中国の伝統医学(以下、中国医学)に対する関心が世界的に高まっているという。しかし、そこに立ちはだかるのが「言葉の壁」だ。日本とは状況が異なる非漢字圏の国の場合には、状況がさらに困難だ。

中国西南大学歴史文化学院に外国人専門家として在籍するイラン人のイーサン・ドーストムハンマド氏は、医学書である「黄帝内経(こうていだいきょう)」、「金匱要略(きんきようりゃく)」を含め、数多くの中国の古典をペルシャ語に翻訳してきた。同氏はこのほど、中国メディアである中国新聞社の取材に応じて、中国の古典的医学書のペルシャ語への翻訳事情を説明した。英語圏などとは違った問題も発生しているという。以下はドーストムハンマド氏の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

■中国の古典的医学書を外国語に翻訳するには「複数の資質」が必要

中国国外では今、中国の文学や歴史、哲学思想への関心が高まっており、翻訳のペースも加速している。しかし中国医学の外国への紹介は、まだ初期段階だ。

ほとんどの医学書は専門性が高く、一般の読者が理解するのは困難だ。そこで訳出の際には、外国人読者の文化的背景などを考慮して工夫せねばならない。陰陽五行や気血などの用語は、中国人ならばまだ理解しやすいが、外国人読者にとっては「ちんぷんかんぷん」だ。文化的背景の違いは本質的な問題だ。

イランなどペルシャ語圏での中国医学の普及は鍼灸が中心だ。生薬やその調合の仕方、中国医学による診察法や治療法、健康維持などについては普及していない。

中国医学の書物を翻訳する場合、翻訳者には複数の資質が求められる。まず、中国語に堪能なだけでなく、中国文化や漢方医薬文化についてある程度以上の理解がなければ、内容を正確に伝えることはできない。語学の専門家であるだけでは、漢方医薬の専門知識の翻訳の正確性が保障されない。かといって、中国医学の専門家が翻訳したとしても、その言語表現のレベルが満足なものになるとは限らない。

■「翻訳を翻訳」することで生じる問題点とは

言語人口がそれほど大きくないペルシャ語などの場合には、別の問題も発生している。人口が少ないことで必然的に、翻訳作業に適格な人は少なくなる。イランでは近年、中国医学の訳書の出版数が増加しているが、中国語を扱える人が少ないために、多くの場合は英語版を原本としている。この方法は、短期間に中国医学をイランに広めるには役立つかもしれないが、中国語を英語に翻訳する時点で、翻訳者の理解の不一致などによる混乱が生じている。さらにイランのペルシャ文化と英語などを使う国の文化にも違いがあるため、ペルシャ語訳の質もまちまちだ。

中国語の古典書がより良く海外の人々に理解され、受け入れられるようにするためには、扱う専門分野、中国語、訳出する言葉のいずれにおいても能力がある複合型人材が必要だ。私は、中国語書籍の内容を言語人口が少ない言語を母語とする読者に正確に伝えるために、中国側としてそれぞれの言語についての専門家チームを結成し、例えば用語などの翻訳基準を確立することを提案している。

■相手国の状況を考慮しつつ翻訳の「最適解」を模索する

中国医学を海外で広めようとしたら、相手国が中国の医学文化をどの程度理解しているかも考えねばならない。例えば、中国医学の実践経験や基礎知識がない国の場合には、基礎的な理論や知識を優先して広めることが有効だろう。

また、中国医学には奥深い理論があるが、理屈の組み合わせは比較的シンプルだ。翻訳者は単純な理屈を複雑で難解な文章にしてはならない。専門用語も簡潔な訳語に翻訳し、しっかりとした注釈を加えることも必要だ。

ただし、中国医学の専門用語には、中国文化の深い内容が込められている。どのように訳出して中国の伝統文化の神髄を伝えるかは、翻訳者にとって最大の課題だ。西洋医学の用語を機械的に当てはめてはならない。中国医学の専門用語は薬理の本質や特色のある治療法を反映しているのだから、よりよい訳出法を考案して、より多くの人が漢方医薬に興味を持ち、漢方医薬文化を受け入れていくようにする必要がある。

中国もイランも歴史の長い国だ。シルクロードを通じて中国からイランにもたらされた薬材もあり、逆にイランや中央アジアから中国に伝えられた薬材もある。またペルシャの伝統医学と中国医学は互いに、相手が説く薬材の効用などを参考にしてきた。例えば生薬として使われる肉桂(シナモン)はペルシャ語でダルチンと言うが、これは「中国の木」の意味だ。逆に中国の古典的医学書にはペルシャから伝わった薬材の記録があり、その使用法もペルシャ医学と同様だ。

要するに、ペルシャ伝統医学と漢方医薬は基礎理論、診断学、治療学などの面で多くの共通点がある。このことは、イランと中国が伝統医薬分野で協力を展開するために基盤なるはずだ。

「一帯一路」構想の展開に伴い、中国医学は「一帯一路」沿線国・地域で新たな発展段階に入った。特に新型コロナウイルス感染症が拡大すると、中国医薬は「一帯一路」沿線国・地域の感染拡大抑制の重要な手段の一つとなった。世界保健機関(WHO)も、新型コロナウイルス感染症の治療における中国医薬の安全性と有効性を認め、中国が提唱した中国医学と西洋医学の結合モデルを積極的に取り入れるよう加盟国に呼びかけた。

このような状況にあって、中国医学の書籍や文献を翻訳する人材に対する世界各国の需要は、これまでよりも差し迫っている。(構成 / 如月隼人)