2000年、映画『ジュブナイル』(山崎貴監督)で主人公の少年時代を演じて注目を集めた遠藤雄弥さん。

その後、連続テレビ小説『ちゅらさん』(NHK)、ミュージカル『テニスの王子様』、映画『シャカリキ!』(大野伸介監督)など多くのドラマ・映画・舞台に出演。

2021年10月8日(金)には、終戦を知らされないまま約30年間、フィリピン・ルバング島で秘密戦の任務を遂行し続けた実在の人物・小野田寛郎さんの青年期を演じ、津田寛治さんとW主演をつとめた映画『ONODA 一万夜を越えて』(アルチュール・アラリ監督)が公開される遠藤雄弥さんにインタビュー。

◆内向的な性格を改善するため児童劇団へ

小さい頃は内気で人前に出るのが苦手だったと話す遠藤さん。そんな遠藤さんのことを心配したお母さまの勧めで、小学校5年生のときに児童劇団へ通うことになったという。

「すごく内向的な少年だったので、母親がそんな僕を見かねて児童劇団に入れたんですけどイヤでしたね。できるだけ生活環境を変えたくないというタイプだったので。

毎週日曜日に児童劇団のレッスンがいろいろあって、日舞とかダンス、歌、芝居ももちろんなんですけど、同年代の子たちといろいろやるんですよ。それがイヤでイヤで(笑)。知らない女の子や男の子の前で何かやるみたいなことが本当にイヤで、当時は『早くこの時間が過ぎろ』と毎週思っていました」

−児童劇団に通っていたことで学校のお友だちとの関係が変わるようなことは?−

「それはなかったです。ドラマやコマーシャル、映画などのオーディションがあって小学校を早退するということもあったんですけど、同じクラスの子たちは『エンちゃん頑張れ』ってすごい言ってくれて。そこはすごくナチュラルに周りの子たちもこういう活動をしている僕を見守っていてくれていたという感じだったので恵まれていました。

いまだに小学校や中学の学生時代の友だちというのは地元で応援してくれている子たちもたくさんいるので、すごく友人には恵まれていたなと思います」

−オーディションはどんな感じでした?−

「全然受からないです(笑)。僕自身にモチベーションがなかったので。やっぱり行かされているというモチベーションでもってオーディションに参加していたので、どんなオーディションを受けてもダメでしたね。何のアピールもしなかったし、まったく受からない。ただ流動的にその時間が過ぎていくというような感じでした。だから落ちても悔しくも何ともなかったし、まったく関心がなかったです」

−映画やドラマに出たいという思いは?−

「僕にはなかったです。どっちかって言ったら母親が叱咤激励(しったげきれい)して『頑張りなさい!』というような感じでしたね、当時は(笑)」

※遠藤雄弥プロフィル
1987年3月20日生まれ。小学校5年生のときに児童劇団に入る。オーディションに合格して『ジュブナイル』で、2000年映画デビュー。その後、ドラマ・映画・舞台と活躍の場を広げる。近年の主な出演作に、映画『無頼』(井筒和幸監督)、ドラマ『ボイスⅡ 110緊急指令室』(日本テレビ)、『青のSP-学校警察・嶋田隆平-』(フジテレビ系)などがある。映画『ハザードランプ』(榊英雄監督)、『ONODA 一万夜を越えて』と映画『辰巳』(小路紘史監督)、2本の主演映画の公開も控えている。

◆ドラマ『聖者の行進』で芝居に興味

最初はまったくやる気がなかったという遠藤さんだが、ドラマ『聖者の行進』(TBS系)を見て変化が。

1998年に放送されたこのドラマの主人公は、生まれながらに知的障害のある純粋で優しい心をもった青年・町田永遠(とわ)。地方都市の工場で働く永遠と仲間たちが日常的に暴力をふるわれ、虐待を受けながらもひたむきに生きようとする姿を描いたもの。激しい暴力シーンや性的虐待シーンなど過激な場面があり、物議を醸(かも)した。

「『聖者の行進』を見て、いしだ壱成さんが演じた町田永遠という役のお芝居にすごくひかれて。自分もお芝居をしてみたいと思うようになりました」

−弱い者いじめや大人の汚い部分も描かれていて、子どもが見るにはかなり衝撃的なドラマでしたが−

「そうですね。野島伸司さんの脚本ですからすごく社会性も帯びた内容だったんですけど、母親と一緒に見ていて手に取るようにわかったというか、感じるものが非常にあって。物語もスッと入ってきたんですよね、あのドラマは。

小学校の同じクラスの友だちとも『聖者の行進』について話したりしていたし、あのドラマは小学生の僕たちの心にもちゃんと刺さっていたというか、意識が変わりました。純粋に僕もお芝居をしてみたいと思うようになったので」

−意識が変わると周囲の反応も変わってきたのでは?−

「そうですね。オーディションに行ってすごくアピールするようになって。『出たい!』という感じで行くので、最終審査まで残ったりするようになりました。それまではオーディションに落ちても悔し涙なんて出なかったのに、最終審査まで残って落とされて悔しくて泣いたりとか」

◆映画『ジュブナイル』のオーディションに合格

2000年、遠藤さんは山崎貴監督の長編映画デビュー作『ジュブナイル』のオーディションに合格。吉岡秀隆さん演じる祐介の少年時代を演じて映画デビューをはたす。

この映画は、未来からやって来た謎の超高性能ロボット・テトラとともに異星人の脅威から地球を救うために立ち上がった4人の少年少女のひと夏の冒険を描いたもの。

「合計で3、4回オーディションに行ったんですけど、結構な人数の同年代の子たちが受けていたのでまさか受かるとは思っていませんでした。最終オーディションのときには岬役に決まっていた鈴木杏ちゃんも来て、多摩川の土手でそのオーディションのために山崎監督が書いた『シーンゼロ』と呼ばれているシーンをやったのを覚えています。

僕が演じさせていただいた祐介という役はまだ決まってなくて、候補が2人か3人。順繰りに多摩川の土手で何回かやったんですよね」

−自信はありました?−

「いえ、あまり考えてなかったですね。最後までまた残れたというのはありましたけど。でも、まさか決まるとは思っていませんでした」

−決まったと聞いたときはいかがでした?−

「母親とすごい喜んだ記憶があります。ようやく母親に少し恩返しできたかなという思いはあったかな。やっと母親に喜んでもらえるなというのはありました」

−最初に自分の名前がある台本を見たときはいかがでした?−

「そのときの感覚を取り戻したいくらい(笑)。すんなりシナリオが自分の脳みそやからだの中に入ってくる感覚というか(笑)。山崎監督が描くスピルバーグ、ルーカスライクの子どもにも大人にも響くようなSFで。

あの当時最高峰のCG技術を駆使して、やっぱりあのシナリオが僕も含め多分杏ちゃんも香取(慎吾)さんもそうだし、キャストみんなにスッと入ってくる台本だったんですよね。何の疑問も迷いもなく、僕も含めほかの子どものキャストたちも演じていたというか。本当に体現できるようなシナリオで、毎日現場でロボットのテトラを見るのが楽しみで(笑)」

−テトラ可愛いですよね−

「そうなんですよ。本当に欲しかったです。みんな『欲しい、欲しい』って言っていました(笑)。当時『スター・ウォーズ エピソード1/ファントムメナス』が公開の時期でものすごく盛り上がっていたじゃないですか。

山崎監督もプロデューサーさんも本当に皆さん『スター・ウォーズ』が大好きで。おもちゃをスタッフさんが買ってきてくれて現場で遊ぶという感じだったので、『なんて映画の現場はおもしろいんだ』って子どもながらに思ったりして(笑)」

−撮影は順調でした?−

「そうですね。山崎監督はバジェットも大きい映画をたくさん撮られていますけど、当時にしても贅沢な時間の使い方で。1日に何シーンも矢継ぎ早に撮るのではなく、じっくり数シーン、限られたシーンを撮るようなスタイルでした」

◆撮影は「ひとときの夏、豊かな時間」

メインは同年代の4人の子どもたち。約2か月間の撮影の休憩時間には汗だくになって遊んでいたという。

「本当に当時のメイクさんには迷惑をかけたなあと思います(笑)。アクションとかもあったので、体育館に置いてあるような分厚いマットが現場にあるんですよ。僕はプロレスが大好きで武藤敬司さんの大ファンなんですけど、プロデューサーさんにもプロレスが大好きな方がいて。休みの空き時間はその男同士でずっとプロレスをしているんですよ。汗だくになって(笑)。

CGとかがふんだんに使われている作品なので待ち時間がすごく長くて。2時間とか3時間、平気でスタジオで待つという感じだったので、その間子どもだから遊んじゃうんですよ。それで撮影がはじまるときに汗だくになっていて、メイクさんが愕然とするという感じで(笑)。メイクさん総動員で僕らをドライヤーで乾かしながら、『本当にもうやめてよ!』って言われていました。

それが遠山さんというメイクさんで、それからずっと一緒にお仕事できなかったんですけど、この間井筒(和幸)監督の『無頼』という映画で10何年ぶりに現場でご一緒できたので、『本当にあの節はご迷惑をおかけしました』って謝りました(笑)。本当にスタッフの皆さんは僕らのことを温かく包み込んでくれていましたね」

−それもあって皆さん本当にいい表情なのですね−

「そうですね。伸び伸びとやらせていただきました。その辺はやっぱり山崎監督のお人柄というか、本当に柔和な方なのでそれが表れているんだろうなと思います。でも、山崎監督が柔らかい分ものすごく怖い助監督さんがひとりいたので、よくバランスが取れていたなあって(笑)」

−撮影が終わったときはすごく寂しかったのでは?−

「寂しかったです。当時、公開までは1年あったので、その間も共演者やプロデューサーさんとかと定期的に集まってお花見をしたり、クリスマスパーティーをしたりとかそういうのはありましたけど、毎日一緒に撮影していたわけですからそれが終わってしまったのは寂しかったです。

20年経っていますけど鮮明に覚えていますからね。いまだに『千葉の銚子でロケしたなあ』とか、『長野県に行ったな』とか、『大映スタジオでずっと撮影したなあ』って。

夏休みを使って1年後の夏休みの公開に合わせて撮影していたので、本当にひとときの夏、すごく豊かな時間を過ごさせていただきました。とても楽しい思い出だったので寂しい思いがやっぱりありましたね」

−夢があって、とても後味もいい作品ですね−

「本当に1999年とか2000年の時点ですごいシナリオを書かれたなと思います。山崎監督のオリジナル脚本ですからね。色あせないストーリーで。本当にすばらしい脚本だなあって今見ても思います」

−『ジュブナイル』のメンバーとはその後お仕事は?−

「香取さんとは、一度2時間ドラマでお会いしました。同じシーンはなかったんですけど、メイクルームで久々に香取さんとお会いして。ごあいさつをさせていただいたら覚えていてくださって、『大きくなったね』って(笑)。香取さんは全然変わってなくてカッコよかったんですけど、僕は少年だったのがこんなおじさんになっているから、『ほんとに大きくなったね』って言われました(笑)。

香取さんは『ジュブナイル』の撮影のときも本当に優しくて、絵がとてもお上手なので台本に絵を描いてくれたりしていました。2時間ドラマでお会いしたのが15年ぶりくらいだったんですけど、ちょうど僕の娘が生まれたタイミングだったのでそれを伝えたら、『ニュースで見たよ。娘さん生まれたんだね。おめでとう。頑張れ、パパ』みたいなことを言ってくださって。本当にうれしかったです」

−香取さんも月日の流れを感じたでしょうね−

「そうですね。『ジュブナイル』のとき香取さんは23歳くらいでめちゃくちゃカッコよくて。当時、横浜アリーナだったかな?『ジュブナイル』のメンバーでSMAPのコンサートを見に行ったんです。本当にカッコよくて。演出も何もかもすばらしくて、ちょっとジャニーズに入りたくなりましたもん(笑)」

『ジュブナイル』で注目を集めた遠藤さんは、その後、連続テレビ小説『ちゅらさん』や映画『クローズEXPLODE(エクスプロード)』(豊田利晃監督)など多くのドラマ・映画に出演することに。

次回は主演映画『シャカリキ!』の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)