2022年11月14日、観察者網は東京・池袋で先日発生した「チャイニーズドラゴン」によるとみられる乱闘事件とその背景について論じた文章を掲載した。以下はその概要。

池袋のレストランで先日、100人前後が仲間の出所祝いとして開いていたパーティーで乱闘になる事件が発生した。中国残留孤児の2世などで作る不良グループ「チャイニーズドラゴン」が起こした騒動だと日本メディアによって報じられたこともあって、日本社会で大きな注目を集めた。

そして、日本のネットユーザーからは「先日も池袋のラーメン店で中国人同士のけんかがあった。日本政府はいいかげんに対策を講じるべき」「中国残留孤児は日本人の血が流れているとはいえ中国人になっていて、日本の生活にはなじめなかった。その帰還事業は果たして人助けになったのか」など、中国人や中国残留孤児に対する辛辣なコメントが寄せられた。

日本は1904年の日露戦争開戦以降、国が中国東北部への移民を主導するようになった。移民は日本軍による中国侵略の大きな後ろ盾となり、日本からは貧しい農民が続々と開拓団として中国東北部に送り込まれて45年までに955の開拓団により合計27万人が移住した。しかし戦争が終わると、日本政府や関東軍は移民を捨て、自殺や玉砕を迫った。混乱の中で約5000人の日本人孤児が中国人に養育されて育ち、それから日中国交正常化を経て、終戦から40年近くが経過した80年代にようやく残留孤児の日本帰還事業が始まった。

時間の経過により多くの孤児は肉親探しが難航し、日本に定住できた孤児は2500人程度だった。その2500人もすでに中年になっていたことから日本語や新たな技術の習得が難しく、日本での生活は困難を伴うとともに、日本社会にも容易に溶け込むことはできなかった。2003年には、600人余りの残留孤児が日本国内の地方裁判所で、日本政府が早い時期に残留孤児の帰国支援措置を取らなかったこと、帰国後に十分な支援をしていないことの責任を問う損害賠償請求訴訟を起こしているが、07年1月に東京地裁は訴えを退ける判決を下した。

孤児本人だけではなく、一緒に日本にやってきた配偶者や子どもも同じように日本社会に溶け込めない問題を抱え、特に学校に通う子どもは日本語がうまくできないことでいじめを受けた。現在の残留孤児問題、「チャイニーズドラゴン」が絡む今回の事件も、元をたどれば日本政府の失策によって生じたものだ。

中国残留孤児の半生を描いた山崎豊子氏の有名な小説「大地の子」では、主人公が日本人であることを理由に中国で幼い頃よりさまざまな差別や迫害を受ける様子が描写されている。本来、中国残留孤児問題は日本の侵略戦争による結果であり、戦争を反省する材料とすべきであるにもかかわらず、この小説を読むと「孤児の悲惨な人生は、中国が落ちぶれていたこと、極端主義であったことによるもの」という印象ばかりが残る。

山崎氏は当時、日本社会の中国残留孤児問題に対する関心の低さ、戦争への反省の不十分さを認識したが故に良心的な立場から日本社会の同情を呼び起こそうとした。しかしそのやり方は、孤児が中国社会からひどい迫害を受けたことをクローズアップするというものであり、中国人から見れば「中国に対する侮辱」という感情をはるかに超越した強い怒りを覚える。(翻訳・編集/川尻)