかった気がします。たしか名前も数字の型番みたいな、そういう感じだった気がします。

ユーザーは勝手に「声の主はこんなかな」と想像したりしていたかもしれないけど、共通のイメージと、さらに名前まで付いたわけです。

―じゃあそのときは「きた!これこれ!」みたいな感じだったわけですね。

いや、ちょっとした拒否感はありました。ビジュアルが固定してしまうと想像力を働かせる部分がなくなってしまうので。

―画期的ではあるけれども、谷口さんとしては少し違和感があったわけですね。

初音ミクの発売がたしか2007年位だったんですよ。僕がこの作品のファーストバージョンを完成させて、発表したのが学生の頃の2005年です。つまり少し前から同様のテーマで作品を作りはじめていたので、初音ミクよりは早かったんですが、登場以後、ミクを感じさせるって友達から言われたり。ちょうどその時代って、そういうものに関心をもちはじめた人が多かったような気がしますね。

―ちょうどリアルとバーチャルが交錯しはじめたような時代ですよね。

ネットのインフラがだんだん整ってきたということでしょうね。あとパーソナルコンピュータの普及とか、そういう動きと、まるでパラレルに作品が展開されていっていると、振り返って感じることがあります。作品は決して“ネット的”ではないんですけどね。でも、ネットがある社会には関係があると思います。

◆想像力によって、存在を肯定したい

『Untitled』(2020) Courtesy of NANZUKA

―さっき安易に「リアルとバーチャル」と言いましたけど、この言葉って消費されすぎて、固定的なイメージをもってしまっているとも思うんですね。でも谷口さんはそういう動きとは関係なく、本来の意味でのリアルとバーチャルを深掘ってきたような気がするんです。

そうかもしれません。でも、十何年以上も作品を発表してきてますが、仰られている「リアルとバーチャル」みたいに、自分のやっていることを一言で表すというのは難しいんです(笑)。たとえば、その「リアル」「バーチャル」という言葉が生まれる前にも、それは、別の言葉でずっとあるような何かなんだろうなって。

―まさにあの作品が現していますよね。外側から見たら絵の具がぼやけた形状をとっていて、でも鏡に写る姿を見たらすごく綺麗なものが、手の届かない場所にあるという。

バーチャルというのも人間の想像力に支えられているというか。

―なるほど。

人間はいろんなものに意味を付与するというのをずっとやってきて、その行為自体が個々の人間性の形成にも関わってきたと思うんですね。バーチャルリアリティーというのもその意味をつくるのを助けているとも言えますし、何もないところに人間が意味を見いだしうる何かをつくり出すからバーチャルなのであって。

―さきほど、アニメのキャラクターのお話のなかで「想像でしか保証されていない」とおっしゃっていたのが印象的でした。逆説的に捉えれば、アイドルにしてもアニメにしても、人が想像力を巡らせることによって「いていいんだよ」と保証されるとも言えますよね。
谷口さんの作品を見ると、「実際アイドルなんていないよ、でも、いるんだよ」ってアイドルを保証してあげているし、アニメを保証してあげている。あなたはこの世の中に存在するよ、存在していいんだよって全員に言ってくれている気がするんです。

うーん…。そうですね、想像力による存在の肯定ということなのかなと。誰かが想ってくれることで、そのものは存在を肯定してもらえる。人間とか、人間に作られたものとか、全て。

僕の作ったものでそれができるということではないけれど、お互いの存在の肯定がある、そんな風に世界がなったらいいなあと思います。

<文:飯田ネオ 撮影:You Ishii>

 

谷口真人
アーティスト

たにぐち・まこと|1982年、東京都生まれ。2007年、東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。主な個展に「We-presence」(2020)、「you」(2015)、「Untitled」(2014)など。主なグループ展に「New Works」(2021)、「JP POP UNDERGROUND」(2020)、「TOKYO POP UNDERGROUND」(2019)など。現在、台北のAKI galleryでグループ展「POP-ING NANZUKA at AKI Gallery」に参加中(7月25日まで)。