1997年に『週刊ヤングマガジン』の「Missキャンパス グランプリ」に選ばれて芸能界デビューし、端正なルックスと抜群のプロポーションでグラビアアイドルとして多くのファンを獲得してきた釈由美子さん。

1999年に女優として活動をはじめ、2001年には『生きるための情熱としての殺人』(テレビ朝日系)でドラマ初主演をはたし、同年の映画『修羅雪姫』(佐藤信介監督)で映画初主演。香港の大スター、ドニー・イェンがアクション監督を務めたこの映画で、骨折した指を刀にくくり付けてハードなアクション・シーンに自ら挑み、アイドルのイメージを覆す体当たりの演技を披露。

以降、映画『ゴジラ×メカゴジラ』(手塚昌明監督)、ドラマ『スカイハイ』(テレビ朝日系)など多くの映画・ドラマに主演。海外初進出となる映画『ロックダウン・ホテル/死・霊・感・染』(フランチェスコ・ジャンニーニ監督)が現在公開中の釈由美子さんにインタビュー。

◆「私、脱いでもすごいんです!」のCMが大好きで…

4人姉妹の次女として東京の郊外で生まれ育った釈さんは、秘密基地を作ったりして外で遊ぶことと読書が大好きな女の子だったという。

「小学校の高学年のときにWink(ウィンク)が流行(はや)っていたので、友だちと一緒に振り付けをマネしたりはしていましたけど、だんだん内向的になって小学校6年生の頃の卒業アルバムには、『将来の夢は、普通のOLになりたい』と書いた気がします。目立つことがイヤで、中学に入ったらもっとその気持ちが強くなって、高校時代はガリ勉タイプというか勉強しかしていなかったという感じでした」

−何かきっかけはあったのですか?−

「ちょっと目立つ存在というか、名前も変わっていますし、曲がったことが嫌いで正義感の塊だったんですよね。だから、ほかの同世代の子たちからするとうざがられるというか…。校則違反の子がいると、『先生、あの子たちが飴とガムを学校にもってきています』みたいなことを言っちゃうほうだったんですよね。

剣道部にも入っていたんですけど、学級委員長で優等生キャラだったので先生からは気に入られるけれど、生徒たちからはうっとうしがられるというのを肌で感じて、自分の立ち位置みたいなことを考えるようになって、だんだん壁を作るようになっていきました」

−高校時代はどうでした?−

「高校は女子校だったんですけど、ダンス部に入って勉強とダンスの活動を一生懸命やっていました」

−運動神経やリズム感はいいほうだったのですね−

「そう思っていたんですけど、私はダンス部だったくせにものすごくダンスが苦手だということに後で気づいて(笑)。リズムが取れないし、人と変わった動きをするというところで一目置かれるみたいな存在だったみたいです。『変な子』って(笑)」

−芸能界に、ということは考えていなかったのですか−

「メディアの仕事にはすごい興味があって、大学も社会学に行ってマスコミの検証とかそういうのを勉強したいと思っていたんですけど、志望校に合格できなかったのでそこではじめての挫折を味わいました」

−それで短大に進まれて「Missキャンパス グランプリ」に?−

「はい。そのときにはもう事務所に入っていたんですけど、入ったきっかけはタレントとしてデビューしたいとかではなく、CMに興味があってCMプランナーになるのが夢だったんです。CMが大好きで、ノートにいつもCMのキャッチコピーを書いていたんですよ。パッと思いついたらすぐに書くというのがすごく楽しくて(笑)。

それでCMプランナーになりたいと思っていたんですけど、大学受験に失敗しちゃって。そのときたまたま(エステサロンの)『私、脱いでもすごいんです!』というキャッチコピーのCMでデビューされた女優さんが当時の事務所にいて、『この事務所に行けばその女優さんに会える』と思って。

その事務所がCMを作ったわけじゃないのに、短絡的にそこに行けばそういう仕事に触れられるんじゃないかと思って応募したのがきっかけでした」

※釈由美子プロフィル
1978年6月12日生まれ。東京都出身。1999年、ドラマ『ツインズな探偵』(フジテレビ系)で女優デビュー。2001年、『修羅雪姫』で映画初主演をはたし、刀を使ったアクションに挑戦。映画『ゴジラ×メカゴジラ』、映画『KIRI−「職業・殺し屋。」外伝−』、ドラマ『スカイハイ』(テレビ朝日系)、『スカイハイ 劇場版』(北村龍平監督)、ドラマ『7人の女弁護士』シリーズ(テレビ朝日系)など多くのドラマや映画に主演。写真集も多数出版。CM・舞台・ナレーションなど幅広い分野で活躍。私生活では2015年に結婚、2016年には第一子となる男児が誕生。温泉ソムリエの資格を持ち、山ガールとしても知られている。海外初進出となる映画『ロックダウン・ホテル/死・霊・感・染』が公開中。

◆初の演技レッスンで気持ちを入れすぎて…

CMプランナーになりたかったのにタレントとして事務所に入ることになった釈さんは、『週刊ヤングマガジン』の「Missキャンパス グランプリ」に選出され、芸能界デビューすることに。

「一応レッスンを受けてみようかということになって演技レッスンを受けたんですけど、『炎天下の中で3時間彼氏を待つ芝居をしてください』と言われて、本当に炎天下の中で待った気持ちになって泡を吹いて倒れちゃったんです。

それで『この子は憑依(ひょうい)体質』とか『のめりこみすぎる』とちょっと問題になって、あまりレッスンをさせてもらえないうちにわりとすぐ『ワンダフル』(TBS系)という番組のレギュラーが決まったので、それ以降はわりと運だけで来たなという感じがあります」

−次々とお仕事が決まっていくわけですが、ご自身ではどうでした?−

「コンプレックスの塊で自己肯定感が低かったので、私が表に出られるわけがないと思っていたんです。ちょうどその頃パニック障害になって学校に行けなくなったりして、自分の存在意味、生きる意味なんてないぐらいに思っていたので…だから何でもできたんだと思います。

欲がないというか、何でもしてやれみたいな感じだったときに『ワンダフル』でデビューすることになって、自分はド素人で入ったんですけど、周りはモデルさんとかレースクイーンのすごいきれいな人たちばかりで、私はどちらかというと体当たりロケみたいなものばかりで…。

でも、その『ワンダフル』のすぐ後に写真集を出してサイン会があったんですね。そのときに誰も想像しなかったくらいたくさんの方が集まってくださって。はじめてお客さんたちと直に触れて、『ずっと応援しています』と言われたときに、やっと自分が生きる意味というか、価値があったみたいなふうに思えたときから、芸能界で頑張りたいと思うようになりました」

−ドラマや映画の仕事が次々と決まっていくわけですが、ご自身ではどうでした?−

「すごく恵まれすぎていて運だけで来たというのがあって、当時の自分の記憶があまりないんですけど、下積み時代が長かったわけでもなく、レッスンをしていたわけでもなく、実力が伴わないまま売れちゃったから、いつもどこかで申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

全然自分はそんなじゃないのにオファーしてくださって本当にごめんなさいみたいな。あの頃いつも思っていたのは、行列ができるラーメン屋さんにお客さんが並んでくださるんですけど、ラーメンを作っている大将だけは『ごめんな、うちのラーメン、まずいのに出しちゃって』みたいな感覚だったんです。『本当にごめんなさい』というつらい気持ちで出していたという感じ。

だから過去の作品はひとつも自信をもって出せたというのがなくて…。ただ、作っていく過程は好きだったり、スタッフの方とかと現場でものづくりをするというのはすごく楽しかったので、職人的な気持ちで現場にいたという感じでした」

−でも、運だけではこれだけ連続ドラマや映画の主演は続かないと思いますよ−

「本当にありがたいです。でも、20代の頃はパニック障害もありましたしコンプレックスの塊だったので、それがなぜか体型の方に行っちゃって。私は太っているというコンプレックスがすごく強くて、痩せたらもっと自信がもてるんじゃないかなと思って、間違った極端なダイエットをやってしまって体調を崩したり、肌が荒れたりというような悪循環もありました。20代は本当に苦しかったです」

◆主演映画『修羅雪姫』が転機に

女優デビューするとすぐにドラマに引っ張りだことなった釈さんは2001年、転機となる映画『修羅雪姫』に主演することになる。

この映画で釈さんが演じたのは、かつてはミカドの近衛兵として仕えていたが、反政府組織の鎮圧に関わる暗殺集団となった建御雷(たけみかづち)家に人を殺す刺客として育てられてきた雪(釈由美子)。母親を殺害したのが建御雷家の首領(嶋田久作)だと知らされ、反旗を翻し壮絶な戦いを繰り広げることに。

−映画のデビュー作『修羅雪姫』は、釈さんのイメージを大きく変えた作品でしたね−

「プロデューサーの一瀬(隆重)さんに、私をキャスティングしてくださった理由を聞いたときに、『たまたま深夜のバラエティ番組で見て、普段明るそうに見えてもこの人はすごく根が暗いというか闇の部分があるんだなというのを感じたので、それを引き出したかった』とおっしゃってくださったんです。

自分のネガティブな部分だったりコンプレックス、自己肯定感の低さというものをずっと隠すために、求められるものに応えたいというのがすごくあったんですけど、それがタレントの方だとしたら、お芝居では自分の闇を発散して出していいんだという場を与えてもらえたので、『修羅雪姫』は自分の中でも1番の転機というか、代表作ですね」

−強いんですけど、どこか悲しみを秘めたヒロインというのが印象的でした。アクションもすごかったですね。何せドニー・イェンですからね−

「そうなんです。ラッキーでした。ドニー・イェンさんの作品を見て、すごい方にアクションの指導をしていただけるんだと思って興奮しました。それこそ今はもうアクション監督として有名な谷垣(健治)さんと下村(勇二)さんがスタントで面倒を見てくださって、アクションの基本をすごく教わったので、本当に運がよかったなあと思います」

−かなりハードなアクションでしたね−

「そうですね。『そこの崖から転がり落ちて』とか、すごい無茶ぶりだったんですけど。映画ははじめてだったので、こういうものなんだと思ってやっていました(笑)」

−骨折もされたとか−

「はい。中指の第二関節を骨折してしまったんですけど、指って痛いですよね。でも、ラストシーンを撮らなきゃいけないし予算の都合もあったので、刀と指をテーピングでぐるぐる巻きにして、『引きで見ればわからないから』と言われてやりました(笑)」

−確かに映画を見ている限りでは骨折していることはわかりませんでした。あのアクション・シーンは迫力があって見ごたえがありました−

「やっぱりすごいですよね。私の中の闇も発散させていただけたし、アクションも体を張って挑戦した甲斐(かい)があったなと思いました(笑)」

『修羅雪姫』で新境地を開拓した釈さんは、映画『ゴジラ×メカゴジラ』、ドラマ『スカイハイ』、『7人の女弁護士』シリーズなど多くの作品に出演することに。次回はその撮影裏話、エピソードも紹介。(津島令子)

ヘアメイク:田中宏昌
スタイリスト:安永陽子