日本には偉人と呼ばれる優れた人物がたくさんいます。『多田しげおの気分爽快!!〜朝からP•O•N』(CBCラジオ)、「日本偉人伝」のコーナーでは、そんな歴史上の人物の生涯を、CBC論説室の後藤克幸特別解説委員が毎週ひとり紹介しています。 3月18日の放送では、映画監督、俳優、エッセイストなど、さまざまな分野で活躍した伊丹十三さんを取り上げました。

     

数多くのエッセイ本を出版

昭和8年(1933年)、伊丹さんは京都で生まれました。
父は映画監督で脚本家としても有名だった伊丹万作(まんさく)さんです。

伊丹さんは20歳の時に東京へ出て、商業デザイナーとして仕事を始めます。

26歳の時に役者に興味を持ち、大映ニューフェイスとしてデビュー。
伊丹一三(いちぞう)という芸名で、個性的な俳優として活躍していました。

1965年には、31歳の時にヨーロッパに1年暮らした経験をまとめたエッセイ本『ヨーロッパ退屈日記』を出版して話題になりました。

この後も得意の料理や、子育てに関するエッセイを書いて、たくさんの本を出版しています。

「一三」から「十三」へ

1967年、34歳の時に芸名をそれまでの「一三」から「十三」に変えます。

一は「マイナス」、十は「プラス」。マイナスからプラスに思考を変えるため、と言われています。

伊丹さんは「一本気な男役を演じる時に『一三』は線が細く聞こえるので、強そうな『十三
』に変えた」と話したそうです。

1971年、38歳でテレビ番組の制作会社「テレビマンユニオン」に参加し、旅ドキュメンタリー番組『遠くへ行きたい』の制作に関わります。

この番組には自らリポーターとしても出演し、数々の名シーンを残しました。

初監督映画『お葬式』が大ヒット

ワイドショーのリポーターを務め、CMにも多数出演など活躍していた1984年、51歳の時に自ら脚本を書いてメガホンを取った初めての映画『お葬式』を作ります。

映画は大ヒットして日本アカデミー賞を始め、30を超える映画賞を受賞。

その後も『タンポポ』『マルサの女』『あげまん』『ミンボーの女』『大病人』など、歴史に残る話題作を次々と発表しました。

当時、社会問題となっていた民事介入暴力をテーマにした『ミンボーの女』の上映から1週間後に暴力団員に襲撃され、伊丹さんが大怪我を負うという事件もありました。

1997年、64歳の時に自宅マンションの敷地で、遺体となって発見されるという痛ましい最期を迎えています。

自殺なのか他殺なのか、真相は明らかにはなっていません。

映画会社が反対した映画

伊丹さんが偉人たる理由について、「マルチな才能を持って、さらにそれを生かしてそれまでの映画の概念をガラリと変えた人だった」と語る後藤。

これを象徴するのが『お葬式』です。

それまでヒットする映画テーマは、時代劇、アクションもの、恋愛ものというのが常識でした。
『お葬式』の企画を見た映画会社は「こんなテーマの映画は作っても誰も観ないでしょう」と反対したそうです。

ところが公開とともに大ヒットし、その年の映画賞を総ナメ。伊丹さんはいきなり売れっ子監督となったのです。

才能と感性で新しいものを作った偉人

『マルサの女』の「マルサ」は、国税局査察部の俗称。
当時の社会ではほぼ知られていなかった仕事を、あえてテーマとして映画を作ったことも話題になりました。
社会問題をテーマにしながら、エンターテインメントとしても実に面白い映画でした。

伊丹さんは、映画作りにおいてもマルチな才能を示した人。

映画作りの概念にとらわれず、自分が良いと思うものを信じてやり抜く才能と感性で新しいものを作った偉人です。
(minto)