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2009年、『ハイキック・ガール!』で映画初主演を果たし、アクション女優として数々の映画に出演してきた武田梨奈さん。2014年にはクレジットカードのCMで、頭突きによる瓦割りを披露し、一躍その名を知られることに。

琉球少林流空手道月心会の黒帯二段。大会にも出場する実力の持ち主だが、空手を始めたのは驚きの理由だった。今やアクション女優としてだけでなく、演技派としても注目を集める武田梨奈さんにインタビュー。

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◆ドラマ『3年B組金八先生』を見て女優に

−女優になりたいと思ったのはいつからですか?−
「正確にはおぼえてないんですけど、5歳か6歳位のときからオーディション雑誌を見て応募してはオーディションを受けていました。

小学生のときに『3年B組金八先生』を見たんですけど、武田鉄矢さんの人間本来こういうものだというリアルなお芝居を見て、私もこういう表現がしたいと、そこからさらに女優になりたいと強く思いました」

−そのときにはまだ空手は初めてなかったんですか?−

「まだですね。どちらかと言うと役者になりたいという方が先でした。と言っても、何をしたらいいかわからなくて…。でも、毎月ずっとオーディション雑誌を買って、オーディションがあると応募していました。あと、芸能事務所にも履歴書を出したりして」

−まだ小学生だったというのにすごいですね−

「『3年B組金八先生』って一般のオーディションはなかったんですよ。事務所に所属してないとオーディションも受けられないという状態だったので、まず事務所に受からなきゃと思ってそこからでした。“あ行”から順番に、片っ端から事務所にも、ほぼ全部書類を送りました」

−オーディションはかなり受けました?−

「受けました。正確な数はおぼえていないんですけれど、なんとなく数えただけでも300以上は受けました。見事に落ちまくっていましたけど(笑)。ほとんど毎日のように、学校に行ってはオーディションという生活がずっと続いていましたね」

−空手を始めたのはいつ頃ですか−

「10歳のときです。父が空手をやっていて、弟と見学に行ったりしてたんですけれども、やりたいという気持ちは全然なかったんです。でも、空手大会に出場した父が負けるのを見たら悔しくて『私が父のかたきを取る!』って入門しました」

勢いで空手道場に入門したものの、実際にやってみると思った以上に大変だったそう。型など地道な練習も多かったが、武田さんにはそれがまた魅力的で、よりハマって燃えていったという。

そして本格的に空手の練習に励み、学校、空手、オーディションという毎日を送っていた武田さんに2008年、ビッグチャンスが訪れる。

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※武田梨奈プロフィル
1991年6月15日生まれ。神奈川県出身。映画『ハイキック・ガール!』(2009年)で主演にばってきされ、『KGカラテガール』(11年)、『デッド寿司』(13年)等、アクション女優として主演作が続き、第一回ジャパンアクションアワード・ベストアクション女優賞を受賞。

アクション女優としての地位を確立。2014年、頭突きによる瓦割りのCMで広く知られるようになる。映画『木屋町DARUMA』(2015年)では、父親の借金のせいで風俗店で働くことになる女子高生という難役に挑戦。アクション以外にも幅広い役柄をこなしている。

 

◆初主演映画で殴られ蹴られ…骨折も

2008年6月、月心会の道場に映画『ハイキック・ガール!』で監督デビューが決まっていた西冬彦さんが訪れ、技を披露した武田さんはオーディションに参加するように勧められる。まだ事務所にも入っていなかった武田さんにとって初めての大きなチャンスだった。

−主演に決まったと聞いたときはどうでした?−

「信じられなかったです。その前にやっていたのは、役名もない死体役みたいなことでしたから(笑)。小学生の頃からオーディションを受けていたんですけど、本当に受からなかったので、全く実感なかったです。

決まってからもずっと夢なんじゃないかと思っていて、いつさめるか分からないから、とにかく今を楽しく生きようと思って必死にやっていました」

−オーディションには有名な方もいたようですね−

「西監督から全員に反対されたって言われました。『無名だし、誰だかわからない女子高生を連れてきて主演にしますって言って、お金を出してくれる映画会社なんて絶対にないんだよ。君より可愛い子もお芝居ができる子もたくさんいたけど、君にしかないものがあるから僕は君にかけた』って言ってくださって…。これはもう必死にやらなくてはと思いました」

−空手も実際にやってらして、まさに最適のキャスティングだったと思います−

「当時はもう本当に言われたことを必死にやるのと、その映画のなかのやるアクションを頑張ってやらなきゃっていう気持ちだったんですけど、今となったら、やっぱり顔面を蹴られたり、からだを燃やすようなシーンとかは、もう絶対に他の女優さんにはやらせられるわけがないと思うので、そういった意味では、それはやっぱり強みだったのかなあって思いますね(笑)」

−かなり危険な撮影だったみたいですね−

「『撮影が終わってから言ってもいいよ』って言われたんですけど、何回か救急車が来て、誰かしらがケガをして病院に運ばれていました。それぐらいハードな現場でしたね」

−骨折もされたそうですね−

「そのときは撮影の前のリハーサル段階だったので、まだギリギリ平気だったんですけど、ギプスを3週間は絶対につけてなきゃいけないって言われていたのを1週間でとってやったりとかしていました」

−大丈夫だったんですか−

「本当は良くないと思うんですけど、アドレナリンがものすごく出ていたので、そのときは痛みもあまり感じなかったですね(笑)。夢中だったんだと思います」

まさに体当たりで演じ切った初主演映画。それだけに完成して公開となったときの喜びもひとしお。エンドロールで自分の名前が出てきたときには感無量だったという。

「ここからなんだなあと思って。やっと夢の扉を開けた、チャンスを与えてくださった大人たち、私を信用してくれた大人たちに恩返しをしていかなきゃいけないなぁっていう思いがありました。今ももちろんそうなんですけど」

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◆額で瓦を割るCMで大ブレーク

2014年、クレジットカードのCMで額で瓦を割る姿を披露するやいなや話題になり、一躍注目の的となった武田さん。

バラエティー番組やイベントに引っ張りだこになり、プロ野球の始球式では頭突きでの瓦10枚割りを披露。見事成功させ、国内だけでなく、アメリカでもテレビのスポーツ番組で取り上げられるほど話題に。

−CGやスタントではなく武田さんによる本当の瓦割り、あのCMは衝撃的でした−

「あれも一応オーディションだったんです。『エアーギターってあるじゃないですか?あれと同じような感じで、そこに瓦はないんですけど、エアーで頭で瓦を割ってみてください』って言われて、『何を言ってるんだろう?』って(笑)。

結構『ワーッ』て思いながらやったんですけど、選んでいただいてうれしかったです。ただ、実際に『これをやります』と言われて絵コンテをいただいたときは、それまでやったこともなかったですし、『額で瓦を割るの?』って思って、正直ちょっと怖かったです。

でも、そのときも『ハイキック・ガール!』と同じ感覚で、『確かにこれをやれる女優さんはいない。これはもう私がやるしかない』という気持ちでやらせていただきました」

−それにしても、瓦を15枚額で割るというのはすごいですね−

「アクション指導の方が私の映画を見てくださっていて、15枚割れるだろうという話になったんです。それで私もつい『やります!』って言っちゃったので…(笑)」

−それでやることに?−

「そうです。練習は1週間ぐらい前に1回だけ。本番もあまり何度もやると脳に影響があるので、2回ぐらいまでで成功させなくちゃいけなかったんですけど、1回目は失敗してしまって13枚しか割れなかったんです。それで、もうあとがないし、『これはやるしかない!』と思ってやりました」

−そして見事に成功?−

「はい。うれしくて思わず『ヤッター!』って言っちゃいました。本当は『イテテ』って言わなくちゃいけなかったんですけどね(笑)」

−結構いろんな番組でもやらされてましたよね−

「そうなんです。結構割りました(笑)」

−あのCMの反響はすごかったですね。仕事やまわりの反応もがらりと変わったのでは?−

「そうですね。それまではほとんど映画の仕事しかしていなかったので、あれがきっかけでバラエティーとかいろんな番組に呼んでいただくようになりました。でも、慣れないことだったので毎日ヒヤヒヤしながらやっていましたね(笑)。あと、街で声をかけられるようになりました」

−日本だけではなくアメリカのスポーツ番組でも取り上げられました−

「そうですね。始球式の様子が知らぬ間に流されていたみたいでビックリしました(笑)」

−海外からのお仕事のオファーも増えたのでは?−

「でも、海外からのオファーはどちらかと言うとアクション映画の方で声をかけていただくようになりました」

2012年には、人食いずしに立ち向かうヒロインを演じた映画『デッド寿司』がファンタスティック・フェスト(Fantastic Fest)で上映され、ガットバスター・コメディー部門(Gutbuster Comedy Features)で主演女優賞(Best Actress)を受賞。

2014年にはインドネシア映画『BUSHIDO SPIRIT』でアジアデビューを果たし、タイや韓国のドラマに出演。ミャンマ−合作映画や日米印合作映画の主演にばってきされるなど、アジアでの活動を広げている。

−海外の作品も多いですね−

「そうですね。ありがたいことに。やっぱり日本人で今のこの世代でアクションをやる女優が志穂美悦子さん以来いないということで、すごく貴重な存在だといろんな国の方が言ってくださって…。今もアジアの監督が連絡を下さって、いろいろ企画を考えてくださったりはしています」

−ミャンマーの映画とか、海外の合作映画にも出演されていますが、海外で撮影するのはいかがですか−

「全然違いますね。インドネシアのアクション映画の撮影に行ったときには、撮影前にお祈りの時間があったりするんですよ。やっぱりまた日本とは違った空気感の現場で、各国の撮影現場を体験すると、全く違う文化だったり、撮影の進み方なので、毎回刺激的なことがたくさんあります」

−昨年はアカデミー賞のレッドカーペットのところでテレビ中継のナビゲーターもされてましたね−

「はい。あれも自分の転機になる仕事のひとつでした。改めて、自分に与えられた仕事に全力でぶつかっていこうと決意を新たにしましたし、今度は役者としてこの場所に戻ってきたいと思いました」

−すごく多方面にわたって活躍されてますね−

「ありがとうございます。アクション女優として正式にデビューさせていただいたときは、別のドラマっぽい作品や、青春映画とか学園ものなどのオーディションに行っても、『アクションの人なのに来たの?』とか言われることがすごく多かったんですよ。それがアクションシーンのない作品にも呼んでいただけることがすごくうれしいです」

何事にも一生懸命。芯の強さを感じさせるまっすぐな眼差しがすがすがしい。次回後編では、大好きなひとり酒、バラエティー番組で話題になった裸族の真相、公開間近の2本の日米合作映画『殺る女』と『ボクはボク、クジラはクジラで、泳いでいる。』の撮影裏話を紹介。(津島令子)