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1979年、連続ドラマ『風花のひと』(日本テレビ系)に出演して以降、白川和子さんにはテレビや映画の出演依頼が次々に舞い込むようになる。長女は看護学校に通い、高校を卒業した長男は料理の道に進み始めていた。

次女はまだ小学校1年生だったが、女優として再出発する自信をつけた白川さんは、浮気が発覚した夫に離婚話を切り出したという。白川さんになついていた長男は何とか離婚を思いとどまらせようとするが、白川さんの決意は変わらなかったという。そして1980年、7年間の結婚生活にピリオドを打った白川さんは東京で次女と2人で暮らし始める。

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◆娘の登校拒否、そして別れた夫にがんの疑いが…

離婚した後も、白川さんと夫の連れ子だった長女・長男との関係は続いていた。長男は頻繁に電話をかけてきたし、離婚の年に看護学校を卒業した長女からは月に一度は便りが届いたという。

「下の娘(次女)はお兄ちゃんもお姉ちゃんもお父さんも大好きでね。ずっと一人でも3人が暮らす大阪に帰るって言っていましたからね。だから、離婚したこと、お姉ちゃんとお兄ちゃんとは母親が違う異母兄弟であることを打ち明けたんですけど、ワーワー泣き出してしまって大変でした。まだ7歳でしたからね。

それに学校でいじめられるようになって登校拒否になるし…。そんなときに別れた夫が東京に転勤になって、娘は父親のことばかり話すようになりました」

−別れたご主人とは連絡を取っていたんですか−

「娘の近況を逐一報告することが離婚の条件でしたから、学校でのいじめもすべて知らせていました。彼からは娘のお誕生日や習い事の発表会など、ことあるごとに電報が届くので娘が父親のことを忘れるわけはないですよね。

それで娘のために彼を夕食に招待することにして。娘が彼と会うのは3年ぶりでしたけど、もう飛び上がらんばかりに喜んでしがみついていました。結局、その日は娘が『帰っちゃダメ』と言って3人で川の字になって寝て、翌朝、今までの登校拒否が信じられないほど元気に登校していきました」

その日以来、次女の登校拒否は完全に直っていたという。もう一度別れた夫との関係を考えてみようと思うようになったときに、長女から別れた夫が咽頭がんの疑いで入院したことを知らされ、また、次女が『お父さんの歯ブラシは用意したの?パジャマは用意したの?お父さんをひとりで入院させるの?』と言うこともあって、仕方なく白川さんは、入院している彼の面倒を見るようになる。

「病院に行ったときは、検査のために麻酔で喉の細胞を取った直後で、からだも口も自由がきかない状態。嫌みのひとつも言ってやろうと思っていたんですけど、言えませんでしたね。結局情け心がまた出てしまって、必要なものを買いにいったりしていました。

それから一週間ほどしてがんの疑いも晴れて退院したんですけど、『たまにだったら家に来てもいいよ』って言ったら、その翌日から私と娘が暮らすマンションに住みついてしまったんです(笑)」

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◆自身の子宮がんが発覚、そして元夫と再婚

結婚していた頃は、金銭苦もあり、どうやって年を越そうかといつも悩んでいて、正月さえもまともに迎えたことがなかった白川さんだが、別れたご主人と次女と3人で、この年初めて心穏やかな正月を迎えたという。しかし、その年の春先、白川さんの子宮がんが発覚する。

「お姉ちゃんに『二度と親を亡くすのは絶対に嫌やからね。お願いだから病院に行って』と言われて行ったんですけど、子宮がんだと告げられたときには目の前が真っ暗になりました。

先妻をがんで亡くした主人は一瞬顔色が青ざめていましたね。それからは人が変わったように優しくなって、献身ぶりは誰よりも情愛深かったです」

別れたご主人は、手術後の痛みと自由にならないからだに苛立つ白川さんを献身的に看病していたという。退院後、自宅療養を続けながらも東京で一緒に二度目の正月を迎えた2人は、子どもたちの要望で、1985年3月3日、桃の節句に再婚する。

「母がもう別れちゃ困るからって、市役所まで付いてきましたよ。この復縁に一番喜んだのはお兄ちゃん(長男)でした。私たちが再婚してすぐに息子は結婚したんですけど、両親そろって結婚式に出てほしかったんですよね。

昔は暴走族で大変だったんですけど、今は有名ホテルの副総料理長ですからね。よく頑張っていますよ。長女も看護師として立派にやっています。私が子宮がんをやった後、入院費と手術費で結構なお金が必要なときもお金を工面してくれたりして、本当に親孝行な娘です」

−子宮がんのほかにも色々なご病気をされたそうですね−

「51歳のときには脳梗塞もやりました。顔が半分しびれて大変だったんですけど、もう大丈夫です。そしてその次の年には膵(すい)臓を患って慢性膵炎。だから今は食べ物の制限がありますけどね。それでその次の年には卵巣に腫瘍が見つかって、卵巣と卵管を取ったんです。

3年続けて病気になって、克服してやっと本格的に仕事をしようってなったら、マネジャーが食道がんですからね。もうどうしようってなったときに、ワハハ本舗の柴田理恵さんが『私が座長芝居をするから来ない?出て』って言ってくれて、救ってくれました。やっぱり人って本当にどこかで救ってくださる人がいるんだなぁと思って」

−それでワハハ本舗に入られたんですか−

「いえ、その後何度もお仕事でご一緒させていただきましたが、そのときにはまだ入っていなかったんです。3年前に所属していた事務所を閉めるというので、そのときに女優をやめようと思ったんですね。

だって70歳近い女優を誰がマネージメントなんかやります? そんな時代じゃないもの。今は厳しい時代だから。でも、3年前からワハハに入って、色々出させてもらえているから幸せだなあと思います。それで『田中絹代賞』までもらえるなんて信じられませんよね」

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◆漫才から舞台まで…今は生きていることを楽しんでいる

−M-1グランプリにも出場されたそうですね−

「そうなんです。ワハハ本舗のジジ・ぶぅとコンビを組んで、2回出ました。60歳になって還暦でね。ワハハのみんなに『60歳になって、何かもう一つやらなきゃいけないよね。一人芝居はみんなやっているし』って言ったら、『じゃあ漫才やれば?』って言われたのが最初です。

M-1というのは、私はボクシングか何かだと思っていたんですよ。知らなかったんですよね。それでワハハのメンバーが、『M-1に行ってきた』って言うから、『ワハハのみんなはすごいなあ。格闘技をやってから稽古場に来るんだ』って思っていましたもん(笑)。

それが漫才だとわかってネタを作ることになって、今度は図書館に行って、漫才の歴史を勉強して、漫才のビデオを見たりして。それにたまたまワハハに歌江師匠(正司歌江)がいらしたし、私は歌江師匠と昔から知り合いだったのでね。最初は『ベタな』とか『すべる』という言葉も知らなかったんですけど、やろうって(笑)」

−1回戦は通ったんですよね−

「そうです。1回戦は通ったんです。2回戦で時間がオーバーしたりしてダメになるんです。制限時間オーバーで(笑)。今は、相方のジジ・ぶぅと私のスケジュールがなかなか合わなくて稽古ができないんですけど、日程が合えば、お笑いライブに出させていただいていますね」

−すごいですね−

「ちょっと能天気なところがあるから『凶悪』という映画に出させていただいたときも、ジジ・ぶぅがだんなさんの役だったんですけど、リリー・フランキーさんの名前を見て、ジジ・ぶぅに『この映画は外国人が出ているの?』って言ったら『白川さん、何言ってるの。日本人ですよ』って言われて(笑)。

それくらいわからないんですよ。だから新しく台本をいただくと若手の方はわからないから、孫に『この人は誰?』って聞くようになりました(笑)」

−白川さんの人生はチャレンジの連続ですよね−

「そうですね。この間なんてワハハの舞台で紙おむつをはきましたからね、もちろん舞台上の演出としてですよ(笑)。その2、3日前には奈良の国際映画祭でレッドカーペットを歩いているんですよ。それが2、3日したら、舞台で紙おむつ姿ですからね(笑)。

でもね、それが楽しいんですよ。お客さんが喜んでくれるんだったら、それでいいやと思って、紙おむつでもなんでもやっています。中途半端にやるのが1番いけない。やるならやる、やらないなら最初からやらない」

−舞台も色々やられていますね−

「はい。美輪明宏さん主演の大きな劇場での舞台も出させていただいたり、小さな劇場での舞台も出させていただいたり、そこに見に来てくれるお客さんは一緒なんですよね。小さな劇場のときは、すぐ目の前が客席でお客さんが一生懸命ニコニコ笑っていて。

『ああ、このおじちゃんも明日また頑張って働くんだろうなあ。だったら今日は思いっきり笑ってもらおう』と思っちゃうわけですよ。

映画もそうですけれども、スクリーンを通して劇場に見に来てくれた方と分かち合いたいんです。上から目線とかじゃなくて一緒に。それが好きなんですね。だからできると思うんです」

−美輪明宏さんとの舞台はいかがでした−

「美輪さんに『私たちの舞台はスペシャルなのよS席は1万円。それに交通費がかかるし、2人で来てお食事したら2、3万円かかるよね。それに見合うだけの芝居をしなかったら詐欺ですよ』って言われたんですよ。

舞台の世界でも学び、映画もテレビもラジオもディスクジョッキーもやっていましたからね。人生相談とか、そういうすべてのところで学びですね。生きているということを楽しんでいるのかもしれないですね。

しんどいときはしんどいですよ。体調を崩したりもしたし、がんにもなったし…。いろんなことがあって、子育てもしてきた人生が、もしかしたら今ちょっとだけ味になっているのかなあって思います。まだまだですけどね(笑)」

幼いころは幼稚園の先生になりたかったというほど子どもが大好きな白川さん。現在は孫が5人、昨年ひ孫も誕生したという。

「本当にみんな親孝行で、孫たちとも仲が良いんです。そして、子どもたちから言われた『一度も腹違いだと思ったことはないよ』という言葉が、私にとっての勲章です」

−ご主人は88歳に。ご高齢ですがお体の調子はいかがですか−

「足腰は年々弱くなっていますが、元気ですね。口も達者で時々生意気なことも言ったりしますしね(笑)」

―昔のことを思うと、つい怒ってしまう?−

「そうそう。だから主人の足の爪と手の爪を切ってあげているんですけれども、切りながら『このおっさん、あのときあんなことをしたなあ、浮気もしたし』って深爪してやろうかと思うときがありますよ(笑)。

下の娘もお姉ちゃんと同じく看護師になったんですけど、今でもお父さん子なんですよ。『お母さん、どうするの?お父さんはもう88歳になるけど、何かあったときに施設とかに入れるの?私は自分で面倒を見たいんだけど』って言われましたもん。本当に好きなんですね。『私はどうなるの?』って感じですよね(笑)」

70歳を超えた今、まだまだ色々やりたいことがいっぱいあるという白川さん。かつてスクリーンで白川さんを見ていた世代の監督たちからのオファーも多く、演じる役柄も幅が広い。愛する家族に支えられ、白川さんのチャレンジは続く。(津島令子)