「浦和のエース」との別れの時がきた。浦和レッズFW興梠慎三の北海道コンサドーレ札幌への期限付き移籍が両クラブから発表された。今季は出場機会も減り、夏頃からその前兆はあったとはいえ、2019年には「生涯浦和宣言」を行い、浦和を愛し、愛された興梠の移籍をファン・サポーターが受け止めるのは簡単なことではない。本稿では興梠慎三が浦和レッズ在籍9年で残した功績、移籍という決断に至った今季の道のりを改めてひもとく。

(文=佐藤亮太、写真=Getty Images)

2013年から始まった“興梠物語” その哲学は…

興梠の浦和での活躍は約束されていた。

2013年、鹿島アントラーズから加入した際、当時はまだ誰もが知るという存在ではなかったが、チーム内での評価は別だった。当時のMF梅崎司は興梠の加入を聞いた際、「絶対フィットする」と確信していた。梅崎だけでない。対戦相手として興梠を知る浦和の選手たちの多くは難解なミシャ式サッカー(当時のミハイロ・ペトロヴィッチ監督が志向するスタイル)の軸になると強い自信を抱いていた。

新入りとしては名刺代わりのゴールで存在を証明したかったが、意外にも移籍後初得点はすぐには出なかった。それでもメディアからの執拗(しつよう)な「初得点はいつ?」との質問にふがいなさを口にしながらも、「これから。これから。」と虎視眈々(たんたん)だった。待望の初得点は、4月14日に行われたJ1リーグ第6節・湘南ベルマーレ戦でのゴール。ここから“興梠物語”が始まった。

まねのできない独特なサッカーセンスの持ち主。プレースタイルは魚のようにピッチを回遊しながら、ネコのように相手をいなし、彼にしか分からない勘所でボールをネットに突き刺す。そして何より一番の武器はゴール前での冷静さ。チームメートから「どうすれば点が取れるか?」と秘訣(ひけつ)を聞かれると、興梠は笑いながら「秘訣? それは余裕だよ、余裕」と答えた。

興梠は鹿島時代の先輩FW柳沢敦やマルキーニョスを手本とした。そのゴールの哲学は「一人でゴールを取れるタイプじゃない」「自分のゴールはみんなのおかげ」とストライカーらしからぬ殊勝さ。エースとして得点を重ねても変わらぬ献身ぶりでチームメートからもファンからも愛された。

柏木陽介らと紡いだ「267試合109得点」

思い出されるのはMF柏木陽介との、彼ら2人にしか分からない世界観。

2018年のJ1リーグ第27節・ヴィッセル神戸戦(4−0)、第28節・柏レイソル戦(3−2)、この2試合で3得点決めた興梠が「自分一人のゴールではない。陽介でなければ、あのパスは出てこない。感覚で分かり合える」と相性の良さを語ると、柏木は「慎三は練習でも試合でも何回も決めてきてくれた。どこに出してほしいか言葉にしなくても分かっている。神戸戦は最高のアシストと最高のゴールになった。今年一番のアシスト。あれを決められるのは慎三だけ」と語った。

そうして浦和のエースとして9年間で積み上げたJ1リーグ267試合出場・109得点。9年連続2桁得点(※2012年の鹿島在籍時を含む)。J1リーグ通算ゴール数歴代3位。誰もが認める“浦和のエース”となり、スタジアムには背番号「30」のユニフォームがあふれ、興梠をたたえるチャントが響いた。

時に痛みに耐えながら、時に自らを奮い立たせながら、ピッチに立ち続けた。

2014年のJ1リーグ第30節・鹿島戦で右腓骨(ひこつ)を負傷。その翌月に迎えた大一番、第32節ガンバ大阪戦、0−1で迎えた89分、ケガを押して強行出場した。起用したペトロヴィッチ監督。託された興梠。二人の勝利への執念をひしひしと感じた。

2015年序盤、約4年ぶりに招集された日本代表のトレーニング中に首を痛め、約1カ月間の離脱を経験。2018年リオデジャネイロ五輪では手倉森誠監督の声に応えてオーバーエイジ枠でオリンピック出場を果たしたが、その後、燃え尽き症候群に似た症状で調子を落とした時期もあった。2020年、J1リーグ第34節・札幌戦では右腓骨筋腱脱臼で全治3カ月のケガを負った。

満身創痍(そうい)になりながらもチームへの献身を尽くした。

風貌はぼさぼさ頭に無精ひげが似合う、いい兄(あん)ちゃんそのもの。やるべき仕事を黙々とこなす職人、野武士のようなたたずまいはファン・サポーターの琴線に触れた。

「生涯浦和宣言」を経て、2021年。葛藤のシーズン

浦和を愛し、浦和に愛された興梠慎三。

2019年2月、シーズン前に行われたクラブ主催のトークイベントでは「浦和で引退します」と生涯浦和宣言をした。場内に巻き起こった万雷の拍手はいまだ耳の奥に残っている。

しかし、興梠は浦和を離れる決断をし、札幌への期限付き移籍を決めた。

兆候はあった。今年7月、札幌が獲得オファーとの報道が出た。札幌は得点源のFWアンデルソン・ロペスの退団を受けてストライカーを求めていた。ミシャサッカーを熟知した興梠に白羽の矢を立てるのは自然な流れ。さらに興梠としてはFWキャスパー・ユンカーの活躍で出場時間は徐々に減少。新天地での活躍という選択は十分に考えられるものだったが、結果、残留となった。

中断明けのJ1リーグ第23節・札幌戦に先発した以降、スタメン出場はなし。第27節・湘南戦からの約2カ月間は、膝のコンディションが振るわないのか、ベンチ外が続いた。

終盤を迎えた11月10日、約40日ぶりに行われた公開練習。ミニゲームでの興梠は復調そのもの。ジャンプ一番、打点の高いヘディングや腰をキュッとひねったボレーシュートとコンディションは良く、残り少ないシーズンでの活躍を期待した。

第34節・川崎フロンターレ戦、続く鹿島、横浜F・マリノス、清水エスパルスとの4試合、終盤で起用されたものの、ノーゴール。リーグ最終節・名古屋グランパス戦の出場は回避し、残りの天皇杯2試合に照準を合わせたが、そこでもピッチに立つことはなかった。

その最中、12月6日に再び札幌が獲得へ乗り出すとの報道が出た。13日には札幌が正式オファー。20日には「獲得決定的!」との見出しがついた。

今季の出場機会を考えれば、移籍はやむを得ないだろう。とはいえ、最後まで後ろ髪を引かれる思いもあったはずだ。

11月17日、槙野智章の退団会見が行われた際、記者からの「チームを引っ張ってほしいと期待している選手はいるか?」との問いに、「興梠選手と西川(周作)選手とは長くやっていますし、ベテランの意地を見せてほしい」と語った。これは槙野から興梠へ託したメッセ―ジとも受け取れる。

アジアに再挑戦する浦和にエース興梠慎三がいないことは…

阿部勇樹の引退、宇賀神友弥、槙野の退団。そして興梠の札幌への期限付き移籍。

この大きなうねりに残された選手の動揺は大きい。

優勝で終わった天皇杯決勝後のオンライン会見で関根貴大は「いままで浦和のために戦ってくれた選手の最後のタイトル」と話すとともに、「たくさんの選手が出ていくので、想像しているより来年はかなり厳しくなると感じている。いままで浦和のために戦ってきた選手、浦和のために戦いたくて来た選手もいた。そう簡単にい続けられるクラブではないので……僕たちもどうなるか分からない。浦和にい続けられるなら頑張りたい」と語った。

クラブは「3カ年計画」を掲げ、将来の目標に向けた編成を粛々と行っている。今季、リカルド・ロドリゲス監督を招聘(しょうへい)。MF小泉佳穂、FWユンカー、夏に途中加入したMF江坂任ら期待の新戦力がことごとくフィットし、面白いように当たった。

大幅にチームを変えながらもリーグ6位、ルヴァンカップ・ベスト4、天皇杯優勝、そして来季のAFCアジアチャンピオンズリーグ出場権獲得と結果を残した。これはクラブの勝利である。

改革の道のりでは時にクラブは辛い判断をせざるを得ない。とはいえ来季、アジアに再挑戦する浦和にエース興梠慎三がいないことはとても寂しすぎる。

<了>