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1989年に公開された映画『オルゴール』でデビューした中島ひろ子さん。翌年には映画『櫻の園』に主演し、第14回日本アカデミー賞新人俳優賞をはじめ、各映画賞を受賞。

以降、映画『祈りの幕が下りる時』(2018年)、ドラマ『雪』(NHK)、ドラマ『過保護のカホコ』(日本テレビ系)など多くの映画、ドラマに出演。どんな役をも見事に演じる実力派女優として知られ、今月12日(土)には、『櫻の園』以来、29年ぶりとなる主演映画『いつかのふたり』の公開が控えている中島ひろ子さんにインタビュー。

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◆女優になったきっかけは同級生を見返すため?

中島さんは小学校高学年のとき、両親と弟とともに東京から神奈川県の大磯町に引っ越す。東京から来たということで目立った中島さんを待っていたのは、“転校生いじめ”だったという。

「東京にいたときには周りに可愛い子がいっぱいいましたから、まったく目立たない地味な子だったのに、大磯に引っ越したら異常に目立っちゃったんです。180度変わりました、人生が」

−具体的にはどんなことがあったのですか−

「いっぱいあります、転校早々、消防車を呼ばれて、私が『自分の家が火事だって電話した』って言われたり…。

そのとき、私は母と弟と3人で買い物に行っていて、帰って来たら家の前に消防車が6台も止まっていたんですよ。それで消防車の人に『君が電話したの?』って聞かれたから『してません。お金ももらってないから電話代も持っていません』って言って。

母親と一緒にお買い物をしていたんだから、そんな電話なんてできないじゃないですか。それはのちに同級生がしたということがわかるんですけど」

−いじめはいつ頃まで続いたのですか?−

「ずっとありましたよ。中学を卒業するくらいまでありました、女の子からね。弱かったのでどうしようかと思いました。男の子からは逆に毎日のように告白されましたけど。

学校に行きたくなかったけど、母親に『行きなさい』って怒られて行っていました。あと、いじめられている子を助けて、またいじめられるということもありました」

−いじめられている子を助けたら、今度は自分がいじめのターゲットになってしまったということはよくあるみたいですね。中島さんがターゲットになったとき、助けてあげた子は?−

「何もしてくれませんでした。逆に、その子が好きだった男の子に私が告白されたんですけど、ねたまれて先輩たちに囲まれて脅されました。

それでその男の子に断りに行って、その子と付き合うように言ったら、その日のうちに一緒に帰っていましたよ(笑)。そういう思い出があったりしてね。

でも、その子があるとき『私、女優になりたいんだ』って言ったんです。彼女は演劇部に入っていましたしね。彼女とはいろいろと嫌なことがいっぱいあったから、女優になってドカンとひと旗あげたら私のなかで救われるかなと思ったんですよね。

いろんなものを払拭するのはこの手だって。『そうか芸能界に行けば、私のなかの痛いのもつらいのも全部抜けるかな』って思ったんです」

−それまで女優になるという考えは?−

「全くなかったです。予定外です。芸能界には憧れていて、応募したこともあるんですけど、女優をやろうなんてこれっぽっちも思っていなかったから、お芝居も全くお勉強していなかったんです。

ただ、芸能界に入ればすぐ売れて、一攫千金だというイメージだったので、それでやめようみたいな感じだったんです、気持ちは(笑)」

※中島ひろ子プロフィル
1971年2月10日生まれ。東京都出身。1989年に公開された映画『オルゴール』で女優デビュー。1990年公開の映画『櫻の園』に主演。日本アカデミー賞新人俳優賞をはじめ、各映画賞を受賞し注目を集める。

1994年、主演ドラマ『雪』(NHK)が第31回ギャラクシー賞・テレビ部門大賞を受賞。デビュー以降、31年間、土曜ワイド劇場などの2時間ドラマや『日曜劇場 半沢直樹』(TBS系)、映画『美しい夏キリシマ』(2003年)など多くのドラマ、映画に出演。ナレーションやCMでも活躍している。

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◆ヌードシーンを見た父親は、3日間口をきいてくれず…

いじめがきっかけで女優を目指すことにした中島さん。プロダクションや雑誌『月刊デビュー』の募集記事を見て応募していたという。そして前に所属していた事務所に入り、最初に受けた映画『オルゴール』のオーディションに合格して出演することに。

※映画『オルゴール』
ヤクザである神崎勇次(長渕剛)は、かつて身を寄せた阿南連合会の阿南会長(寺田農)から命を狙われていたが、服役中に生まれたひとり息子のことが気になっていた。しかし、会うことを禁じられていて…。長渕剛さん初主演映画であり、黒土三男監督の初監督作品。中島さんは阿南会長に囲われている少女役で出演している。

−デビュー作の『オルゴール』では色々と大変だったみたいですね−

「そうですね。でも、何も知らないまま、撮影初日を迎えちゃったので、それで良かったかもしれないです。何が何だかわからなくて、もう真っ白な状態ですよね。

初めてのことばかりで。チューされるわ、触られるわ、お尻まくられるわで、もう頭のなかは真っ白になっちゃんたんです。

それで、いきなり監督に『上脱ぐ?下脱ぐ?10分あげるから考えなさい』って言われても、なんだかさっぱりっていうか…。『怖い』とかいうよりも、まず『迷惑をかけちゃいけない』って思って」

−当初の予定ではブラジャーの上に毛皮を羽織ってという設定だったと聞いていますが−

「その予定でした。上はブラジャーで、下はミニスカートをはくという予定だったので、それでいいと思って現場に来たら、もう皆さんお芝居のテンションが上がっていましたから(笑)」

−そのとき、事務所の方は現場にいたのですか−

「前の事務所の女性社長さんが来ていましたけど、『ひろ子ちゃんが考えなさい』という感じだったので、メイク室で考えて、それで、『やっぱり下は無理だ』って思って、上にしました」

−今の時代ではあり得ないようなすごい話ですよね−

「あの当時だからあるっていう話ですよね。今だったら、いろいろ問題があるんじゃないですか。大変ですよね。パワハラだなんだと大問題になるでしょうね(笑)。最初からそんな風にやっちゃっているので、もう怖いものがないみたいな(笑)」

−ヌードシーンがあっても無垢な感じで初々しくて、ある意味救いでした−

「そうかもしれないですね。ずっと濃いシーンが続きますからね(笑)。でも、あのときに私を囲っているヤクザの親分の役が寺田農さんだったんですね。

『カット』って言うと、みんなもうバタバタしていて、誰も裸のからだを覆ってくれる人がいなかったんですけど、唯一寺田さんだけが、パッと毛皮を持って来てかけてくれて『大丈夫だよ、大丈夫だよ』って背中をたたいて下さったんですよね。それで本当に助かりました。

のちに2時間ドラマで寺田さんとよくお会いするようになったんですが、そのときに寺田さんにも私と同じ年ぐらいのお嬢さんがいらして、『オルゴール』のときには、娘みたいでかわいそうだったから、思わず『大丈夫だよ』って声をかけたんだっておっしゃっていました」

−映画館でご両親と親友と一緒にご覧になったそうですが、脱いだことはお話されていたのですか−

「いえいえ、言えないですよ。言えないし、画面は大きいけど、どういう風に映っているかもさっぱりわからないので。映画館の画面が大きいから、自分のなかではちょっとショックでした。

自分も目いっぱいだったから、両親のそのときの顔は見てないですけど。ただ、映画が終わったときに、一緒に見た親友から『ひろ子ちゃん、私親友やめる』って言われて、そこからもう本当に縁を切られちゃって、それ以来会っていません」

−お父様がかなり怒ったと聞いていますが−

「3日間しゃべってくれませんでした。そりゃそうですよね。娘がまさか裸で出てくるとは思わないわけだから、ビックリしたと思います」

−中島さんご自身はいかがでした?−

「撮影が終わったときに、前の事務所の社長に『ひろ子ちゃん、きょうから女優になったわね』って言われたんですよ。そのときに、『脱ぐということが女優の仕事として必要なときもあるんだな』って思いました」

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◆体当たり演技が認められ、映画初主演

上半身ヌードも辞さず、挑んだデビュー映画『オルゴール』の体当たり演技が高く評価された中島さんは、翌年、代表作となる映画『櫻の園』に主演することに。

この映画は、毎年創立記念日にチェーホフの舞台劇『櫻の園』を上演することが伝統となっている女子高演劇部を舞台に、それに携わる思春期の少女たちの揺れる心情を描いたもの。中島さんは演劇部の部長・志水由布子を演じている。

「『櫻の園』のプロデューサーの笹岡(幸三郎)さんが、『オルゴールを見て、中島くんがセリフもないような役でああいう芝居をして脱いでいる姿を見て、この子にセリフをあげたいと思ったんだよ』って打ち上げのときにおっしゃってくださって、うれしかったです」

−『櫻の園』では主演、しっかりとした演劇部の部長さん役でした−

「私も女子校だったので、女子校ならではの『あるある』がいっぱいでね。よくわかりました(笑)。笹岡さんが、オーディションで合格した全員そろったときに、『中島くん立って』って言うから立ったら『みんなを見てどう思う?』って言うんですよ。それで、『みんな可愛いだろう?君は落ち着き払っているんだよ』って(笑)」

−大人っぽくて落ち着いた雰囲気がありましたからね。でも、ちょっとした表情や端々にあどけなさもあって、少女と大人のちょうど端境期にしかない雰囲気がありました−

「そういう時期だったんでしょうね。気持ちとかいろいろなことが、大人になる手前のね」

−デビューして早々に主役になったわけですが、プレッシャーは?−

「私はまだ何もそういうことがわからなかったので、主役と言われてもピンと来なかったんですよ。ただ、とにかく毎日無我夢中でした。のちのち考えると、トップに名前が書いてあるし、映像を見ると、1番多く映っているなとかあるんですけど、本当にそんな感覚でした」

撮影が行われたのは中島さんが高校卒業後。入念なリハーサルを2カ月間行った後、クランクインしたという。

−中原(俊)監督は結構厳しかったと思いますが−

「そうですね。すごくこだわりがあって、一つ一つ形にしていくということ、役作りとか、色々なことを教えていただきました。あと、みんなと作っていくということですね。

だから、現場にはリハーサル中も美術さんやカメラマン、いろんな人が訪ねてきて、出演者に合った良いところを引き出しつつ、役に合わせていくというような作り方だったから、とても良い時間でした」

−出演者が同年代の思春期の女性ばかりでしたから、それはそれで大変だったのでは?−

「思春期の女の子が26人もいましたからね(笑)。ケンカもしたし、いくつかのグループに分かれてとか、そういうのもあったし、派閥がいっぱいありました。でも、私とつみきみほさんは、役的にわりとひとりにさせられていましたね」

−つみきさんはちょっと浮いた存在というか、不良っぽい設定でしたね−

「不良でかっこいい役でしたけど、実際の彼女は全然そういう子ではないんですよね。あの当時は、いつも奥の方でひとりで台本を読んでいるような感じだったんですけど、役作りでわざと距離を置いていたんですって。

実はみんなと喋りたかったって話していました。今ではもう一緒になっておばちゃんトークしています(笑)」

『櫻の園』が公開されてから29年、出演者の多くはすでに女優業を辞めており、現在も続けているのは中島さんを含めてわずか3、4人だという。

−中島さんはこの作品でアカデミー賞新人俳優賞をはじめ、各映画賞も受賞されました−

「そうですね。あの頃は毎日が駆け巡るような日々だったので、何が何だかわからないという感じでした。賞をいただいてうれしかったですけど、その時にはほんとによくわからないという感じで。

今はあの原点があるから30年続けられているんだと、すごく感謝の気持ちでいっぱいです」

誠実で何事にも一生懸命、どんな役柄の色にも染まれる人。30年間オファーが絶えないほどドラマや映画のスタッフから信頼が厚いのがよくわかる。次回後編では、幽体離脱するほどだった交通事故、29年ぶりとなる主演映画『いつかのふたり』の撮影裏話を紹介。(津島令子)