8月18日、千葉県社会人サッカーリーグ1部に所属する市川サッカークラブ(市川SC)が、ウクライナ国籍のコブザール・ダニールの加入を発表。避難民として8月上旬に来日したばかりのダニールは、いかにしてこれほどのスピード感で日本での所属クラブにたどり着いたのか? 彼の獲得において大きな役割を担った人物、市川SCでGMを務める幸野健一さんに加入の経緯、そしてダニールを取り巻く現在の環境について話を伺った。

(インタビュー・構成=中林良輔[REAL SPORTS副編集長]、写真提供=市川SC)

なぜウクライナ避難民が市川SCでプレーすることになったのか?

――幸野さんがGMを務める市川SCにウクライナ国籍のコブザール・ダニール選手が加入したことが話題になっています。そもそもこの加入はどのような経緯で決まったのですか?

幸野:避難民としてセミプロのウクライナ人サッカー選手が日本に来ていて、サッカーをやりたがっているので、市川SCでプレーできないかという相談が8月の上旬にあったんです。私のサッカー仲間であるテレビ局の記者を介しての相談でした。とはいえ選手としての力量もわからないので、一度練習に連れてきてほしいと伝えたのが最初のきっかけです。その後、すぐにグラウンドに来てくれて、プレーを見てみると十分にレベルの高い選手だったので、お互いに同意のうえ、国際移籍手続きを開始しました。

 うちはフルピッチのサッカー場を持っていてサッカーに集中できる環境に恵まれていますし、彼が滞在している千葉県内のホテルからのアクセスも良く、われわれには国際移籍の手続きをした経験もありました。また、市川SCとしてではないですが、私が代表を務めるFC市川GUNNERS(ガナーズ)のU-18チームでシリア人避難民を受け入れたこともありました。さまざまな面を考慮したうえで、市川SCは彼を受け入れる体制の整ったクラブであると判断しました。

――移籍の手続きはどのように行われたのですか?

幸野:その時点ではウクライナサッカー協会が機能しているのかがわからなかったのですが、ニュースでウクライナトップリーグが再開することを知りました。そのニュースに驚きと喜びを感じながら、すぐに日本サッカー協会経由で国際移籍手続きを進めたところ迅速に対応してくれて、移籍OKの許可が出たので短期間で選手登録することができました。

天国と地獄を味わったデビュー戦

――加入直後の8月21日には千葉県1部リーグでデビューを果たしています。

幸野:初戦でいきなりゴールも決めています。ただ、開始3分にラフプレーでイエローカードをもらい、後半にシミュレーションで2枚目のイエローカードをもらって退場になりました。ただ1枚目はまだ彼のなかで日本のサッカーの判定の基準がわからず、ヨーロッパでの感覚のままでプレーしたためだと思います。加えて日本での初の公式戦で気合いが入り過ぎていた部分もあったかもしれません。2枚目は素晴らしいドリブルでゴール前に切り込んだ際に相手選手と交錯してシミュレーションを取られたのですが、逆にファウルをもらってもおかしくない際どい判定でした。

――結果、得点後に退場という鮮烈なデビュー戦となったわけですね。

幸野:まさに天国と地獄(笑)。でも印象的な活躍を見せてくれて、最終的に試合には勝ったわけだから結果としては良かったです。彼も初出場初勝利の喜びを噛み締めながら、「いい意味でも悪い意味でも一生忘れない、死ぬまで忘れられない思い出深いデビュー戦になった」と言っていました。

ジンチェンコともプレーした「名門シャフタール」下部組織出身

――ダニール選手はウクライナの名門シャフタール・ドネツクのアカデミー出身選手とのことですが、選手としてはどのように評価されていますか?

幸野:やっぱり基礎技術が高いです。プレッシャーがかかっているなかでも「止める蹴る」の部分がブレない技術を持っています。だからスピードに乗ったプレー中でもミスが少ない。派手なプレーはないけれど、常にボールを出したら動くし、非常に運動量が多い選手です。手足の長さを生かした独特のスライドでのドリブルも武器です。ポジションは中盤で、市川SCでは今はサイドハーフをやっています。本来は中央でのプレーを好むタイプの選手で、サイドは一番得意なポジションではないけれど、監督に求められる役割をきっちりと理解して忠実にこなしてくれています。

――とてもクレバーな選手なのですね。

幸野:プレースタイルという意味ではアーセナルのジンチェンコ選手と似ているかもしれません。ジンチェンコ選手が現在25歳で、ダニールは20歳。二人ともシャフタールのアカデミー出身で、一緒にトレーニングをやったこともあるみたいです。

――そのような素晴らしい経歴を持つ選手がサッカーをプレーする場を失いかけていたわけですね。

幸野:彼はウクライナを出て、いくつかの国を経由して、ポーランドから日本に来ました。それはたまたま両親が決断したことであって、彼自身高いレベルでサッカーを続けることは諦めかけていたようです。日本のサッカーのレベルもプレー環境についても全然情報を持っていませんでしたし、唯一の日本のイメージとして「セルティックで活躍しているハタテ(旗手怜央)のプレーが好きでスコットランドリーグの試合をよく見ていた」と話していたくらいの知識でした。だけどやっぱり本当にサッカーが好きな人間なので、日本に着いてからすぐに滞在先近くのフットサルコートの個サル(個人参加のフットサル)に通っていたそうです。いまも毎日トレーニングがしたいというので、市川SCのトップチームの練習だけでなく、U-18の練習にも参加しています。

――それはU-18の育成年代の選手たちにとっても刺激になりますね。

幸野:そうですね。U-18の選手たちもダニールからいい刺激を受けていると思いますし、彼のとにかく四六時中サッカーをしていたいという情熱にこちらもできる限り応えてあげたいと考えています。トップチームにも、そのサッカーに対する情熱と、海外でのプレー経験のある選手がたくさんいることもあり、違和感なくすぐにチームに溶け込んでいました。


12歳でクリミア危機を経験。8年前からずっと続いている戦争体験

――ダニール選手のご家族を招いて食事会を開催されたと聞きました。

幸野:うちのアカデミーの寮で、彼のご家族もお誘いして、シーズン中なのでささやかにですがウェルカムパーティーをしました。寮母さんの計らいでボルシチなどのウクライナの郷土料理でもてなして、とても喜んでくれていました。彼らがウクライナを出て3カ月経つなかで、お母さんが料理をすることもできず、その間一度も母国の料理を食べてなかったみたいで。

 ウクライナから遠い異国の地に来て、ダニールは英語が話せるのでプレー面でも問題がないのだけれど、お父さんとお母さん、14歳の弟はウクライナ、ロシア語しか話せない。これから言葉が通じないなかで日本で仕事を探したり、大変な日々を送ることになると思うので、何かわれわれが力になれることを模索できればと考えています。

――ダニール選手自身は、現在は家族と一緒に暮らし、サッカーに集中できる環境にも身を置き、メンタル的には落ち着いてきていると感じられますか?

幸野:表面的にはそうですね。大人のサッカー選手として、サッカー面ではプレーに集中できていると思います。ただ、これまで彼に対するメディアの取材に何回か立ち会いましたが、戦時下で目にしてきたこと、国に残された親戚や友達に関する質問には「つらくて答えたくない」といつもはっきり断っています。やっぱりそれだけ言いたくないことをたくさん経験してきたはずだし、彼にとっての戦争はこの2月に始まったわけじゃないんです。2014年のロシアのクリミア侵攻を受けて、そのときにドネツクからキーウに避難しているんです。彼のなかでこの戦争は8年前からずっと続いているものなんですよ。

――8年前、12歳のときからずっと……。

幸野:そうですね。12歳で慣れ親しんだ自宅を捨てて、そこからずっと落ち着かない仮住まいを続けてきたわけです。だから本当にわれわれには想像もできない思いや感情があるはずです。もちろん表面的には僕らに対してそういう面は見せないようにしていますが、でもやっぱりさまざまな感情を心の内に留めているのだと思います。

日本でもつないでいく、プロサッカー選手という夢

――今回のダニール選手の加入を通して、サッカークラブが単なる勝ち負けや、ビジネス目的の組織ではなく、社会的な価値を持つ存在であると改めて感じさせられました。

幸野:日本でもほとんどの人たちがウクライナの状況はニュースで見聞きして知っていて、みんなが心を痛めていると思います。ですが、これまでわれわれにできる支援は寄付をすることくらいでした。ただ、実際にダニールと彼の家族のような避難民が日本にも来ているわけです。市川SCはダニールと正式に契約をして、彼が抱き続けたサッカー選手としてプレーするという夢を日本でもつないでいます。そして彼はサッカーという日常を取り戻し、選手として情熱を持って成長を続けています。このような支援の形があることも多くの人に知ってもらえたらなと考えています。日本政府ができる支援には限りがあります。そこでわれわれ民間がもっと手を挙げて、ウクライナの人たちに仕事の面であったり、生活環境の面であったり、協力できることが何かあるのではないかと。

――そういった意味でも、スポーツはとてもいいモデルケースになり得る可能性がありますね。

幸野:先ほどお話ししたように、ウクライナではサッカーの国内リーグが再開しました。ウクライナ国内においてサッカーは国民からそれだけ開催が望まれ、日常の生活を取り戻すうえで重要な存在であるわけです。日本のサッカーに関わるわれわれにとって、世界各地でサッカーに関わる人々はみんな仲間です。そういう人たちが日本に来たってサッカーができるよ、サッカーは世界中どこでだってできるよと証明したかった。ただ、これは何か特別なことではなく、世界のサッカー仲間の一人として当たり前のことだと思っています。

――ダニール選手のご家族が日本で、さらにそのなかの千葉県を拠点としたことも何か運命的なものを感じます。

幸野: 1840人(9月4日時点)といわれている日本のウクライナ避難民のなかで、セミプロ以上のサッカー選手はたぶんダニール以外にいないのではないかと思います。そういう意味ではわれわれ市川SCにとっても運命的だったともいえますし、彼にとってもそのように感じてもらえるような出会であったならうれしいですね。

まだ来季以降の契約については不透明ではあるものの…

――ダニール選手とともに、現在、市川SCがクラブとして目指している目標についてもお聞かせください。

幸野:千葉県1部リーグでいま暫定首位に立っており、2位までに入って関東リーグ昇格決定戦に出場するのが今の一番の目標です。われわれも残り3試合を勝つために彼の力を本当に必要としているんです。試合で活躍してくれることを願っているし、彼もやる気に満ちて毎日トレーニングに励んでくれています。

――来季以降のダニール選手との契約についてはさまざまな状況を考慮して判断する形でしょうか?

幸野:来季のことはまだわかりません。彼の置かれている状況的にもそんなに先のことは考えられないでしょうから、彼もわれわれもいまは目の前のことを全力でやっていくだけなので。もちろん、私は来季以降もうちでやってほしいと思っています。

――ウクライナ情勢はまだまだ先の見えない状況ですが、ダニール選手にとって、サッカーに集中できる環境に出会えたことは本当によかったなと感じます。

幸野:ウクライナリーグの再開初戦をYouTubeで生放送していて、クラブハウスで彼と一緒に見たんですよ。本当にうれしそうに食い入るように見ていました。「この状況のなかでやったんだ!」と彼も心から勇気づけられたと思います。だけど大切なのはこれからです。われわれもわれわれにできることを全力で続けていきたいと思います。

<了>






[PROFILE]
幸野健一(こうの・けんいち)
1961年9月25日生まれ、東京都出身。FC市川GUNNERS代表。市川SC GM。プレミアリーグU-11実行委員長。サッカーコンサルタント。育成を中心にサッカーに関わる課題解決をはかるサッカーコンサルタントとして活動し、各種サッカーメディアにおいても対談・コラム等を担当。2014年に千葉県市川市に設立されたアーセナルサッカースクール市川の代表に就任。2019年よりFC市川GUNNERSにチーム名が変更される。2020年に千葉県リーグに所属する市川SCとFC市川GUNNERSが業務提携し、市川SCのGMに就任。また、小学5年生が年間を通してプレーする日本最大の私設リーグ「プレミアリーグU−11」の実行委員長として、日本中にリーグ戦文化が根づく活動をライフワークとしている。