1985年8月28日、大阪城ホールで長与千種さんと「敗者髪切りデスマッチ」を行い、反則攻撃で勝利したダンプ松本さん。

女子プロレスファンから「日本で一番殺したい人間」と称されるほどのトップヒールとなり、日本中に女子プロレスブームを巻き起こした。テレビ中継は高視聴率を記録し、年間300試合以上行われる会場はどこも超満員。ダンプさん率いる「極悪同盟」も最大時には10人の大所帯になっていたという。

◆「極悪同盟」“五箇条の約束”

ヒールで注目を集めた「極悪同盟」はテレビ番組やイベントへの出演も多くなり、それまで酷いいじめをしていた先輩たちやほかの選手たちの嫉妬もエスカレートしていったという。

「若いときには酷いいじめをしていたくせに、成功すると今度は嫉妬の嵐。『ヒールが目立つようになるなんてやっていられない。ダンプたちをクビにしてくれ』と直訴した先輩もいたよ。そんなときに『俺はダンプを取るから、辞めるならお前らが辞めろ』って言ってかばってくれたのが松永会長。会長にそんなふうに言われたら先輩たちも黙るしかないよね」

−いじめられることはなくなったのですね−

「そう。ほかの子をいじめたりはしていたみたいだけど自分はいじめられなくなったし、目に入るところではなかった。自分も後輩には自分がされてきたような理不尽ないじめやシゴキは絶対にしなかったし、させなかった。あんな酷いいじめは絶対にしちゃいけない」

−クラッシュギャルズとのバトルも激しさを増していきましたね−

「そうだね。当時は本当に憎み合っていたからね。だからケンカマッチができたと思うんだよね。そうじゃないと優しくなっちゃうから。見ているとわかる。嫌いな人は頭を殴っているんだけど、ちょっと仲のいい人は痛くないようにお尻を殴っているよ。

でも、ライバルがいないと伸びないのも事実なんだよね。ライバルがいると抜かれたくないから一生懸命頑張って上にいけるけど、ライバルがいないと絶対に上がれない。そこで止まっちゃうんだよ」

−ダンプさんもクラッシュギャルズというライバルがいたから頑張れたのでしょうね−

「そう。ライバルだったからね。お互いに『こんちくしょう』って思っていたから試合は当然、殺気だったケンカ同然の殺し合いみたいなものになる。だから迫力があったんだよ。異様な空気だったからね」

移動のバスも別々になり、「極悪同盟」のバスには、「仲間の悪口は言わない!」「陰口は言わない!」「ナイショ話しない!」「告げ口はしない!」「待たせる人間より待つ人間に!」の「五箇条の約束」が貼られていたという。

「団体生活を送る中では当たり前のルール。ナイショ話をしていると、それがたとえ他愛のない話でも何を話しているのか聞こえない人には『自分の悪口を言われているんじゃないか?』って不安を与えちゃうんだよね。みんないじめを経験したり落ちこぼれの集まりだったから、みんなこの五箇条を守っていたし、チームワークはよかったよね」

◆凶器を使わないのは機嫌が悪いとき

フォークやパイプ椅子をはじめ、さまざまな凶器を駆使した反則攻撃を繰り広げていたダンプさんだが、ときにはまったく凶器を使わない試合も。

「凶器を使っていないときは機嫌が悪いとき。自分よりも弱いやつに竹刀とか凶器を使ったら、『なんて意地悪なんだろう。こんな弱いやつに凶器を使わなくても勝てるのに』って憎まれるでしょう? だから、普通は凶器を使うの。日本中から憎まれたいわけだからね。

でも、そうすると場内が『キャーッ』ってなって、やられた選手の人気が出るから『こいつに人気を出させてやらねえぞ』っていうのもあるんだよ(笑)。会社は『凶器を使ってくれ。もっと暴れてくれ。頼むからボコボコにしてくれ』って頼みに来るんだけど、どんなに頼まれても機嫌が悪いときは一切使わない」

−凶器を使うと会場の熱気が一気に上がりますからね−

「そう。すごいでしょう?『極悪同盟』ができるまでは凶器使用禁止だったのにさ。床に傷をつけたらいくら、パイプ椅子を壊したら一脚いくらって金がかかるんだけど、『何を壊してもいい。お前には弁償させないから凶器を使ってくれ』って。それでも使わないと決めた日は使わない。

それをいちいちテレビ局には言わないから、『今日は正統派ですね』とか『こんな後輩には凶器を使わなくても勝てるというプライドでしょうか』なんて言われたけど、『バカじゃないの?こいつの人気が出ないようにしてやるんだよ』って思ってやっていたんだよね(笑)。

意地悪すると『キャーッ』って言われるから、ベビーフェイスはそれがうれしいわけ。たいして痛くもないのに大げさに痛がりやがってさ。そうすると憎たらしいから、凶器なんて絶対に使ってやらないの(笑)」

−人気が出るにつれて収入もかなり上がったそうですね−

「最高時には年収が6000万円ぐらいあった。でも、それは試合のギャラだけで、テレビ番組やイベントにも結構出ていたけどそのギャラは全然もらえなかった」

−ダンプさんは最愛のお母さまに念願の家をプレゼントされたそうですね−

「一戸建てをプレゼントした。それだけが唯一の救いだね。現役のときは『家に帰って来ないで』って言われていたけどね。

お母さんはたまに試合会場に来ると試合が終わった後、反則技でぶちのめした対戦相手のところに『ひどいことをしてごめんなさい』って謝りに行ったりするからさ、『恥ずかしいからやめてくれ』って言っていたんだよね。妹には誕生日に車をプレゼントしたけど、自分の妹だということは隠していたって。

あとは『極悪同盟』のメンバーとの飲み食いに全部使った。あんなに痛い思いやイヤな思いをしたのに、全部トイレに流れちゃった(笑)。みんなよく食うんだよ(笑)。でも、自分が下っ端のときはお金がなくてまともにご飯が食べられなくて腹をすかせていたから、自分がトップになったときにはみんなをご飯に連れて行こうと思っていたんだよね」

1988年1月4日、トップヒールとして人気絶頂の中、ダンプさんは突然「引退します」と発表し世間を驚かせる。

「プロレスが好きだったから未練もあったけど、松永会長以外の会社の人間がイヤで、もう我慢できなくなっていたんだよね。その前の年の夏頃から『辞めたい』って言っていたんだけど、『ダメだ。もうちょっと待ってくれ』とか言われていてね。

こうなったら囲み取材があったときに言っちゃえばいいんだって(笑)。みんなには『まさかダンプが一番先に辞めるとは思わなかった。クラッシュのほうが先に辞めると思った』って言われたよ」

◆プロレス界から引退、芸能界へ

女子プロレスを引退したダンプさんは芸能事務所に移籍し、芸能界で仕事をすることを決めていたが、会社のスタッフから許せない言葉を浴びせられたという。

「『お前が芸能界で働くなんてムリに決まっているだろう。3か月で続かなくなる』って罵倒されたから『ふざけるな、この野郎』って。『3年後に芸能界でまだ生きていたら、道場の前でビールかけをやってやるからよ』ってタンカを切って辞めることに」

本格的に芸能界で仕事をはじめたダンプさんは、同期の大森ゆかりさんとユニットを組んでCDを出したり、バラエティ番組やドラマ、舞台、CMに出演したりと多忙な日々を送ることに。中にはプロレスを辞めるときに罵声を浴びせたスタッフからのオファーもあったという。

「『この野郎、どのツラ下げて来られるんだ?』って頭に来て、『あんた、3か月ももたないって言ったよね』って言ったら『本当に申し訳ありませんでした』って頭を下げたから仕事の依頼は受けたけどね」

芸能界で3年目を迎えたときにはテレビの企画もあり、辞めた日に切ったタンカ通りに全日本女子プロレスの事務所の前でビールかけも行なったという。1988年には2時間ドラマ(日本テレビ系)に主演。多くの舞台公演にも出演するなど芸能活動は順調だったが、10年目を迎えた1998年に予期せぬことが。

「当時の事務所のマネジャーが借金を抱えたまま蒸発しちゃったんだよね。もらっていないギャラが500万円以上あったんじゃないかな。自分はつくづく経営者に恵まれないんだなあって思ったよ」

それでも、その年には「全日本女子プロレスのOG戦」で約10年ぶりに一夜限りの現役復帰もはたし、プロレスが好きなことを実感したという。

その前年、1997年には全日本女子プロレスが経営破綻していた。

「お世話になった会長のことだけは気になっていたんだよね。そうしたら、2003年に会長から『極悪同盟を再結成して、コーチ役として北海道巡業に帯同してくれないか』って頼まれたから、コーチ役としてプロレス界に復帰することにしたんだけど、これが松永(高司)会長の大ウソでさ。また騙されたの(笑)。

コーチだと思って北海道に行くと、15大会の全試合のメインイベントに『ダンプ松本』って名前が入っていたんだよ。結局、また松永ファミリーにだまされる形で現役復帰をはたすことになって、現在も年に30試合のペースでやっているよ」

※開催情報:『極悪祭 ダンプ松本 41周年 還暦大会』
2021年10月11日(月)後楽園ホール 午後6:30試合開始(午後5:45開場)
ダンプ松本選手 長与千種選手 ZAP 井上貴子選手 旧姓・広田レジーナさくら選手
伊藤薫選手 山縣優選手 彩羽匠選手 笹村あやめ選手 星月芽依選手ほか

プロレスデビュー40周年となる2020年、還暦を迎えたダンプさんは還暦記念大会『極悪祭』を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期になり、2021年10月11日に後楽園ホールで行われることが決定した。

「感染者が増えているから心配だよね。41年間、『極悪』を貫いてきたから記念大会だろうが変わらないけど、史上最大の悪役のメモリアル大会になるはず。(長与)千種をはじめ、過去のライバルや盟友など、全日本女子プロレスOGが一挙集結する夢の祭典になると思うよ。還暦を過ぎても生涯現役を通すつもりだから、ぜひ見に来てほしい」

◆殺意を抱くほど憎んでいた父親との和解と死別

若い時期に定職にもつかず、酒、バクチ、女…放蕩の限りを尽くして、最愛の母親を泣かせ続けた父親を憎み、50年以上も口をきいていなかったというダンプさんだが、2019年4月、父子の関係に変化が。

「87歳になった父親が肺炎で入院したんだけど、先生(医師)から『もってあと一週間です』って言われた瞬間、あんなに憎くて殺してやりたいとまで思っていたのに、一瞬で憎悪の感情は消えた。なんだかんだあってもやっぱり家族だからね。

一週間って言われていたけど、父親はそれから4か月頑張った。認知症が少し入るようになったから退院後は介護施設に入ることになったけど、母と妹はほとんど毎日会いに行っていた。

自分も55年ぶりに父との2ショット写真を撮ったしね。昔の父は大嫌いだったけど、認知症になってからの父は全然違っていたから、自分も優しい気持ちになれたんだよね。生まれてはじめてカレーパンを食べさせてあげたりもしたしね。何とか頑張って長生きしてほしいと願っていたけど、8月になると容態が悪化して7日に亡くなった。87歳だから大往生だよね。

最後の会話は『お父さん、誰だかわかる?』って聞いたら、『ダンプ松本』だったんだよね。松本香じゃないんだよ。でも、女子プロレス界で頑張っていた自分のことを認めて誇りに思ってくれていたんだろうなって。父が生きているうちに普通の父子の関係になれたことは、本当によかったと思う」

現在87歳になるお母さまと妹さんの3人で、お父さまの遺影の前で思い出話を語っているというダンプさん。現役時代は日本中を敵に回してもヒールに徹していたが、親分肌で面倒見のよさで知られ、「極悪同盟」のメンバーだけでなく、ベビーフェイスの後輩からも慕われている。

いじめの被害者だったからこそ、理不尽ないじめは絶対に許さない。長年の試合で満身創痍でも現役生活を続けていくというダンプさんの『極悪祭 ダンプ松本 41周年 還暦大会』に注目!(津島令子)